その時、玄関のドアが開いて、アテネが外から帰って来た。
「ただいまー♪」
この前絵麻たちと一緒に買ったシャツワンピースの裾をなびかせて。今日も
また、両手に紙袋を持っている。
「おう、おかえり」
「お帰りー。病院はどうだった?」
「うん。明日から看護婦さんの見習いさせてくれるって」
アテネはどさりとテーブルに紙袋を置いた。
中に入っているのは看護婦の制服と、何冊かの医学書だ。
アテネはリョウの口利きで就職活動をしていたのである。
14歳で大人なのだから、ここで何か仕事をしなければいけないという話が持
ち上がり、なりたい職業としてアテネが名前をあげたのが看護婦だった。
『お兄ちゃんの腕を手当してくれたのはお医者さんと看護婦さんだったの。だ
から、アテネはお医者さんを手伝う看護婦さんになりたいんだ』
それなら病院を当たってみる……とリョウがつてを探し、今日面接をしても
らったのだ。
どうやら採用してもらえたらしい。
「よかったじゃん」
「うん♪」
「まあ、病院って慢性人手不足だからねー……アテネ、頑張るのよ」
「はーい」
憧れていた職業につけることになったアテネは幸せそうだ。
「お兄ちゃんに看護婦さんの服、見せてくるね」
「あ、シエルなら……」
「お兄ちゃーん。お兄ちゃん?」
アテネは兄を呼びながら階段をのぼって行ったのだが、すぐに降りて来た。
「お兄ちゃん、いない」
「シエルならでかけてるよ」
「どこに? 信也さん」
「『NONET』の方の仕事でな。唯美たちと一緒に南部に行ってもらった」
その言葉に、アテネは表情をみるみる曇らせる。
「帰ってくる?」
「夜には帰ってくると思うけど」
「行きっぱなしになったりしない? アテネをおいて行ったりしない?」
「大丈夫だよ」
「むー……」
アテネは不満そうに唇をかんだ。
「ねえ、リョウさん」
「何?」
「アテネも、お兄ちゃんと一緒に行きたい」
鈴を張ったような瞳が、じっとリョウと信也とを見つめる。
「それがどういうことか、わかって言ってるのか?」
「うん」
「じゃ、ムリだ。あきらめてくれ」
信也の答えは簡潔だった。
「どうして?!」
「アテネは『マスター』じゃないだろう?」
「そうだけど」
「『NONET』はパワーストーンマスターであることが前提のチームだから。
それに、危ないのよ? アテネにだってわかるでしょう」
なだめるように言うリョウ。この仕事の危なさは、実際に巻き込まれて薬物
中毒を起こしかけたアテネなら充分にわかるはずだ。
「シエルと昨日話したんだけど、あいつはアテネに仕事が見つかり次第ここを
出て、普通の市民として暮らすように説得するって言ってたぞ」
「嘘」
「それ、あたしも聞いた。今日話すつもりだったみたいだけど、朝はアテネが
忙しかったから言いそびれたのね」
「……」
アテネは顔色を変えたが、それでも気丈に食い下がった。
「アテネ、ここにいる! ここでお兄ちゃんと一緒に暮らす!! お兄ちゃんは
約束してくれたもの。アテネが離れて行きたくなるまでずっと一緒だって!!」
「病院が用意してくれる看護婦用の寮に入ればいいじゃない。ここから近いし、
会いたくなったらいつでも会えるわよ」
「それじゃ嫌なの。お兄ちゃんが危ない仕事してるのに、離れた場所で心配だ
けしてなきゃなんないなんて嫌! そばにいさせて?」
いやいやと首を振りながら、アテネは必死にいい募る。
「気持ち、わかるけど……」
気持ちのゆらいでいるようなリョウに対して、信也は自分の意見を変えよう
としなかった。
「ダメだ。許せない」
「どうして?!」
「アテネは『マスター』じゃないだろう? だいたい絵麻を守るので手一杯な
んだ。これ以上戦力にならない人間は入れられない。危ない目には遭わせられ
ない」
「だったら、アテネ『マスター』になる!」
アテネは涙目で、それでもバンと平手でテーブルを叩いた。
「アテネ?!」
「『マスター』になればいいんでしょ? そうすればお兄ちゃんと一緒にいら
れるんでしょ?!
だったら、アテネは『マスター』になる!!」
凜とした光をたたえた、強い瞳。
「なり方わかってるのか?! なれたとしても危ないんだぞ?!」
「わからなかったら調べる! とにかく、絶対にマスターになる! そうした
ら、マスターになれたら、アテネを『NONET』に入れてくれるんでしょ?」
あどけないながら、精一杯の迫力でアテネが信也にせまる。
「……」
けおされる形になっていた信也だったが、やがてふいっと顔を背けた。
「……なれたらな」
「約束だからね!」
アテネがその手をつかんで、強引に指切りする。
「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます。指切った!」
そして、そのままの勢いで翔の名前を呼ぶと、台所にかけこんでいった。
指切りされた手をみつめて、信也が呆然としている。
「めずらしいじゃない。あんたが圧倒されるなんて」
いくらか力が抜けた感じに、リョウが声をかける。
「……真也」
「え?」
「今の……真也に似てた」
どこか懐かしむような表情で、でも、声は悲しげで。
それをきいていたリョウも、少し寂しげな表情になる。
「真也、か……」
(真也?)
絵麻は疑問に思ったのだが、聞くのもはばかられたので聞かないことにした。
ただ、2人の寂しげな様子だけが妙に印象に残った。