絵麻が昼食の皿を洗い終えると、時計の針は2時半を指していた。 「さて、片付けるかな」 棚に入っていた布巾をたたんで入れ直し、ばらばらに詰まっていた食器棚を 簡単に片付ける。その後で、絵麻は冷蔵庫に向かった。 「これ……ナスだよね? さっきのベーコンが残ってて、これはオクラかな?」 肉やら野菜やらがごちゃまぜになった冷蔵庫を整頓しながら、絵麻は使えそ うな材料をよりわけていた。 「さっき、棚にパスタみたいな袋が入ってたよね。これで夏野菜パスタができ るかな?」 パスタにするなら副食作らなくて済むし……頭の中で考える。 「味付けはブラックペッパーがあるといいんだけど……これが胡椒になるのか な」 呟いてから、絵麻は改めて台所を見回した。 グリルが3つあるレンジ。普通の規格より大きな流し。 食器棚も大きく、学校の調理室並の規模がある。冷蔵庫も大きい。 「7人って言ってたっけ」 絵麻はふっと、聞いていなかった事を思い出した。 絵麻が会ったのは4人。ということは、まだ会っていない住人が3人いると いうことになる。 「夕方には帰ってくるのかな……だったら多めに作った方がいいのかな」 呟いてから、絵麻ははたと顔を上げた。 どうして、彼らは集団生活をしているんだろう? (後で聞いてみよう……) 絵麻は野菜の下ごしらえをすませると、思いついて隣のリビングに入って行っ た。 全体的に昨日と同じ様子だったが、よく見るとパソコンの横にノートが散乱 していたり、クッションが潰れていたりしている。 「あーあ」 絵麻の顔に苦笑いが浮かぶ。 絵麻はノートを位置をなるべく動かさないようにして整理し、潰れたクッショ ンを膨らませて置いた。 ふっと見ると、パソコンや机の上に軽く埃がつもっている。 「最後に掃除したのいつなんだろ……やっぱり1カ月前なのかな」 思いついて調べてみると、台所の方も同様である。 絵麻はきょろきょろと周囲を見回して、1分後に目当ての物を発見した。 台所の玄関側に通じるのとは反対側にドアがあり、その横にはロッカーとカ ゴが置いてある。 「こういうのって大抵……」 絵麻は言いながらロッカーを開ける。鍵はかかっていなかった。 「ビンゴ♪」 中に入っていたのは、絵麻の予想通りの物――掃除用具。 時計を見上げると、まだ3時をまわった所である。 「ちょっとくらいなら掃除してもいいかな……怒られないかな」 絵麻はしばらく逡巡していたのだが。 「でも、動かなきゃ何も変わらないもんね」 常に前向きであるように――祖母のその言葉を思い出し、絵麻は掃除を始め た。 30分ほどで片付けてしまうと、そのまま下ごしらえをしていた夕食の方に戻 る。手をよく洗ってからパスタをゆで、途中からオクラも一緒にゆでてざるに あける。熱しておいたフライパンに一口大に切ったナスとベーコンを入れて軽 く炒め、それにパスタとオクラを加えて味付けをし、全体的に混ぜ合わせる。 これで完成。後は皿に盛り付けるだけだ。 その時。 「ただいまー」 玄関に女の子の声が響いた。 「あれ、なんかいい匂い……」 言葉と一緒に台所に入って来たのは、リョウだった。 「おかえりなさい」 「絵麻? 台所になんか立って大丈夫……って、これ絵麻が作ったの?」 リョウの視線は既に絵麻から、彼女の手元にあるフライパンに移っていた。 「ここにあった材料を使わせてもらったんだけど……いけなかったかな?」 「え……ありあわせで作ったの? これだけの物?!」 「いけなかった……?」 絵麻の表情が不安げに変わったのを見て、リョウはあわてて首を振った。 「ううん、全然。むしろ助かるくらいよ。あたしは料理苦手だから」 「リョウって、昔から家事と相性悪かったよな……焦がすわ壊すわ」 いつのまにか、リョウの背後には信也が立っていた。 「って、あんたは何やっても忘れてたじゃない?! 調味料入れ忘れたり、洗濯 物取り込むの忘れて風に飛ばされたり」 「え? えーっと……」 リョウに睨まれて、信也は所在無く視線を彷徨わせていたが。 「あれ? この部屋こんなにきれいだったっけ?」 リビングをのぞきこんでそう言った。 「きれい?」 リョウは訝しがるようにして横からのぞきこむが。 「あ……ホントだ。あたし、昨日クッション潰してそのままだったのに」 その表情が驚きに変わった。 「絵麻、もしかして掃除もしてくれたの?」 「うん。ヒマだったし、翔に普段通りに動いて欲しいって言われたから……な るべく物は動かさないようにしてあるんだけど、ダメだった?」 「まさか」 リョウはとんでもないというふうに首を振った。 「自分の部屋の掃除はたまにしても、こういう共同のスペースって当番じゃな いと片付ける気にならないのよね」 「しかも、疲れてたりとかすると当番でも適当にやるしな、みんなして」 2人が全く怒っていないようなので、絵麻はほっと胸を撫で下ろした。 その時だった。 (……?) 絵麻の視界の隅で、夕方の光を弾いた金色が輝く。 振り向いたそこには、リリィが立っていた。 フライパンの中身を切れ長の瞳で見つめていた彼女は、やがてキッチンの外 から、フライパンの取っ手に向けて手を伸ばした。 (ひっくり返される!!) 「ダメ!! 触らないで!!」 気づいたとき、絵麻は叫び声を上げていた。 「!」 リリィがあわてて手をひっこめる。 「?」 「絵麻、どうしたの?」 「あ……」 釈明できないでいると、ふいにリリィがリョウの袖口をつかみ――早口で何 かを訴えた。 「え……あう? 焦げちゃうって言ってるの?」 リリィが何度も首を上下させる。 「そういえば……フライパンに火が入ってないか?」 「あ」 絵麻はあわててキッチンの中に入ると、フライパンを持ち上げた。 確かに火がつけられたままになっている。 「いけない!!」 確かめて見ると、幸いなことにフライパンの端についていた野菜が焦げた程 度で済んでいた。 「よかった……」 安堵の息をつく絵麻。 「よかったな。せっかくの料理だめにしなくて済んで」 「あたしが声かけたせいよね……リリィが気がつかなかったらどうなってたか」 リョウが小さく肩をすくめる。 「……」 絵麻はリリィの方を見た。 新緑のように瑞々しい碧色の瞳……リリィは静かに微笑んでいたのだが、絵 麻が脅えているのを見て取ると視線をそらした。 「……」 絵麻は何も言えなくて、ただ唇を噛みしめる。 優しくしてくれるのに。 気を使ってくれるのに。 「ありがとう」も「ごめんね」も言えない……。 たった一言で態度が激変するのは……自分で見て知っているから。 「あれ? みんな帰ってたの?」 場の空気が重くなりかけたその時、翔が台所に入って来た。 「うん。とっくに」 「気がつかなかった……」 「どーせまたなにかにのめりこんでたんでしょ」 「測定器を壊しちゃったから作り直してたんだ……それより絵麻の作ったご飯 食べた? すごく美味しいよ」 「そういえば、そろそろ夕飯時だな……」 「ね、食べていい?」 リョウに聞かれ、絵麻ははっと我に返った。 「うん。今、お皿にわけるね」