桜の雨が降る 5部4章2
「えっ?!」
「ンな役に立たない文化のなんたらを読むんだったらそっち。俺だってガッコで習ったんだから、簡単な教科書くらいこれだけ大きな図書館だったら揃ってるって。それともベビーちゃんの学校では『知識つけずに常識つけろ』って教わらないのかな?」
文句のひとつも言いたかったのだが、この世界に大きな影響を落としているのは内戦だ。優桜が身に迫って感じられないことのひとつ。
基本的なことは一通りさらったつもりでいたが、もう一度復習するのもいい機会かも知れなかった。
優桜は図書館の職員に、初等学校で習う内戦について書かれた本を読みたいと聞いてみた。職員は数冊の本を見繕ってくれた。
内戦とは、ガイア国北部地域を占領下に置いた武装集団と国府との闘争を指す。始まったのは三百年前だというから、凄いという感覚を通り越してどこまで本当なのかが疑わしくなってしまう。圧倒的な武力を誇っていた武装集団に国土は蹂躙されるがままだったのだが、二百年前に武装集団側の首領が突如行方不明になったことで戦局が小康状態となる。
武装集団の首領は、自らを創世神話の「不和姫(ディスコード)」と称していたという。不和姫とは世界の覇権の争いに負けた闇の神が復讐として地上に送り込んだ、破壊を司る姫君の名だ。
創世神話のこの物語は、光の神の使者だった「平和姫(ピーシーズ)」が自らを不和姫と同化させ、滅ぶことで不和姫を世界から消滅させ終わりを迎える。ガイアの人にとって「平和姫」は救世主と同義語だ。
武装集団首領「不和姫」は深川絵麻とおぼしき女性に倒され、内戦は終結した。それが今から約二十年ほど前の出来事だという。彼女が「平和姫」と呼ばれたのは、創世神話で不和姫を倒した平和姫になぞらえてのことだったのだろう。
「どうして、英雄を名乗らなかったのかな?」
ぽつりともらした疑問に、サリクスが「いきなり何?」と返してきた。
「武装集団って、三百年も国が倒せなかった組織でしょう? そのボスを倒したんなら国民的英雄じゃない」
なぜ『偽りの平和姫』などと蔑称を与えられることになったのか。
「そういやそーだよな」
サリクスは指先でペンを器用に回していたのだが、やがて言った。
「フォルステッドって内戦からは助けてくれたけど、結局、大増税政策になっちまったから『余計なことしやがって』って認識になってるんだよな。国民全員が武装集団に殺される確率は少なかったけど、税金は確実に国民全員にのしかかるから」
サリクスはそう言って顔をしかめた。
「なんで大増税なんかやったの? 国を安定させるのが先じゃないの? 自分たちの部下を突撃させておいて、そうやってやっと平和にしたのに内側から崩すなんてひどすぎるよ」
そうやって挙げた内容のいくつかは、優桜の国だって同じようなものなんだけど。
「自分たちの部下っていうか……PCと国府って別モンじゃなかったっけ?」
サリクスは目を泳がせた。
「え? PCは国府の委託団体だから、同じものなんじゃないの?」
合ってる? と聞いた優桜にサリクスは「確かそんなもんだったけど」と首を傾げた。
「同じだけど微妙に別口なんじゃなかったか? エラい人って戦時中は壁に篭ってただけだから、うちの親兄弟は「守ってくれてるのは平和部隊様!」って言ってたけど」
「サリクスって……その、内戦のこと覚えてる?」
そう聞かれて、サリクスは首を振った。
「俺が物心つく頃には終わってたから、直接はっきりとは覚えてなくて親とか先生から聞いただけになる。家の中の雰囲気が違ってたのは少し覚えてるな。すごく暗くて……もうちょい上のうちの兄貴たちとか、ウッドだったら直に覚えてるんじゃないか?」
優桜の父も、祖父も戦争を知らない世代だ。彼らよりはるかに年若いサリクスがそう言うのは、優桜にとっては違和感でしかなかった。
「そうだ。確か平和部隊と国府って結局は別なんだよ。だから平和部隊側の人間で英雄扱いされてたフォルステッドを国府が引きずり下ろしたかったとかそんな都市伝説が」
「別なの?」
「誰が言ってたんだっけ。ホーチケンノイチジテキジョート、とかなんかで」
「法治権の一時的譲渡?」
サリクスは一瞬だけ真顔になったが、すぐに表情を笑みの形に崩した。
「やっぱりユーサってお嬢様なんだなあ」
「え? どうして?!」
笑われるような発言だったのだろうか。
サリクスはまだ笑いながら言った。
「俺の知り合いでこんな小難しいこと言うのはウッドぐらいだから、あいつから聞いたんだと思うよ」
「平和部隊は国府じゃないのね?」
優桜自身、この事をあまり考えていなかった気がする。もう一度よく噛み砕いてみようと、優桜は本に手をのばした。
平和部隊は、個人が興した自警団を発端とする民間の組織だったが、その手腕を買われ、王庭議会から法治権の一時的譲渡を得ることで軍組織以外にも警察や出版、郵便など一部の行政的活動も請け負い、的確な運営をしていた。このため民衆から絶大に支持を集めていたようだ。実際に脅威となっていた不和姫を倒したのだから、力のある組織だったのだろう。
しかし今、優桜が過ごすガイアの生活に平和部隊は関わってこない。
その理由は、内戦終了後に平和部隊が、譲渡されていた法治権の大半を国府に返還したからだった。内戦末期の争乱で当時の平和部隊総帥が死亡し、内部での統制が取れなくなったのが大きな理由だと書かれていた。現在も平和部隊は存続しているが、規模も小さくかつての繁栄と権力は見る影もない。
優桜が読んだ本には、それは幸運なことだったと書かれていた。武装集団の脅威が去った後にも平和部隊に法治権を与えたままであったなら、平和部隊は第二の武装集団となり、国府は倒壊したであろうと。
「平和部隊の隊員名簿とか、あるかな?」
「あるんじゃない? そこらの中小じゃなくって国から仕事委託される大企業なんだし」
カウンターに聞きに行こうと席を立ったところで、閉館前のアナウンスが鳴った。片付ける時間を考えると、これから図書館で調べるのはもう難しそうだったので、明日以降にするべく優桜は手元の用紙にそう書き付けた。サリクスも新聞を元の位置に戻してきて、二人は連れ立って図書館を出た。
「サリクスは今日、ご飯食べに来る?」
「シグたちと飲みに行く約束してるんだ。でもキャスからルーに渡してって頼まれた雑誌持ってるから、事務所まで行くよ」
「あたしが渡してあげるよ?」
遠回りでしょ? と優桜が善意で差し出した手に、サリクスは露骨に眉をしかめた。
「だーめ。俺が自分で行く。ルーに会いたい」
「いつも会ってるんじゃないの?」
「好きな人にはいつだって会ってたいに決まってるでしょ。俺はこんなにも本気なのに。なんでみんなして気づいてくれないんだよー」
優桜は一瞬、物凄く慌てた。
「だってサリクス、凄く遊んでるじゃない!」
「だから就職活動始めたんだって。って、いけね忘れてた留守録確認しなきゃ」
この辺に共同通信機ってある? と聞かれて、優桜は図書館のエントランスホールにひとつ設置されていることを思い出した。サリクスは足早に歩いて行くと、財布からカードのような物を出して操作を始めた。数分経つと、彼は喜び勇んで優桜の元に戻ってきて、ぎゅっと優桜の両手を握った。
「やった! 面接だ!」
「面接?」
話がつかめず目を白黒させている優桜の手を、サリクスはぶんぶんと揺さぶった。
「今までずっと経歴書だけではね付けられてたんだけど、面接に来てくださいって! 明後日の昼! 急いで面接のイメトレしないとっ」
「よかったね」
「さっき面接の本とか読んどきゃよかったなー。でも経歴書書くより話すほうが俺は得意だし」
確かにサリクスは会話が物凄く上手だ。
よかったなと心から思いながら、優桜は頷いた。
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