桜の雨が降る------5部3章8

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 優桜が食べ損ねたと思ったホットドッグは、メリールウがちゃんと優桜とウッドのぶんを買っておいてくれて、座れそうな場所を探して外で食べた。冷めてしまっていたのが残念だったが、肉汁が溢れ出てくるソーセージは行列のできる店だというのが納得の味だった。
「ウッド、もしかして疲れてる?」
 メリールウの声で、優桜はウッドを振り返った。
「え? どうして?」
「だって、ぜんぜん食べれてないよ」
 優桜はとっくに食べ終えてしまったホットドックが、彼の手にはまだ半分以上残っていた。
「おなかいっぱい?」
「そうだなあ。さっき食べてからそんなに時間が経ってないからな」
 帰ってから食べるよと、ウッドは食べかけのホットドックを包みに戻し、持っていた紙袋の中にしまった。
「トシだねえ」
「七年後に同じ台詞が言えると思うなよ」
 茶化したサリクスのことを、ウッドが呆れたように横目で睨んだ。
「もう帰る?」
「お前らはもう見たいもの見れたの?」
 うんと、メリールウが頷いた。そのあとで「ユーサは?」と聞かれたので、優桜もはいと首を振った。
「それじゃ、夕飯でも調達しながら帰るか。サリクスは夕方どっか遊びに行くの?」
「今日は出歩かずに早めに寝るよ」
「四人分?」
 そうなるなと言われて、メリールウが無邪気に喜んでいた。優桜は膝に少しだけ落ちていたパンくずを払うと立ち上がった。混雑していた壁前市の通路も、午後を回るとだいぶ歩きやすくなっていた。
 優桜はウッドと並んで歩きながら、周囲の店をちらちら見ていた。販売だけではなく、ミニゲームの屋台もあったようで、水風船が浮かんだ大きな金だらいがいくつか並んでいる店先があり、敷物を長く敷いた先に円い筒がいくつも並んでいるものもあった。優桜が知っているいちばん近い物はボーリングだろうか。
 その時、少し先をサリクスと歩いていたメリールウが足を止めてはしゃぐ声がした。追いついた優桜が覗くと、メリールウが見ていたのはダーツの屋台のようだった。店先にふわふわした毛皮のぬいぐるみが並んでいる。
「かわいいねぇ」
 メリールウはその中の一匹の頭を撫でて笑っていた。白くて長い耳をしたそれは、優桜にはウサギに見えた。
「ルー、それ欲しいの? とったげよっか?」
「いいの?」
「任せなさいって」
 サリクスは腕まくりすると、財布から硬貨を取り出して店番らしい茶髪の若い男性から金色の矢と交換してもらっていた。
 サリクスは拳銃を使うから、的に当てるのは上手いのかなと優桜は思っていたのだが、そういうわけではなく早々に全てを外していた。
「……もう一回」
 二回目もことごとくハズレに終わった。店番の若い男性から「兄ちゃん、このままじゃ姉ちゃんのハートも仕留め損なうよ」と野次が飛ぶ。それに対してサリクスは「そっちはもうとっくにオレのもんだから大丈夫」と笑いながら返して、周囲で足を止めていた野次馬まで笑わせていた。サリクスは人との距離の取り方が絶妙だと優桜は思う。
「もう一回やる」
「サリクス、あたしはぬいぐるみがなくてもだいじょぶだよ?」
 メリールウは止めていたが、それでもサリクスは硬貨を渡して矢と交換してもらっていた。
「ちょっと貸してみ」
 その矢の一本を、いつの間にか横に来ていたウッドが抜き取った。
「え?」
「ただやみくもに数だけ投げても当るわけないだろ。重心を探してさ」
 サリクスの手から抜き取った一本のダーツを人差し指の先に乗せて、ウッドは「微妙に歪んでるな」と眉をしかめた。
「こうやって持って。手と的と肩と目線が一直線になるように……」
 ウッドは言いながら、軽い仕草でダーツを投げた。思いがけなく鋭い音をたてて飛んだダーツは、見事に的の中心に刺さった。おお、と周囲がどよめく。
「あそこに刺さったらそのぬいぐるみ貰って良いんだよな?」
 どうぞと言われ、ウッドは無造作にウサギのぬいぐるみの頭をつかむと、メリールウに渡した。
「ありがと!」
「えっ、何でお前そんなに上手いの?!」
「その昔、接待ダーツが大流行したんだよ」
 ウッドが大仰に息をつく。
「残りの奴でがんばって当てろよ」
 ウッドにそう言われ、サリクスはウッドがやっていたとおりに投げたのだが、かろうじて一本が的のいちばん外側に刺さっただけだった。店員は苦笑いしながら、駄菓子がいくつか入った袋をサリクスに渡していた。残念賞だろう。
「せっかくだからユーサにも当ててやろうと思ったんだがなあ」
 サリクスが悔しがっていたので、優桜は「あたしは別にいらないよ」と言っておいた。実際、優桜はそんなにぬいぐるみが好きでない。
「ねえねえユーサ、これはんぶんつしよ?」
 メリールウはそう言ってぬいぐるみを差し出してきたが、優桜は同じ言葉で辞退した。それを聞くと、メリールウは腕の中のウサギのぬいぐるみの頭に、ぽふりと自分の顎を乗せた。白い毛皮と、褐色の肌と、僅かに覗いている赤い髪の組み合わせで、優桜は苺のチョコレートショートケーキを思い出した。母の得意料理だったのだ。
 ぐる、と優桜のおなかが鳴って、メリールウとサリクスに大笑いされた。
「ユーサ、もうおなかすいちゃった?」
「……成長期だもん」
「じゃ、夕ご飯はいっぱい食べれるのにしようね!」
 そんな話をしながら、四人は会場を後にした。

*****

 夕ご飯を食べてアパートに戻ると、優桜は壁前市で買った品物を紙袋から出し、メリールウに聞きながら整理をすることにした。
「ユーサ、自分の何か買った?」
「絵本を買ったよ」
「絵本?」
 メリールウが意外そうに目をぱちぱちさせる。
「なんで?」
「なんでと言われても……気になったから?」
 ユーサってばヘンなんだからと言われ、優桜は頬を膨らませた。子供っぽいと気づいてすぐ止めたが。
 メリールウが買ったマグカップを洗ってくれたので、お茶を入れた。いつもと同じ安いお茶だったが、しっかりとしたカップのおかげか冷めるのが遅く、美味しい時間が長いように思えた。お風呂に入る順番を、優桜は頑としてメリールウが先と言い張ったのだが、何の意味があるかはメリールウは多分わからなかったと思う。
 優桜はボール箱を出してくると、絵本をテーブルの上に広げた。
 数は多くなく、全部で三冊だった。いちばん上にあった『おひめさまとおうじさまのものがたり』を優桜は手に取った。
 表紙を開くと、薄緑色の紙を一枚はさんで物語が始まった。音楽を好む朗らかな村娘が主人公だった。村はずれで妹と二人きりで暮らす娘は身分いやしく貧しかったものの、同じような境遇の心温かな人たちとともに幸福に暮らしていた。
 成長した村娘は、ある日土地の視察にやってきた王子様と出会い、ひと目で恋に落ちた。彼はえらい王様のひとり息子で、何不自由のない暮らしをしているはずだが、ひどく悲しそうだった。村娘がその理由を問うと、王子様は『昔、悪い魔法使いが、この国の王様になる人に愛する人を失う呪いをかけた。誰かを好きになるとその人を死なせてしまうから、だからずっとひとりでいるしかない。それが悲しい』と語った。
 村娘は笑って答えた『そんな悲しいことを言わないで。わたしは貧しい暮らしに耐えられる頑丈な村娘です。呪いになんて殺されません。王子様とずっと一緒にいます』と。
 こうして王子様の心を得た村娘は花嫁となり、お姫様になった。
 淡い色鉛筆の線で描かれた、花吹雪が舞う婚礼の場面は、幸福の絵というものが存在するならまさにそれだと言えた。ここで終わりなんだと優桜は思ったのだが、絵本のページはまだ続いていた。
 お姫様と王子様は幸福に暮らし、時が過ぎて王子様は王様になり、二人の間に生まれた息子が王子様になった。二人が三人になって幸せがまし、王様になった元王子様に悪い呪いをかけた魔法使いは、その幸福な様子を見て、時は至ったと呪いを発動させた。
 ある時、お城で式典が行われた。バルコニーに王様とお姫様が並び、眼下の民衆たちから祝福を受けている。王様と民衆たちを守るため、その周りをお城の兵隊たちがぐるりと取り囲んでいる。その中に、魔法使いにそそのかされた悪い悪い兵隊が紛れ込んでいた。兵隊は手にした聖銃を構えると、狙い違わずお姫様の額を撃ち抜いた。
「こうしてお姫様はいなくなりました。好きな歌を歌うことも、王様と王子様の名前を呼んでくれることもなくなりました。王様はあまりに悲しくて、とうとう狂ってしまいました」
 この一文を読んだ優桜はびっくりした。あたたかな絵柄と文章だったから、こんな悲劇的な展開を迎えようとは思わなかったのだ。村娘が呪いを受けた王子様と恋に落ちれば、呪いが解けてめでたしめでたし、となるのが物語ではないのか。
 どうなってしまうのかと優桜は半ば焦りながらページを繰ったのだが、そこに続きはなく、表紙を開いたときと同じ薄緑色の紙があっただけだった。ひとつ違ったのは、紙の下の端に「続く」と小さく書かれていたことだった。
「えっ?!」
 思わず声が出た。ひっくり返して裏表紙を見てみたが、何も描かれていなかった。
 では、ここでおしまいなのだ。続くとなっているのだから続きが他にあるのだろうが、この絵本はここで終わりだ。
 優桜は箱の中の残り二冊を取り出した。この二冊が続きで、そこでは幸福な結末を迎えるのかもしれない。だが、片方は雨の日に学校の友達とケンカをした女の子が虹を見る話で、もう片方は初めてのおつかいに出た小さな子が大事な銀貨を落としてしまう話だった。女の子は虹のふもとで見つけた紫陽花の花を持って友達と仲直りに行き、小さな子は親切な店員が銅貨で品物を売ってくれ、銀貨は老人が店員に届けてくれる。絵柄から想像されるとおりの、あたたかくどこか懐かしい話だった。
 どうして、ひとつだけ作風が違うのだろう?
 優桜はもう一度表紙に戻った。王冠をかぶった笑顔のお姫様の頭上にタイトルが書かれている。小さな字で、隅の方に作者と思われる名前があった。それは「イブ・ロンド」と読めた。
「それ面白かった?」
 急に真後ろで声がして、優桜は思わず本を取り落とした。いつの間にかメリールウがすぐ側にいた。風呂上がりなので、普段はくるくるとあちこちに広がっている髪がぺたんこの真っ直ぐになっている。
「? ユーサってあたしがお風呂上がりだと凄くびっくりするね」
 はじめてメリールウのこの姿を見た時には物凄くびっくりしたのだった。少しでも髪が乾けばすぐにいつものふわふわに戻るのだが。
「お風呂、入っておいで。そんでもってすぐ寝るんだよ? 明日からまた調べ物するんでしょ?」
「うん」
 優桜は頷くと、テーブルに広げていた本を箱の中に戻した。
 明日は仕事だから、終わったら図書館へ行こう。でも、いちばんに調べるのは平和姫でもガイアのことでもなく、この絵本の続きだ。
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