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 絵麻と翔の2人は、1階に降りて来ていた。
 リビングに入って時計を見ると、1時を回っている。
「あれ……もうこんな時間か」
「お昼過ぎちゃったね」
「昼か。お腹すいた?」
「うん……」
 絵麻は頷いた。
 昨日からまともな食事をしていないのが原因だろう。基本的に、絵麻は時間
が許せば3食きっちり食べるタイプだから。
 そのせいか……スレンダーという言葉には縁がなくなってしまったが。
「何か作ろうか? でも、材料あったかな……」
 翔は言いながら台所に入り――リビングと台所をつなぐ戸口がある――冷蔵
庫のような銀色の扉を開けて、何か思案していた。
「1時ってことは作って2時で、片付けて3時か。なるべく短時間で片付けた
いから……えっと、何を作ればいいんだろう?」
 絵麻は彼の背後から、そっと扉の中をのぞきこんだ。
 ごちゃごちゃといろいろな食材がつめこまれているが、幸いなことに、種類
は日本とあまり変わらないようだった。国が違えば料理も食材も違うのが常識
だから、絵麻としてはありがたい限りである。
「あ、たまご残ってる。じゃがいもがあるから……ハッシュドポテト作れるか
な」
「はっしゅどぽてと?」
「ねえ、わたしが作ってもいい? ただで泊めてもらってるし」
「いいけど……絵麻って、料理もできるの?」
「うん。お菓子作ったりとか、結構好きだよ」
 絵麻はしゃがみこむと、材料を集めはじめた。
「台所借りるね。これって、やっぱりパワーストーンなの?」
 絵麻はレンジのスイッチをいじりながら聞いた。
 火を調整するつまみの横に、リビングと同じスイッチがある。
「そうだよ。機械全部にパワーストーンが入ってるって考えてくれたらいちば
ん簡単かな。動力源」
(全部電池で動くみたいなものなのかな……)
 絵麻はそんな事を思いながら、じゃがいもの皮を剥きはじめた。
 包丁で剥くその様は結構見物かもしれない。
 剥き終わったものを水洗いし、薄く切る。冷蔵庫にあったベーコンに似た脂
身の燻製を1cm幅に切り、フライパンに火を入れる。
 暖まるまでの間にたまごを割ってかきまぜ、味付けする。そして、充分暖まっ
たフライパンにバターを落とすと、じゃがいもを入れて炒めはじめた。
 ジュウッという音がして、バターのいい匂いが広がる。
「♪」
 じゃがいもが透き通りはじめたころにたまごを流し入れてふたを閉め、蒸し
焼きにして出来上がり。後は切ってお皿に盛り付けるだけだ。
 蒸し焼きにしている間に絵麻は食器棚から手頃な皿を持って来ていた。冷蔵
庫の横にあったバスケットに今朝のパンの残りがあったので、それも一緒に切っ
て二人分盛り付ける。
「こんなんで……いいかな?」
「……」
 翔が沈黙しているので、絵麻は不安に捕らわれながら聞いた。
 こんなもんが食べられるか! と怒られるのが怖かったのだ。
 もっとも、一瞥しただけで突っ返されるのは日常茶飯事だったが。
「……絵麻」
「はい?」
「聞いていい? もしかして結婚してるの?」
「結婚?!」
 絵麻は仰天して、フライパンを派手な音とともに流しに落としてしまった。
「だって、さっきからずっと思ってたんだけど、洗い物も片付けもすごく手際
がいいし、これだってすごく美味しそうだし……これは絶対結婚してると思っ
て」
 興奮したように、翔はいっきにまくしたてる。
「ねえ、わたし……何歳に見えてる?」
「15、6歳って感じだけど?」
「それって……結婚してる年?」
「してる人はしてるよ? むしろ適齢期だし……子供の1人や2人いてもおか
しくない」
 教育委員会が聞いたら卒倒しそうなセリフを、翔は平然と言い切った。
「……?!」
 そういえば、成人年齢が13歳だと言っていたが……。
「もしかして、13歳同士で結婚できちゃうの?」
「もちろん」
「18歳未満お断りとか、少年法とか、R15指定とか、保護者の同意とかは?」
「……それ何?」
「何と言われても……」
 ここらあたりが、絵麻と翔の決定的な価値観の違いである。
「青少年を守る法律、かな」
「13歳過ぎたら自分の身は自分で守るっていうのが定石なんだけどな。何をやっ
ても自分の責任」
「……そういえば、翔って何歳なの?」
「僕は18だけど。それがどうかした?」
「ううん。ちょっと聞いてみただけ」
「で、絵麻って結局既婚者なの?」
「まさか」
 絵麻は首を振った。
「わたし、きらわれっ子だもん。好きになってもらったことなんてない」
「そうは見えないけどなあ」
 翔はカウンター部分に頬杖をついた。
 深い茶色の瞳が、じっと絵麻を見ている。
 絵麻のことを見ている。
 絵麻を透かして結女を見ているわけじゃない。
  自分のことを……。
「……食べよう? 冷めるとまずくなっちゃうよ」
 絵麻は視線から逃れるように、ハッシュドポテトの乗った皿を翔の目の前に
さしだした。
「食べていい? 実はさっきからずっと食べたかったんだよね」
 翔は楽しそうに笑って、皿を受け取った。
 そのまま3つ並んだテーブルのうち、中央のテーブルに座る。
 絵麻は向き合う形でその正面に座った。
「いただきます」
「どうぞ」
 絵麻はポテトは食べずに、とりあえずパンを口に入れた。
 朝と同じでカリカリしている。こういう焼き方なのだろうか?
 翔の方はフォークでポテトを切って、口に運んでいた。
「あ……美味しい!」
 翔の顔がぱっと笑顔になる。
 その笑顔はパワーストーンの話をしている時と同じで、とても楽しそうな笑
顔だった。
「ホント?」
「本当だよ。すごく美味しい。こんなの食べたことないよ!」
 おそるおそる見上げたが、嘘をついている様子は微塵にもない。
(普通にやっただけ……しかも、お姉ちゃんがきらいな料理)
 絵麻も口に入れてみる。
 まずくはない。しかし、味がいつもより濃い気がする。
「ねえ、これ本当に美味しい? 味が濃くない?」
「全然。普通にたまごとじゃがいもの味」
「……」
「何かが違うのかな……口直しに何か飲む? コーヒーでいいかな」
「あ、そういえば飲み物準備してなかった」
 翔は立ち上がってカップを出すと、固形状の何かを放り込み、キッチンの棚
に並んでいたポットからお湯を注いだ。
 それだけでコーヒーの匂いが辺りに漂う。インスタントなのだろう。
「はい」
「ありがとう」
 絵麻は受け取って飲んだが、やっぱりそれもいつもより苦い気がする。
 一口で飲むのを止めた絵麻だが、翔の方は平然と半分ほど空けてしまった。
「翔は、何か入れたの?」
「え? コーヒーって何か入れるっけ?」
「砂糖とかミルクとか、使わない?」
「使わないけど?」
「こんなに苦いのに……平気なの?」
「苦いかな? これで普通だけど」
「……」
 2人の会話はそこで途切れた。
 会話が再開されたのは、翔がポテトの皿を空にした後だった。
「考えたんだけど、味覚が違うんじゃないかな? 地方によって料理は変わる
し」
「そういえば……」
 見た目は似ているのに、どの料理も味が濃い。
 あるいは見た目が似ているだけで、味は全然違うのかもしれない。
「もしかして、翔、ムリして食べたの?!」
「いや。全然」
 翔が首を振る。
「美味しかったよ。ごちそうさまでした」
 絵麻は平気? 食べれそうにないんなら僕がもらうけど」
「……大丈夫」
 絵麻はフォークを取ると、食事を再開した。
 半分ほど片付けた後で、いつもより濃い味付けに不安になって翔を見上げる。
「ねえ、ホントのこと言って。ホントにまずくなかった?!」
「美味しかったって! どうしてわかってくれないの?」
 翔は責めるというより、むしろ悲しそうな顔をしていた。
「だって……わたしが作ったんだよ?」
「絵麻が作ると、何か不都合なことでもあるの?」
「……」
 絵麻は黙ってしまう。
「僕が今まで食べた料理の中で、いちばん美味しかったよ」
 そういう言葉にも、表情にも、嘘をついている様子はなかった。
「どうして……?」
「?」
「どうしてほめてくれるの? わたしなんだよ?」
 これが姉ならわかる。
 自分だから……わからなくなる。
「絵麻をほめちゃいけないの?」
 その言葉に、絵麻は弾かれたように顔を上げた。
「だって、わたしきらわれてた。頭が悪い、暗い、可愛くない。それにお祖母
ちゃんのお葬式に出られなかった……人としてサイテーだって」
「最低、か」
 そんな様子に、翔は小さく息をついた。
「僕にはそうは見えないんだけどな」
 言ってから、小さく笑う。
「!?」
 絵麻は澄んだ茶水晶の瞳を大きく見張った。
「片付けも掃除も料理も上手だし、思ったこと素直に言ってくれるし、ちゃん
と状況を飲み込んでるんだから、頭だって悪くないと思うよ? 常識が通じな
いのは仕方ないとして……錯乱されると困るっていうのはあるけどね」
「……」
 絵麻は無言で俯くと、冷めてしまった最後の一切れを口に放り込む。
「錯乱したら……困る? 嫌いになっちゃう?」
「わざとやられればそうなるけど……多分、血星石が何かの反応を起こして、
神経が過敏になってるんだと思うんだ。だから僕にも責任があるってことで」
 翔は自分の食べた食器をまとめると、流しに運びながら言った。
「なるべく早く解明して、絵麻の中から血星石を回収するから。そうすれば錯
乱もおさまると思う。これを片付けたら作業するよ」
「それじゃ、わたしが片付けるよ。翔は作業してて」
 絵麻も自分の食器をまとめると、立ち上がった。
「あ……助かる。頼んじゃっていいかな? でも平気?」
「うん。終わったら何をすればいい?」
「休んでくれていいよ。でも、できるんだったら普通に動いて、体調がどうな
のかを調べてくれるとありがたいんだけど」
「それじゃ、冷蔵庫とか棚とかの片付けをしていてもいい?」
 けっこう使いにくい状態になっていたのを思い出して、絵麻は言った。
「いいけど……いいの? 普通に動いてくれるだけでいいんだよ?」
「わたし、それが普通だから。ごはん作ったり、掃除したり」
「それだったら……夕飯の支度を頼んでいい?」
 翔が拝むような仕草をする。
「え?」
「絵麻が作ってくれたごはん、本当に美味しかったから。また食べたいんだ。
 僕じゃあんまりたいした物つくれないし……皆も食べたいと思うよ」
「……」
 絵麻は少し首を傾けて思案していたのだが、やがて頷いた。
「いいよ」
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