桜の雨が降る 5部4章1
5部4章 シロップの苦さ
優桜は図書館の前で、サリクスを待っていた。
昨夜、もうベッドに入ろうかという遅い時刻に、サリクスから連絡があったのだ。滅多に鳴らない通信機が鳴って、メリールウが出た。相手がサリクスであることはすぐわかったので、優桜は若干眉を寄せながら先に寝てしまおうとしたのだが、メリールウは優桜に通信機を差し出した。
「ユーサ、サリクスはユーサにご用事だって」
「あたし?」
疑問に思いつつ通信機を受け取る。
「もしもし」
「えっ、何それ」
そういえば、こちらでは言わないのだった。優桜は慌てて「魚崎です」と付け足した。
「……ユーサなんだよな?」
「はい」
「そういえばユーサ・ウォザキっていうんだっけ?」
発音がかなりおかしい気がしたが、通信の向こうはだいぶ騒がしい。グラスがぶつかる音と女の子がはやし立てる黄色い声が聞こえてくる。
「サリクス、もしかしてお店からかけてる?」
「俺は休憩時間だよ。だから愛の語らいには全然問題なし!」
「……あたしはもう寝るところなんだけど」
「遅い時間に悪いな。講座から直で店に入ったから家からかけれなくって。手短にすませるから」
急に謝られて優桜はびっくりした。
「どうしたの?」
「図書館に行きたいんだけど、俺あんまり仕組みわかってないんだわ。ルーから『ユーサだったらずっと行ってるよー』って聞いたから、よかったら教えてくれない?」
「それは別に構わないけど」
そういう理由でメリールウではなく優桜を指名してきたのか。
そのあと都合を聞かれて、待ち合わせの約束をするとサリクスはすぐに通信を切り上げた。そして約束した日である今日に話が戻ってくる。優桜は非番だったがメリールウはそうではなく、彼女は朝ご飯を食べると「サリクスによろしくねー」と手を振って出かけていった。
「お待たせ。遅くなってごめんな」
声をかけられてそちらを見ると、サリクスが立っていた。服装のことを何も言わなかったので優桜は内心身構えていたのだが、この前のカーゴパンツと、色つきではあったが襟のあるシャツ姿で良識的な来館者の格好だった。
「え? もうそんな時間?」
優桜は図書館の外壁の時計を見上げたが、まだ約束の時間ではなかった。優桜には刻限よりかなり前に行動する癖がある。
「女の子を待たせるのは紳士としてあるまじき行為でしょ」
「そういえば、サリクスってほとんど待っててくれてる? あたし、メリールウが遅いんだと思ってた」
「ん? ルーは時間ギリギリになることあるけどちゃんと約束守るよ? これない時は誰かに伝言してるし」
「だよね」
優桜はサリクスと連れ立って図書館に入ると、最初にメリールウから聞いた時のようにカードを作る手順を教えた。といってもサリクスがガイアの書類の読み書きに困ることはないので、手続きの場所を教えただけだ。
「……これって別にあたしいなくてもいいんじゃ?」
「そんなことないよ。新聞の場所教えてくれる?」
新聞は当日のものはカウンターに申し込む必要があるが、前日より前のものは書棚から来館者が自由に出してくることができる。
「新聞読みにきたの?」
「そうだよ。家では取ってないし、店のは芸能日報だから役に立たないし」
今日のぶんを借りてくる、とサリクスがカウンターに行ったので、優桜はいつもするように調べたい本と辞書を出してきて、これもいつもと同じ机に陣取った。だいぶ慣れてきたものの、慣れ親しんだ言葉と全く違う言語で書かれた書籍はまだまだ読みにくく、悪戦苦闘しているうちに気づくとサリクスが自分の向かいの席に座っていた。真剣に新聞を読んでいる。
「サリクスって新聞のどこを読みたかったの?」
「ん? 求人情報」
存外にまともな意見だった。
「ユーサは何を読んでるんだ?」
「平和姫のことを調べたいんだけど、情報が少ないからガイアの歴史とか文化とか、とにかく自分が知らない事の本」
「それはまた随分と手当たり次第だな」
サリクスは優桜が手にしている本を見て渋い顔をした。三百ページ以上ありそうな文化に関する辞典だったからだろう。
「なあ、もっとカンタンな本ってないの?」
「あったらこんなの探さないよ」
「それって平和姫にターゲット絞ってるからだろ? ピンポイントの資料じゃ確かに難しくもなるんだろうけどさ。自分が知らない事に飛び込んでいくだけじゃなくて、少し知ってることから広げてもいいんじゃねえの?」
優桜が本から顔を上げると、サリクスはまだ渋い顔をしていた。
「ルーがいっつもお前のこと心配してるんだよ。このままじゃユーサが疲れちゃうよって。そりゃこんな難しい本ばっか読んでりゃ疲れもするわなあ。俺たちより頭いいから処理も速いんだろうけどさ」
そう言ってからサリクスは手元の新聞に目を落とすと、持ってきていた手帳を出して番号のようなものを書き留めていた。意外なくらいにしっかりした造りの、ウッドが持っている方が似合いそうなシステム手帳だった。
「そんなこと言われても困るよ」
「どういうこと調べたいの? 平和姫?」
「いちばんはそれだよ。平和姫っていうか、深川絵麻の行方」
「フカガワねえ。フカガワ・ショウヘイだかなんだかって学者がいなかったっけ?」
「うん。いるよ。でも名前はショウだったと思う」
最初の頃、深川という苗字を頼りに調べた時に出てきた人物のひとりだった。力包石の研究者で、十五年ほど前に力包石の力を応用した小型機関を提唱・開発して内戦で手足を失った人の義体技術に貢献したのだという。
「でも、その人は男の人。ウッドも関係者は深川を名乗ってないんじゃないかって」
悪い意味で知れ渡ってしまった名前を使い続けるはずがない。ガイアも日本と同じく、女性は結婚すると男性側の姓を名乗る。それを利用して名を変えているかもしれない、とウッドは言っていた。
「名前からは無理か。まあ内戦当時じゃ情報も混乱してるだろうしな」
「内戦って、そんなに情報がおかしくなるの?」
優桜のその問いかけに、サリクスは顔をしかめた。
「なるよ。平和部隊の総帥はまことしやかな内部暗殺説が流れたって未だに話題になってるし。そんなに偉くなくても行方不明になった人だって田舎の兄ちゃんの友達とか同級生の父親とか親戚とか、身近に山ほどいたさ。うちの田舎でコレだから、山越えて北の方はもっと酷かったんじゃないか?」
「北の方がひどかった……のよね?」
「ユーサ、お前今日は戦史の勉強」
きっぱりと言い切ると、サリクスは新聞を立てて顔を隠した。
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