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2.天承緋牙という人物

 絵麻が短剣を胸に刺そうとした時だった。
「絵麻っ!」
 誰かの叫ぶ声がして。その次の瞬間、絵麻の短剣を握った手に何かの塊
が当たり、短剣を弾き飛ばした。
 カランと音をたてて、短剣が本棚の側の床に転がる。
「誰だ?!」
「Mr.PEACE!!」
 ドアのところに翔がいて。彼は絵麻の姿を認めると、転がるように部屋
に入ってきて絵麻を抱きしめた。
「翔……?」
 幻を見ているのだろうか。また幻の中に入ってしまったのだろうか。
「絵麻、大丈夫?! 大丈夫だって言って!」
 自分に触れる熱い手が、彼が幻でも何でもないとわからせてくれた。瞬
間、必死に抑えていた感情が崩れ、涙があふれた。
「翔……翔っ!!」
 絵麻は翔の暖かい腕の中にしがみついた。
 またここに戻れるなんて、そんな幸せがあるなんて思ってなかった。そ
う思うとまた涙があふれた。
「間に合ってよかった」
「……お前達」
「動かないで下さい。動いたら、斬ります」
 信也がMr.PEACEに、長剣を突き付けている。
 傍らにリリィがいて、彼女もまた片手で薄い刃を構えていた。リョウの
姿もある。
 ふと見回すと、短剣から少し離れたところに氷塊が転がっていた。リリ
ィが助けてくれたのだ。
「リリィ……」
 掠れた声で呼ぶと、彼女は少し絵麻の方を見て、小さく頷いた。
「どういうことですか」
 絵麻を立たせて、後ろにかばいながら翔が静かに問いかける。
「貴方は、最初から絵麻を殺すつもりだったんですね?」
「それがどうした?」
 刃を突き付けられても、Mr.PEACEは平然としていた。
「どうして……こんな事をしても何も変わらないでしょう」
「変わるさ。絵麻が消えれば内戦は終わるんだ」
「じゃあ、内戦を終わらせるために絵麻は犠牲になってもいいって言うん
ですか?!」
 Mr.PEACEは意外そうに目を見張った。
「絵麻1人の命で内戦が終わるんだぞ? 願ってもない事じゃないか。誰に
聞いても同じ意見だ。絵麻だって、ただ死ぬんなら20年覚えていてもらえる
もらえないかだが、内戦を終わらせるために命を捧げれば、世界全員が取る
にとりない存在の絵麻に生涯感謝して、名前は永遠に忘れられる事はない」
「待てよ。そんなことのために絵麻に死ねって言うのか?!」
「世界は助かるかもしれないけど、殺される方はいい迷惑よ!」
 Mr.PEACEは信也とリョウを見て、淡々と告げた。
「リョウ。お前は人間の病気を解明するために、病原菌を植えられて解剖
されるラットに同情したことはあるか? ないだろう。それと同じだよ。
小さな犠牲はつきものだ」
「ラットと人間を一緒にしないで!」
 リョウは気色ばんだ。
「狂ってる……」
 リリィが小さく呟く。
「誰だって、どんな人だって誰かの大切な人なんだ。その人の命を勝手に
奪う権利は誰にもない!」
「絵麻の命で世界が救われるんだぞ?」
 いくら非難されても、Mr.PEACEはまるで悪びれなかった。
「全ての不幸は、『平和姫』が呼び出されれば終わる。内戦は終わる。私
の呪いも解ける。そして、誰もが幸福になれる理想郷が訪れるんだ。
 そのために差し出すのはたった1人の命。安いものじゃないか。
 お前達だって幸せになれるんだぞ?」
「誰もが幸福になれる? そんなわけないでしょう」
 翔はきっぱりと否定した。
「絵麻がいない世界では、僕らは幸せになれない。
 僕は幸せにはなれない!」
 Mr.PEACEは、翔の真っ直ぐな気持ちを嘲笑った。
「ハハ……。翔、お前は作り物である自分を何より恐れていたな。その気
持ちも作り物だとしたら、翔、お前はそれでも絵麻を守るか?」
「え……」
 翔が肩を震わせる。
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