孤児院に向かう道すがら、絵麻は傾きかけた太陽にクッキーの袋をすかした。
「ちょっと少なくなっちゃったけど、平気だよね」
第8寮から孤児院までは歩いて10分ほどだ。
弱くなりかけた晩秋の陽光の中をてくてく歩く。
「大丈夫。元気元気」
肩を落としている自分に気づいて、絵麻はわざと声を張り上げた。
立ち直らなければ。
恐怖を乗り越えなければ。
自分は強くなると決めたのだから。
考えたってわからないものは考えなければいい。だから。
手をぶんぶん振って、絵麻は必死に怖い考えを頭の中から追い払う。
『絵麻ちゃん、あなたはいつも前向きでいなさい』
亡くなった祖母の言葉を胸によみがえらせる。
ポケットに収めたペンダントをぎゅっと握りしめて。
(大丈夫……大丈夫。わたしは平気なんだから!)
心の中で叫んで、孤児院へ続く細い道をほとんど駆け足に近い状態で進んだ。
絵麻にとって、ペンダントは大切な宝物だ。
大好きな祖母が思いをこめて贈ってくれた、大切な大切な宝物。
それと同時に、忘れてしまいたいあの夜の象徴でもあった。
(思っちゃダメ……)
絵麻は首を振ると、トチの木の下をくぐって孤児院の中に入って行った。
相変わらず前庭はにぎやかな子供たちの歓声であふれていて。
今日は缶ケリをしているのだろうか。丸い円がかかれ、中に空き缶が1つ置
いてある。
その円の回りをディーンやケネスといった面々がぐるりと囲っていた。
「ディーン」
「あ、絵麻姉ちゃん」
絵麻が声をかけると、ディーンがこちらを向いた。
北部人の彼は、シエルやアテネと同じプラチナブロンドの持ち主である。黙っ
ていれば貴族が欲しがる容貌だが、中身は元気はつらつのいたずら坊主だ。
「おーい、ちょっと中断なー」
ディーンは缶ケリ仲間にそう声をかけると、絵麻の方に寄ってきた。
「久しぶり、絵麻姉ちゃん」
「足はもういいの?」
「うん」
答えながら、ディーンの目はクッキーの袋にくぎづけになっている。
「シスターに渡してくるから、後でわけてもらってね」
「それ、クッキーなの?」
「そうだよ」
「わあ」
ディーンの横にくっついてきていた弟分のケネスが、幸せそうに笑う。
ケネスは中央系の流れを組む子供で、黒髪に茶色の目と絵麻や翔と一緒の外
見だ。ディーンより少し年下で、彼のことを実の兄のように慕ってなついてい
る。あまり運動が得意ではないのに活動的なディーンについていくから怪我は
しょっちゅうのことで、シスターや孤児院の保母見習いであるメアリー、そし
て一時孤児院を手伝っていた――今はもう亡い――カノンの手をわずらわせて
いる。
それでもディーンについていくのを止めないのだから立派なものである。
「あれ? フォルテは?」
いつの間にか集まり出した孤児院の子供たちの中に、いつもなら真っ先にか
けてくる女の子の姿がないことに気づいて絵麻はディーンに聞いた。
栗色の髪も、右目を包帯でぐるぐる巻きにされた顔も見当たらない。
「フォルテなら、シアと一緒に部屋の中だよ」
「しあ?」
名前のようだが、孤児院にそんな子供がいただろうか?
「新しく来た子だよ。まだ小さいんだ」
「ふーん……会ってこようかな」
よぎった疑問はケネスが解いてくれたので、絵麻は2人を含む缶ケリ仲間に
別れを告げると孤児院の中に入って行った。
歩きながら、心の中で思う。
(自然にふるまえてるじゃん。わたしは平気。大丈夫)
「シスター、いらっしゃいますか?」
息を整え、シスターの部屋の扉をノックする。
「どうぞ?」
ドアを開けると、そこには質素ながらきちんと調えられた、暖かな雰囲気の
部屋があった。
「絵麻。いらっしゃい」
車椅子に乗ったシスター・パットが微笑んで迎えてくれる。
シスター・パットはこの孤児院の院長で、名前の通りにシスターである。足
が不自由で車椅子から離れられないのだが、それでも孤児たちの母親役をしっ
かりとつとめていた。
その車椅子の足元に、女の子が2人座り込んでいた。
1人は栗色の髪を左右で結わえ、右目にぐるぐると包帯を巻き付けた女の子。
フォルテ=ジーニアスだ。
もう1人は黒髪で、耳のあたりの髪だけをおだんごに結った見慣れない女の
子だ。フォルテより1つ2つ年下だろうか。
「絵麻お姉ちゃん!」
栗色の左目をすがめていたフォルテが、絵麻の姿を認めると笑顔になる。
普段なら文字通りころがるような勢いでかけてくるのだが、黒髪の女の子が
服の裾をつかんでいるのでそれはできないようだった。
「フォルテ」
絵麻の方から歩み寄る。
「絵麻お姉ちゃん、久しぶり! 元気だった?」
その言葉に、ちくりと胸が痛む。
「うん……元気だよ。フォルテは?」
「元気! あのね、フォルテ、お姉さんになったんだよ」
「?」
フォルテは自分より小さな黒髪の女の子を、そっと絵麻の方にうながした。
「シア、ご挨拶は?」
「あい、さつ?」
黙って絵麻をみつめていた女の子が、はじめて口を開いた。
「そう。こんにちはって」
「あいさつ。あいさつー」
女の子の口から出てくるのは、外見に似合わない片言だ。
「シスター、この子は?」
思わず絵麻は、シスターに解説を求めてしまった。
「杏夏というの。つい最近ご両親が亡くなって、ここに引き取られて来たのよ」
「シンシア……中央人なのに横文字の名前?」
シスターは首を振って。
「目をよく見て」
「目?」
言われて、絵麻は杏夏の目にじっと注目した。
その目はきれいな翡翠色。
緑は西部人の色だ。
「ご両親がそれぞれ東部と西部の方だったみたいで」
「そうなんだ……よろしくね、シンシアちゃん」
絵麻はにこっと手を差し出す。
「シアだよ、絵麻お姉ちゃん」
フォルテが横から注意する。
そして杏夏はといえば、絵麻の手と絵麻の顔とフォルテとをかわるがわるに、
その翡翠色の目でみつめていた。
「ふぉー姉、て」
「なあに? シア」
「にぎる?」
「何を?」
「て」
「そうだよ。こうやってやるの」
絵麻の差し出した手をフォルテが率先して握る。孤児院ではフォルテは幼い
ほうだ。お姉さんぶれるのが嬉しいのだろう。
「て、て」
杏夏はにこにこしてフォルテの真似をして絵麻の手を握ったのだが、次の瞬
間、悲鳴をあげた。
「いやー、いやー!!」
パッと手を振りほどき、シスターの膝ににかじりついて泣き出してしまう。
「え?」
「杏夏?」
「こわっ、こわあっ!! こわーよー!!」
「杏夏? 怖いの?」
「こわーよー!! この人、こわーよー!!」
そのまま母親を呼んでしくしくと泣き出す。
フォルテは呆然と杏夏をみつめて。
「この人って……絵麻お姉ちゃんのこと?」
「こおされうー! ぎゅーって、ぺんでゃんとでぎゅーって!!」
「え……?!」
「くりゃいよ、つめたーよ、こわあよ!!」
絵麻の顔色がたちまち蒼白になる。手にしていたクッキーの袋が落ちた。
「シスター、この子は……」
「ごめんなさいね」
杏夏の背中を優しく撫でながら、シスターが言う。
「何でも、杏夏は東部の特殊能力者の家系の子供で……人の心の中が読めるみ
たいなのよ」
「心の中?」
さっき手が触れた時に、杏夏には絵麻の心の中がみえたのだろうか。
自分でも意識しない中で、あの惨劇が繰り返されているのだろうか。
「……」
少し落ち着いたらしい杏夏は、シスターの膝から降りると絵麻の足を小さな
こぶしでぽかぽかと叩いた。
「おばけ、おばけ! いなくなれ!!」
「!」
絵麻の顔色が紙のように白くなる。
「こら、シア!!」
「ふぉー姉?」
「絵麻お姉ちゃんにあやまんなさい!」
「きらい、おばけ。きらい!!」
「杏夏!」
これにはシスターも語調を荒げる。
「あの……わたし、今日は帰ります」
絵麻はそれだけ告げると、逃げるように孤児院をあとにした。