桜の雨が降る------5部3章6
壁前市は本当に凄い賑わいだった。優桜たちは人の流れに乗ったり時々逆らったりしながら古着を見たり、サリクスの知り合いだという怪しげな機械売り(優桜が想像するに、正体は銃のディーラーだろう)と話したりしながら会場を回った。昼近い時間になっても人混みが途切れることはなく、むしろ増えてきていた。
「ユーサ、早く早く。ゴール・ドゴールのパンはあっという間に売り切れちゃうんだよ」
広場の時計を見上げたメリールウが、優桜をそうやって急かした。その店の名前は優桜も食堂で聞いたことがある。中央首都でも特に賑やかな表通りに店を構えているはずだ。
「急ぐか。あそこは数がないもんな」
壁前市には、本職の商店が出張所のように店を出す一角が設けられているそうだ。店によっては、この市でのみ販売する商品もあり、それを目当てに多くの人が集まる。
メリールウとサリクスはこの人混みに慣れているようだったが、優桜は彼らほどではない。肩や腕が容赦なく優桜に当たってくる。剣道をやっている優桜がぶつかり合いを怖がるはずがないのだが、道場ではないせいかどうしても気後れしてしまった。
「あれ?」
気がついた時には、自分の周りにはメリールウもサリクスもいなくなっていた。見知らぬ異邦人たちが押し合いへし合いをしていた。
「メリールウ? サリクス?」
しばらく優桜は、メリールウの特徴的な赤い髪が見えないか探したのだがみつからなかった。少し経って、優桜は今日はメリールウが帽子を被っていたことを思い出した。肌を隠すようなコート姿だったことも。思わず肩が落ちる。
一度人混みから逃れて、携帯電話を出そうとしてすぐに止めた。通じるわけがない。二人が行った先はわかっているのだから、たどり着けば待っていてくれるかもしれない。そう思って優桜は深呼吸すると、再び人混みの中心点に挑むことにした。押しのけ掻き分けるようにして、人混みの向こう側を目指す。
優桜は高校一年生の平均より背が高めなのだが、ガイアの大人、それもさまざまな人種が混ざった人混みの中では頭一つ小さかった。背伸びをしても向こう側は見えず、そんなことをしている間に背を押され足を踏まれる。流されるようにしてようやく人心地つけた所は食品の屋台前とは正反対の、あのそそり立つ壁の前だった。
「え?」
慌てて引き返し、再び押し合いへし合いの戦場に身を投じ、何とか目的の店の前までたどり着いたものの壁前市特別のホットドッグの販売は終わっていた。挙句に両隣の屋台の客が販売終了の張り紙の前に列を作っていたので、優桜はそれを知ったのはかなり後だった。周囲を見回してみたが、メリールウもサリクスも見つからない。
こういう場合はどうしたらいいのだろう。現代なら携帯電話があるから、忘れてきたとか充電切れでなければすぐにつながって、相手が今どこにいるのか確認ができる。ところがガイアにはそれがない。
持っている時は特に何とも思わないのに、いざ使えなくなると物凄く不安になる。
人の流れに押されるようにして、優桜はその一角を後にした。立ち止まっても問題のなさそうな場所で息を整える。こういう時は、どうしようか?
「遠慮なく見ていってね」
声をかけられて、優桜はびっくりして飛び上がった。そこは端切れのパッチワークが敷布代わりに広げられた店の前で、焦っていたせいなのか優桜はそのことに気づいていなかった。
店員は縮れた黒髪の女性だった。年の頃はウッドと同じくらいか、少し上になるだろうか。落ち着いた愛想の良さが若者のものではなく、中年と呼ぶには夢を見ているような目をしている。
敷布の真ん中には木の丸椅子が置かれ、敷布の左側には正月の百人一首大会のように色とりどりのポストカードがずらりと並んでいた。右側にはこれもずらりと本が置かれている。種類も評論からコミックまで様々だった。椅子の上にスケッチブックが置いてあり、そこには手描きのカラフルな飾り文字で「似顔絵描きます」と記されていて、下に値段が書かれていた。どうやら人数で金額が変わるようだった。
「お嬢さん、どう? 美人だからきっと描きがいがあるわ」
優桜は慌てて首を振った。一人分でも結構な値段だったのだ。ちょっとした夕飯が食べられてしまう。
「そう?」
女性はがっかりしたように肩を落とした。
優桜が読むために真剣に見ていたから、気があると思われたのだろうか。何だか悪いことをしたような気がする。
「カードもご自分で描かれたんですか?」
優桜が尋ねると、女性は笑って首を横に振った。
「これはあたしだけではないのよ。あたしとダンナと友達。絵筆だけじゃ食べていけない仲間が、少しでも糊口を凌ごうって作ったの」
だからよかったら買っていってねと、女性はちゃっかり付け足した。
「一番前がダンナので、次の列があたしの。そこから後ろは友達の。ダンナと友達は今買い物に行ってて、あたしは店番」
「みんな似顔絵描きさんなんですか?」
「似顔絵はあたしだけね。ダンナは絵本を描くの。そこに並べてあるのがダンナの本で、隣は友達の。世界でひとつの手作り品……なんて、印刷所に頼む余裕がないだけなんだけど」
女性は丸椅子の右側にある一角を示した。古本だとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
順番に見ていって、優桜は最後に、いちばん端に置かれたボール箱を覗き込んだ。
そこには優桜が学校で扱い慣れたノートと同じ大きさの絵本が数冊収められていた。それだけだったら、特に何とも思わなかっただろう。
優桜の興味を引いたのは、いちばん上に乗っていた絵本のタイトルだった。
『おひめさまとおうじさまのものがたり』
優桜は平和姫と不和姫について調べている。姫と名のつくものがこの世界には案外少ないのと、有力なキーワードでもあるので見かけたら調べるようにしていた。難しい神話の本はまだまだ難しいが、絵本なら容易に読めることが多い。もちろん、この姫は平和姫でも不和姫でもない、ただのお姫様という可能性は高いが。
「その本、ダンナの亡くなった友達が作ったのよ」
熱心に見ている優桜に気づいたのか、女性が解説してくれた。ここは正規の店の出張店舗が並んでいる一角とちょうど反対側で、人通りが少ない。客が嬉しく、逃したくないのだろう。
「あたしはちらっと知ってるくらいの仲なんだけどね、地方出の子で、最初はそんなに上手くもなかったんだけど、誰よりも作ることに熱心だったから、話も絵もあっという間に仲間の誰より上手くなって。賞だって、いくつももらってね。みんなが「アイツにはかなわないよな」って笑えるくらいに腕も性格もよかったのよ。結婚もして、プロデビューまでもうすぐってとこまで行ってたのに……カミサマって残酷よね」
女性は吐息で話をしめくくった。
「急に入院したなって思ったら、半年寝付いただけであっさり。もう十年近く前なんだけど」
優桜は複雑な思いでその絵本を見下ろした。ガイアでは伴侶というものは、ずいぶんあっさりと大切な人の側を離れて行ってしまうようだった。
結婚をしたら、一生の間ずっと一緒にいるというのが優桜の認識だった。その間は苦しいことやしんどいことがあってもそう簡単に離れられない。そのぶん、喜びや幸せもある。優桜の考え自体が子供じみた夢を見すぎていると言われればそれまでだが。
王冠の女性が描かれた表紙の絵を、優桜は格別に上手いとは思わなかった。けれど、その絵にはふしぎな温もりがあって、女性が制作者を手放しに褒めた理由がわかるように感じた。読んでみたいなと、そう思った。
「この本、いくらですか?」
女性が告げたのは優桜でも充分に支払える額だった。ボール箱ごともらうことにした。
会計の時、優桜は聞いてみた。
「ずっとここでお店出してるんですか?」
「ダンナと友達と交代でだけど、今日は最後までいるわよ?」
「金髪の男の人と、帽子をかぶった女の子の組み合わせを見ませんでしたか?」
女性は少し考えてから首を振った。
「それだけだとわからないわ」
「褐色の肌で赤い髪だから、目立つと思うんですけど」
「褐色の肌?!」
今まで愛想がよかった女性の声がいぶかしげに跳ね上がる。優桜はびっくりしてボール箱を持った手をひっこめた。
売り子の女性は呆れたように顔をゆがめた。
その表情の変化が、優桜にはひどく悲しかった。優桜は女性を見ないよう俯いた。
「あたしは見てないわよ。見てれば覚えてるでしょうし。あなた、その人とはぐれたの?」
優桜は無言で、微かに顎を上下に動かす。
「待ち合わせ場所を決めてないの?」
その様子が、ガイア人には不憫に見えたのだろうか。彼女の声は先ほどよりやわらかかった。
女性の言葉で、優桜はウッドと待ち合わせをしていたことを思い出した。時間は早いが、待っていれば誰かとは合流できそうだ。
「思い出しました。ありがとうございました」
優桜が丁寧に頭を下げると、うさんくさそうにしていた女性は少し表情を和ませた。優桜が客だと思い出したのかも知れなかった。
何とか位置を割り出そうと、優桜はホットドックを売っていた店の場所まで戻った。しかし、どちらを向いても見えるのは人の頭ばかりだ。途方にくれたところで、優桜は声をかけられた。
Copyright (c) 2013 Noda Nohto All rights reserved.
このページにしおりを挟む