桜の雨が降る------5部3章5

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「ほら。あそこだよ」
 サリクスに示された方向にはゲートがあって、鮮やかな風船がたくさんくくりつけられていた。優桜は自分の学校で秋に行われた文化祭の入場ゲートを思い出した。
「みんないっぱい集まってるね!」
 メリールウがはしゃいだ声をあげた。
「そこそこの出店率だってアニーが言ってたな」
 サリクスもだいたい同じ調子である。アニー、という名前は初めて聞いたが、友達なのか現在の彼女なのか、それても店の女の子の一人なのか。忙しくてもこういう部分が変わることはないらしい。
 そびえる壁を背にして、人々が自分たちのスペースを確保し店を出していた。
 絶え間なく人々が歩き回り、その足下にパッチワークの布や古新聞やビニールシートやゴミ袋……地面に敷いても大丈夫そうなものがとりどりに使われて陣地合戦が繰り広げられ、所狭しと店開きがされていた。そんな店が壁の周りをぐるりと囲むように出店していた。
「ユーサ、何かみたいものはある?」
 メリールウに聞かれ、優桜は首を振った。
「特に何も決めてなくって。ぐるって見て回りたいかな」
「うん。わかった! だったら最初はぐるって回ろー」
 メリールウはサリクスには聞かなかったが、彼も何も言わなかった。人の流れの中をゆっくりと歩きながら、優桜はきょろきょろと店を観察してみた。
 優桜が思うフリーマーケットと寸分違わない景色で、いろいろなものが揃っていた。古着や古本という定番ものから、手作りのビーズ小物、型落ちしたと思われる大量の腕時計、質流れの骨董品なんてものもあった。優桜の知らない不思議な形に切られた布がロープにずらりと並んだ隣で、いかにも今朝早起きしてきたんですという姉さんかぶりの老婆が野菜を売っている。
「メリールウはいつも何を買うの?」
「その時に足りないもの。今日はタオルとかコップかなー」
 元々メリールウは一人暮らしだった。そこで優桜と同居をはじめたので、足りなくなっているものもあるのだ。
「コップ、あたしも選んでいい?」
 メリールウは赤い目を見開くと、優桜に飛びついた。
「うん! いっしょに選ぼ!」
 何度も何度も頷くから、豊かな髪を無理やり押し込んだ帽子が脱げてしまいそうだ。
 そうして優桜とメリールウは日用品を扱っている露店を探した。タオルは見切り品を持ってくる業者の店が少し先にあるはずだとサリクスが言ったので、先にコップや皿を探すことになった。出しているところは何ヶ所かあったが、大きすぎたり枚数が多すぎたりと、なかなか二人が気に入るものはなかった。
 少し疲れを覚え始めた頃、優桜は古新聞が敷かれた端っこにボール箱に入って出された、ペアのマグカップを見つけた。シンプルな形で、色は片方が温かそうなピンク色で、もう片方が空を思わせる薄い青だ。滑らかな塗りが光を照り返している。
 吸い寄せられるように、優桜はそのカップを手に取った。若い男の声がした。
「お姉ちゃん、それ一エオローね」
「えっ?」
 一エオローあれば家族用の食器セットが買えてしまう。もちろん壁前市ではなく正規の店で。
「触っただろ?」
 店番はシート代わりに広げた新聞の上に胡座をかいた若い男だった。短く刈った黒髪を逆立てている。
「確かに触ったけど」
「じゃ、買うって事だろ。一エオロー頂戴」
 他の店では、どこも「手にとって見ていってね」と声をかけられていた。それが全てに適応するルールでないとしても、対のマグカップに払う値段としては高すぎる。
「アンタ、いい格好してんじゃん。1エオローくらい財布からぱぱっと出せるだろ?」
 店員の態度はどこか拗ねているように見えた。
 優桜が困っているのに気づいたのか、メリールウがやってきた。
「ユーサ? どしたの」
「これを見てただけなんだけど、買うことにされてて……」
「そなの?」
 メリールウは不思議そうにその男を見てから、ぱっと笑顔になると身を乗り出してその両手をつかんでぶんぶん振り回した。
「あれ、マイケル! こんなとこで会うなんてめっずらしー」
「あ? 何だよふざけんな……ってメリールウじゃん?」
 マイケルと呼ばれた男性は臆するでもなく、むしろ脅しつけるようにメリールウの帽子で陰になった顔を睨め付けていたのだが、彼女を認めた途端に声のトーンが変わった。
「お前のンな格好のがめずらしくね? どしたん? 心境の変化?」
「ヘキゼンチだからびっくりはちいさくよー」
「は、相変わらずワケわかんねーな」
「メリールウ、この人知り合いなの?!」
「ん。あたしじゃなくってサリクスのともだち?」
 そう言ったメリールウの帽子の頭を、マイケルがぼふりと叩いた。
「お前のダチだっての。サリ先輩はダチ兼店の先輩っつーか」
「おかしいなー」
 優桜のすぐ後ろから声がした。
「俺、そんな脅しまがいの商売する後輩を持った記憶はないんだけど?」
 優桜が振り返ると、触れられそうな後ろでサリクスが笑っていた。笑ってはいるのだが、いつものへらりとした親しみやすい笑顔ではなく、口元は笑っているのに緑の目が笑ってない。
「サリ先輩?!」
 ひっと声を出して、マイケルが後ずさる。
「来てたんすか! あんた昨夜遅番だったハズじゃ」
「仕事に女の子とのデート左右されるほどの優良労働者じゃないのさ。全部見てたけどお前なんつー手口の商売をやってんだよ! 店で同じ事したら信頼なくすぞ?!」
「え、あの……?」
 優桜は頭の中で状況を整理してみた。このマイケルという男性はメリールウとサリクスの友人であり、そしてサリクスとは友人と同時に職場の先輩後輩の関係らしい。サリクスは素行の宜しくない店に勤務しているのだから、話はつながる。
「勘弁してくださいよ先輩。下っ端にはノルマキツくて。こうしてなけなしの家のもの売り払って生活費にあててるくらいで」
 マイケルは自分の前に並べられた品物の上で手で広げた。確かに彼のスペースに並べられているものは古雑誌や石鹸など、家の中から売れそうなものをかきあつめてきた様子だ。
「んー? 確かお前先月と今月、特例で給料の前借り認めてもらってんだよね」
「借金の返済で仕方なく。返済する分で生活費にもしわ寄せ来てるんすよ」
「わかってるよ。だからあのしわい店で特例がおりたんじゃん。誰がかけあったと思ってんの?」
「それはもちろんサリ先輩のお力」
 先ほどまでの態度がうって変わって下手に出だしたマイケルを見下ろしつつ、サリクスは軽快に言った。
「俺じゃないよん。ヤン先輩が便宜計ってくれたんだっての」
「え?!」
 その場の三人がいっせいに声をあげた。
「サリクスじゃないの?」
「いい話になるんだと思ってた」
 思わず優桜はそう口に出した。サリクスはいつだって肝心なところで話を台無しにする。
「えー? 俺だって下っ端なのにンな権力あるわけないっしょ」
 サリクスは笑い飛ばすと、マイケルに「先輩によくお礼言っとけよ」と言った。彼は何か言いたそうにサリクスを見上げていたが、やがて頷いた。
「で、そのカップどうすんの? 気に入ったんだろ?」
 優桜は青いカップを持ち上げてみた。見た目ほど重くない。これなら飲み物を入れた時にはちょうどいい重さになるだろう。
「あたしは欲しいな。メリールウは?」
 メリールウも同じように、ピンク色のカップを持ち上げた。くるりと手の中で転がし、頭の上まで持ち上げて、見上げて底を確認している。どんな意味があるのかは優桜にはわからなかった。もしかしたらメリールウもわかっていないのかもしれない。
「うん。かわいいし頑丈。これならあたしも欲しい」
「やった。お買い上げ?」
「まけろよー」
 サリクスが後ろからそう言う。
「先輩……オレ生活かかってんすけど」
「ぐるっと回ってお前がここで店出してるの宣伝してきてやるから。あ、ちなみに俺が報告したらお前の給料の前借り許可消せるけど、どうする?」
 結局、カップは相場より少しだけ安い値段で優桜たちの手に渡ることになった。見送ってくれたマイケルは、さっきより目つきが柔らかくなったように優桜には思えた。単純に言い負かされて涙目だったのかもしれないが。
「悪い奴じゃないんだけどな」
 サリクスがぼそりと言う。
「あいつ、妹がいるんだけど。エリザって名前のめっちゃ可愛いコ。早々と結婚したけど、最近、旦那が事故っちまって」
 そこで、サリクスは言葉を切った。
「旦那はいい人だったんだけど、その両親ってのがかなりの浪費家で、そっちで作った借金の取り立て人が戻ってきたエリザんとこにも来てんだよ。旦那が死んでも義理の両親だから扶養する義務がどうたら? マイクんとこはもう兄妹ふたりだけだから、それでマイクは首が回らなくなって」
「……理由があったら他の人を怖い目に遭わせて良いの?!」
 優桜は自分の声が跳ね上がるのを感じた。さっき、優桜は凄くびっくりした。
「良くないよ。アイツが悪い。けど、それだけでどうにかなるもんでもないから、俺も上手く上の耳に入るようにしてなるべく店から融通してもらうようにはしたんだけど」
 根本を潰せるわけじゃないよなと、サリクスが息を吐く。
「ユーサ、ごめんね。まだ怖い?」
 ふわりと、メリールウの温かい手が両肩に乗せられる。優桜は首を振った。
「急に怒鳴ってごめんなさい」
 最初の憤りが過ぎて、サリクスが相手を怒っているとわかったら、マイケルへの同情が押し寄せてきた。自分と大差ない年の青年が兄妹ふたりきりで、ほぼ無関係の人が作った借金で苦しんでいるのだ。同情しないわけがなかった。
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