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1.エマイユ=ウィスタリアという人物

「めぐる風、めぐる思いにのって……」
 女の子の声のやわらかいハミングが、第8寮のリビングに流れていた。
「あれ、ラジオつけてたっけ?」
 敗色濃厚なゲームのボードをにらんでいたシエル=アルパインが顔を上
げる。
「逃げるなよ?」
 対戦相手の琴南哉人が釘をさした。
「えー?」
「逃がすか100勝目」
「……そんなに負けたっけ」
 シエルはそれでもきょろきょろとしていたのだが、ラジオとは反対側か
ら声がすることに気づくと、そちらに視線をめぐらせた。
 そこでは、深川絵麻が窓掃除をしていた。
 午後の日ざしが、磨かれた窓を通して入ってくる。その光の中にいる絵
麻の横顔はどこかやわらいでいて、とても幸せそうに見えた。
「あれ、何か幸せそう」
「幸せなんじゃないの?」
 シエルは、いつの間にか自分の背後に現れた隼唯美を見上げた。
 彼女は、オモチャを見つけた時の幼い子供のように笑って。
「だって、ねぇ?」
 正面の哉人に話を振った。
「まあ、くっついてない方がおかしかったしなあの2人」
 哉人はボードに視線を落としたまま言った。
「哉人、その正面取れるよ?」
「アドバイスすんなって」
 負けがこんでいるシエルがムッとして言う。
「ああ……そこでもいいんだけど、次の一手でトドメさしてやろうと
思って」
 哉人は全く意に介さず、涼しい声で返してきた。
「なるほど」
「えっ?!」
 シエルが慌ててボードの自分の駒を確認する。
 その時、窓掃除を終えたらしい絵麻が3人に声をかけた。
「わたし、今から出かけるんだけど、留守番お願いしてもいい?」
「いいよ」
「どこ行くの? 買い物?」
 その何気ない質問に、絵麻はぱっと頬を染めた。
「……うん」
 何とかの情けで、その場は誰も何も言わなかったのだが。彼女が幸せそ 
うな表情で、時計を気にしながら出かけようとした時にシエルが口をはさ
んだ。
「絵麻」
「なに?」
「お幸せに♪」
「〜〜〜〜〜」
 絵麻はどさりと、持っていたカバンを落とした。
 頬がさっきより赤くなっている。
「……アンタの反応、マンガみたいね」
 そんな絵麻をみて、唯美がしげしげと言う。
「からかわないでよ……」
「時間遅れるぞ」
「あ、翔を待たせちゃう! 行って来ます!!」
 時計を確認した絵麻はそう言うと、ぱたぱたと出て行った。
「……最後の最後でボロ出したな。さすが絵麻」
 その後姿をしばらく見送ってから、哉人はボードに視線を戻した。
「反応が素直というのか、ポーカーフェイス下手というのか」
「でも、それでこそ絵麻って感じじゃね? ふわふわ平和そうで」
 結構ひどいことを言っているともとれるのだが、唯美は同意した。
「そだね。アタシ、絵麻にはずっとそのままいて欲しいな。絵麻は笑って
るほうがいいよ」
「だな」
「チェック」
 哉人の声が唐突に割り込む。
「ああっ?!」
「はい、100勝目」
「マジで1手でチェックすることないだろっ?!」
 シエルの抗議に、哉人は涼しい顔だ。
「スキだらけのそっちが悪い」
「この手にしたんだ。もう1手あったんだけど」
 ボードを眺めた唯美が追いうちをかける。
「えっ?!」
「いや? 実は3手あって、どれでさすか迷ったんだ」
「マジかよ……」
 シエルの情けない声に、2人の笑い声がかさなった。
 それは、平和な午後だった。
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