桜の雨が降る 5部4章5
「本日午後、七番倉庫にて行方不明になっていた男性三名と女性二名が保護されました。この事件は先月末から相次いで発生していた連続失踪事件と関係があるものとして、国家警察ではその場にいたジョン・F・フェルナンデス氏より説明を……」
事務所のラジオが夜のニュースを流していた。
優桜はウッドと二人で夕食を食べていた。サリクスは店を辞めることになったマイケルの穴埋めということで急遽店に出ていて、メリールウはマイケルとエリザの引っ越しの手伝いに行っている。
優桜が思ったように世の中は簡単ではなく、警察が動いてくれても、そこでめでたしめでたしに終わるわけではないのだ。優桜は警察が動いてくれれば全てがよくなるように思っていたが、そうではないのだという。マイケルはこれから、取り引きを台無しにされた借金取りから逃げなければ行けない。報復されてしまう。その報復から警察はマイケルたちを完全に守ってはくれない。
それでも今回、マイケルたちに対して警察はできるかぎりの力を割いてくれているようだった。主犯が身分ある人物だったため、このまま事件が繰り返され、大事に発展すれば一大醜聞だったということもある。他にはきちんと弁護士が入っているため、あまり無下に扱いすぎることができないようだった。今は優桜と食事をしているウッドだったが、ついさっきまで彼もまた外に出ていた。ウッドが法律事務所で懇意にしている弁護士にこの件を担当してもらえるように働きかけてくれたのだ。話を持ち込んだ優桜だけが何もできずに事務所で待っていた。
「でもまあ、穏便に片付いてくれたよな」
魔法瓶の保温力をもってしても冷めはじめたコンソメスープを飲みながら、ウッドが言う。
「未解決だった事件が解決して、悪質な借金取りの一味も捕まって、幻覚剤の売元の方にも手が伸びるし、こっちも紹介料でいくらかおこぼれに預かれるし」
「うん……」
優桜は元気なく頷く。この時間まで夕飯を食べなかったのに、目の前の薄切り肉を挟んだサンドイッチはあまり食べる気にならなかった。
「どうした?」
コップを置いたウッドが、意外そうに優桜を見る。
「え?」
「もっと得意げな顔してると思って帰ってきたのに」
「得意げ?」
そんな気分になるような事件だっただろうか。
「お前が適切な知らせ方をしたからいい結果になったんだぞ? 最初にメリールウやオレじゃなくてサリクスに知らせたから、説得してくれて自首してくれたんであって」
「サリクス……」
名前を聞いて、優桜の心は石のおもりをつけられたみたいに沈んだ。
「面接の機会をだめにしちゃったよ」
サリクスは当然だが、面接に行くことができず断る結果になった。そして、そこまでさせたのに、サリクスにいいことはひとつもなかったのだ。
「我が物顔でのさばってた悪人に罰が下ったのに? 優桜はそういうのが好きなんじゃなかったの?」
「サリクスは? サリクスだって悪いことしてないんだよ?」
優桜は言い募った。
「何も悪いことをしてない人にいいことがないのも、間違ってるよ」
「その何も悪いことをしてない人たちが、何人も助かったのに?」
「けど……」
ウッドは苛立ったような顔で息をついた。
「優桜。お前って何をしようとしてんの?」
「……悪くない人が苦しまないように」
エレフセリアとして動くことも同じ理由だ。ガイアは一生懸命に生きている人がとても暮らしにくい世界だから。
「事件に巻き込まれてた人は助けだされて病院に保護されたし、加害者には一通り制裁が入る。マイケルだって、これからは弁護士組合が決めてる避難場所に入れるし、姻族関係放棄の手続きが出来ることも教えてきた。そりゃ劇的な効果があるもんじゃないけどさ……落ち着いて本人たちにやる気があれば、繁華街じゃない仕事も紹介してもらえるだろ」
「サリクスにいいことがひとつもないよ。ううん、悪いことだけあった」
しかも、それをして欲しいと頼んだのは優桜だった。言葉にしたわけではなかったが。
「それは仕方ないだろう。巡り合わせが悪かったとしか」
「……」
微かに首を振り、俯いている優桜に、ウッドは憐れむように言った。
「優桜ってさ、大人になりたいわけじゃないんだな」
「大人になりたいよ! 大人だったらこういう時、もっといい解決方法を持ってるはずだもの」
反射的に優桜はくってかかった。子供がまだまだ知らない知識や方法で苦境を解決する、優しく頼れる存在。優桜がなりたい大人はそういう人だ。
「『大人』なら、サリクスには諦めさせる。それがいちばん利益が多い方法だから」
「利益って」
「悪人連中は尻尾が出てるうちに捕まえないと被害が広がる一方。連れ去られてた人たちは、ヤバい薬を使われたらもう真っ当な人生は送れない。マイケルだってもう戻れない。サリクスは、確かに今回は機会をふいにするけど、あいつなら絶対にまたいい機会が巡ってくる。この状況でサリクスを優先する理由は?」
優桜は首を振った。そうやって理路整然と並べられてしまったら、言い返す余地なんてないではないか。
「何かしようと思ったら、他の何かを切り捨てる必要はどうしても出てくるんだよ。今のガイアだって、貴族の利権だけ優先してるから国民が切り捨てられてるんだ。そういうのを何とか正したいとオレは思ってるんだけど。とにかく「一部だけにいいこと」じゃなくて「全体として何がいいこと」かを考えるのが大人だろう」
もう一度、優桜は首を振る。わかっている。この場合の最善だったことはわかっている。だけど、やりきれない。
「サリクスに謝らなきゃ」
ぽつりと呟いた優桜に、ウッドはコップを口に運びかけた手を止めた。
「優桜ってさ」
コツ、とコップが置かれる音がした。
「大人になりたいなんて言ってるけど、本当はいい子になりたいだけなんだな」
「いい子?」
「そう、いい子」
ウッドはソファにもたれて、足を組んだ。
「何が最善かじゃなくて、いい子だね、よくやったねって周囲から褒めてもらえるように動いてる。
そりゃそうだよな。いい子なら友達からも、お父さんからも、大好きなお兄ちゃんからも嫌われないもんな」
「――!」
侮辱されて、優桜は頭の中身が真っ赤に焼けた炭になったように思った。怒りにまかせて何か言い返そうとするが、なぜか唇は糊で貼り付けられでもしたように動いてくれなかった。顔だけが熱く火照る。
「だから、一番いい結果になったのにサリクスに謝ろうとしてる。あいつに嫌われたくないから。他の奴とは友達関係にないからな。嫌い嫌いって言ってても結局父親の言うことをきいちまうのだって似たようなもんだよ。子供だからお父さんはあたしのこと信じてくれない、みんな思い通りになってくれない、だからおとなになれば……ってすり替えの言い訳をしてさ。
本当は、自分で責任をとらなきゃならない大人になんか、まだなりたくない。違うか?」
「ちが――」
口を開きかけたが、優桜はその先を言えなかった。
違うと否定したい。でも、違うのなら優桜の今の気持ちにはもっと明確な真実があるはずで。
それはどこ? 今ウッドに言い返さなければならない真実はどれ?
そんなものはないのだ。だから優桜は顔が真っ赤になるほど激昂していて、口がきけなくなっている。
自分がひどく醜いものになりはてた気がして、優桜は俯いた。
「あのな。別にバカにしてるわけでも、叩きのめしたいわけでもないんだよ」
ウッドは口調をやわらげた。
「無理に頑張らなくていい。お前は今のままでいいんだから」
顔を上げた優桜と、ウッドの目が合った。彼の目の琥珀色は、ひどく薄い色に思えた。
「何もわからない世界に連れてこられて、全然勝手の違う場所で必死に頑張ってるお前の、一体どこが悪い子なんだ? いつ周りから嫌われるような悪いことをした? 確かに母親はやらかしたのかもしれないけど、それはお前じゃない。それであんたを嫌うような友達で、嫌うような兄ちゃんなのか? そんな奴と一生付き合いたいか?」
「それでもあたしが大人みたいに振る舞ってたら、周りは喜んでくれたよ」
優ちゃんは手がかからなくていいね。周囲の大人は母にそんなことを言っていた。
魚崎がしっかりやってくれるから助かる。学校の先生はそう言っていた。
「そりゃ誰だって言うこと素直に聞く奴の方が扱いやすいからな」
ウッドはあっさりと言い捨てた。
「大人にならなくていい、って言ってるわけじゃないぞ。結局、ある程度トシを食わないとどうしようもないってとこが大きいんだ。優桜は今のままでいいよ。このまま行けば、なりたくないって言っても何年も経たずに、オレたちなんかよりずっと素敵な大人になるさ」
ウッドは手を伸ばすと、魔法瓶からスープを優桜のコップに注いだ。
優桜にこんなふうに言う人は初めてだった。明水ですら、今の優桜のままでいいと言ってくれたことはなかった。明水はいつでも、優桜に目標のその先を目指させていた。
優桜はコップを両手で持ってみたが、熱くなかった。とっくに冷めている。それでも、いつもよりあたたかくて美味しかった。
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