桜の雨が降る------5部3章7
「優桜?」
振り返ると、なぜかウッドが立っていた。壁前市に似合わない、きちんとしたスーツ姿で、手に紙袋を提げていた。
「ウッド?! どうしたの?」
待ち合わせ場所はここではなかったはずだし、時間だってだいぶ早い。
「あっちのゲートから入る方が早かったんだよ」
ウッドはさっき優桜が壁の前に出てしまった方向を指した。気づかなかったが、そちらもゲートになっていたらしい。
「? 優桜お洒落してる?」
ウッドは不思議そうに言って、優桜の髪に結んだ水色のリボンを指した。
「いつものと違うよな。かわいいよ」
ウッドからも褒めてもらえて、優桜は少し照れくさくなった。本当は他の化粧のことを話したかったのに、全く別のことを聞いていた。
「用事、もうすんだ?」
「ああ。あとはオレがいなくても平気」
そういうものなのだろうか。優桜は見合いという言葉こそ知っているが、実際に見合いをしたことも、同席したこともないのでどういうものなのかはわからない。ドラマはお見合いをする主人公とお相手の様子は映してくれても、その後に帰宅する場面はやってくれなかったように思う。
優桜はウッドの隣に並んだ。
「お前、何で一人なの? メリールウは?」
優桜は食事を買いに来て、人混みにまぎれてはぐれてしまったことを話した。
「なんというかまあ……お前らしい」
「ベビーちゃん、って言いたいんでしょ」
拗ねた優桜に、ウッドは今度は誤魔化すことなく失笑を見せた。
「今頃メリールウが大慌てで探してるぞ。騒ぎになる前に合流しないと」
行くぞと言われて、優桜は慌てて後を追った。優桜はウッドを背が高いと思ったことがあまりない。普段座っているところばかり見ているせいかもしれない。しかし、すぐ側で背中を見上げていると、やはり明水やサリクスと同じく大人なんだなと感じた。ガイアに来ることがなければ、ウッドやサリクスのような余所の大人の男性と付き合う機会は当分訪れなかっただろう。
見失わないようにしていたのだが、少し他のことを考えたらまた人混みに飲まれそうになっていた。この中では目立つスーツを懸命に追いかけようとするがもみくちゃになる。見失ったと思った直後、反対側から腕を引っ張られて引きずられた。
「! なに――」
人混みから少し外れた場所だった。自分の腕をつかんでいる相手を睨み付けると、呆れたような顔のウッドがそこにいた。
「どうやったらこんなにはぐれそうになるんだよ?」
優桜は彼を見上げて、所在なく首を振った。方向音痴だったことは今までなかったのだが、ひょっとしたら発覚しなかっただけかもしれない。知らない場所に行くときはほとんど両親と一緒か、明水が側にいてくれた。
「取れそうになってるぞ」
急に言われて、優桜はきょとんとウッドを見返した。彼の視線は優桜の首のところにあった。何かつけていたかと探ると、ペンダントが手の中に滑り落ちてきた。
「えっ」
確認すると、鎖がひとつ、緩んで外れていた。
「人混みで引っ張られて壊れたんだな」
「落ちなくて良かった」
優桜はぎゅっとペンダントの青い石を握りしめた。現代と――明水兄ちゃんとつながっている唯一のもの。無くしてしまったらどうなってしまうのか想像もつかない。
「鎖って宝飾屋さんで売ってるのかな」
そう言ったものの、優桜の給金は生活することをぎりぎりで満たす額であり、宝飾屋で売られている品物はたとえ断食したとしてもすぐに手に入れるのは難しい。
「……ウッド、事務所に工具とかある?」
「自分で直すの? そういう鎖はちゃんとした奴を選んだほうがいいぞ」
「うん……」
曖昧に頷いた優桜をウッドは少しの間見下ろしていた。くしゃくしゃと前髪をかき回してから、何を思いついたのか視線を巡らせると、急に人混みとは逆の方向に歩き出した。
「ウッド?」
優桜が追いかけると、ウッドはひとつのスペースの前にいた。そこも本職の店が並んだ一角だが、食品ではなくアクセサリーを扱っているらしい。色とりどりの品物が午後の陽光を反射していた。
「ペンダントの鎖は扱ってる?」
ウッドの問いかけに、店番の女性は笑顔をのぞかせると「こちらになります」と商品の一角を手で示した。優桜が覗き込むと、金色と銀色の色違いの鎖が丸い芯に巻き付けて置いてあった。こんな置き方をしていいのかと思うくらいに綺麗で、本物の金銀に見えた。
「これ、切り売りしてもらえる? 留め金は別?」
「すみません、留め金はお店の方にいかないとつけられないんです」
「留め金ついたのって今はない?」
「こういうものになりますけど」
店員はそう言って、中央に置いてあったガラスケースの中からペンダントを出してきた。デザインは優桜の持っているものと似ていたが、優桜のものよりずっとしなやかで輝いてみえた。
ウッドは傍らで覗き込んでいた優桜を振り返ると、言った。
「これでも構わないか?」
「え。えっと……」
優桜は慌てて値札を読もうとしたが、ウッドはそれを遮った。
「値段を気にするって事はこれでいいんだな?」
「いや、良くても値段を見なきゃ買えないでしょ」
優桜はそう言って値札を読もうと試みたのだが、読み終わる前にウッドは店員に「包んでください」と言っていた。
「ちょっと、あたしまだ値段わかってない」
「いいよ。オレが出すから」
「え?!」
その言葉通り、ウッドは財布を取り出していた。
「お前にはちゃんとした格好をしといてもらわないとオレが困るんだよ」
さらりと言われて、優桜は思わず頬を熱くした。包装をしている店員が微笑んでいるから、尚のこと恥ずかしい。
ウッドは紙幣と引き替えに手にした細長い包みを、優桜に手渡した。
「後で良いから変えておいてくれ」
「あの……ありがとう。でもいいの? すっごく高かったよ」
「そりゃ、お前の格好次第で組織の格が違ってくるんだから多少は出すよ」
ちゃんとした格好、はそういう意味だったのか。
優桜はちょっと落ち込んだのだが、そのあとで今度は「何で落ち込んだんだろう」と考える羽目になった。
別にウッドのことなんか何とも思っていないのに、彼が結婚したらもうこんな風に一緒に歩いて、宝飾品の店を二人で覗くこともないのだと思うと、胸の中が寂しさに傷んだ。
この世界でずっと面倒を見てくれた、半分くらいは兄のような立ち位置の人だったからだろう。明水に抱く気持ちと少し似ているのもそのせいだ。だから落ち込んだのだろう。優桜はやや強引に自分を頷かせた。
「組織の体裁ってよく言うけど、あたし、メリールウたち以外の人に会ったことないよ?」
組織の代表として、外部の人に話をする機会は何度もあった。しかし、メリールウとサリクス以外の組織の内部の人間に引き合わされたことがない。ウッドはいつも「時期尚早」とだけ言っていた。
「ここで話すのはマズいだろ」
朝、優桜がメリールウたちと入ってきた入り口の方に歩きながら、ウッドは言った。
「帰ってからな」
言葉は違うけど、いつもと同じ展開になった。程なく待ち合わせ場所に着いてしまったので、優桜はその後を聞くことは結局できなかった。
「あっ、ユーサ! ユーサ!!」
こちらを見つけたらしいメリールウがぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振っていた。その手が当たりそうになって、サリクスが苦笑いしている。
「よかったあ。急にいなくなっちゃったからびっくりしたんだよー」
「ごめんね。人混みで見失っちゃって」
「心配させんなっての。これだからベビーちゃんは」
「それもうオレが言っといた」
ウッドのこの言葉でサリクスとメリールウが遠慮なく笑い出し、優桜は憮然としたのだが、反論のしようがなく、結局自分もちょっとだけ笑った。
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