桜の雨が降る------5部3章3

戻る | 進む | 目次

「ユーサ!」
「メリールウ、おかえ」
 お帰りなさいを言い終える前に、優桜はメリールウに抱きつかれた。メリールウは賑やかに話し始める。
「ユーサ、ユーサ! ヘキゼンチに行かない?」
「ヘキゼンチ?」
 優桜が初めて聞く言葉だった。
「それって何?」
「ユーサ、知らない? ヘキゼンチはとっても楽しい。おもちゃ箱みたいよー」
 楽しいという言葉に、優桜は身構えた。
 以前優桜は、メリールウに『とっても楽しい』と称されてディスコに連れて行かれたことがある。
 薄暗い、タバコと酒のにおいに満ちた場所はとても優桜の好みに合わなかった。それを思い出したのだ。
「やっぱり部屋の中でお酒飲むの?」
「ちがうちがうちがう」
 メリールウは大まじめに首を振った。
「ヘキゼンチは外。飲み物出るとこあるし、お酒もあるとこあるけど、えっとー……」
「?」
 メリールウの話は根気よく聞かないと要領を得ない一面がある。
「露店だな。屋台、出店、青空市場。このあたりでわかるか?」
 私服に着替えたウッドが戻ってきてそう補足してくれた。もういつもの、どこか面白がるような顔をしていた。
「えっと、フリーマーケット?」
「そう。壁の前でやるから壁前市(へきぜんち)」
 とりあえず概要はつかめた。外で、飲み物もお酒も出るというのは、そういう出店があるからなのだろう。
「うーん。言葉は多いとわかんないね」
 メリールウは赤い眉をしかめた。
 メリールウの言い回しも充分わからないとは、優桜は敢えて言わなかった。根気よく聞けば、彼女が何を言いたいのかはちゃんとわかると知っているから。
「屋根のない、その日限りのお店がいっぱい並んでるんでしょ?」
 優桜がそう言うと、メリールウの眉間のしわがぱっと消えて、彼女は笑顔になった。空いている方の手がぱしぱしと手が優桜の肩を叩く。ちょっと痛い。
「そうそう! ユーサはやっぱりサカシいね」
「……賢い(かしこい)」
「いつもは広場。だけどヘキゼンチはお店。服も靴も、いろんなものいっぱいだよ。ユーサ、ウッド、遊びに行かない?」
 今度の週末だよーとメリールウが笑う。
 優桜はちょっと考えた。食堂の給金は週払い制であり、週末なら優桜の懐具合には若干だが余裕がある。フリーマーケットなら、日用品も少しは安いかもしれない。何よりダンスナイトより数倍楽しそうである。
「うん。行きたい」
 優桜がそう返事をすると、メリールウはバンザイして喜びだした。彼女が手にしていた袋が宙に持ち上げられ揺れる。
「やったー! 絶対楽しいよー」
 そのまま踊り出しそうだと優桜は思ったのだが、そうはならなかった。ウッドのもの言いたげな視線に気づいたメリールウは慌てて手をおろし、夕ご飯にしようねと準備を始めた。優桜も手伝う。
「ウッドは? ウッドは行く?」
「週末は用があるって言ってなかったっけ?」
「あ、そっかあ」
 メリールウが目に見えてしゅんとする。それは少しだけのことで、次に顔を上げたときには彼女はいつものように明るく笑っていた。
「それじゃしょーがない。ウッドは次のヘキゼンチね」
「……午後からだったら都合出来るよ」
「ホント?」
 きゃっと、メリールウが両手を打ち合わせる。その次の瞬間には彼女は並べていたフォークを放り出してウッドに飛びついていた。
「わーい! ウッドとおでかけ久しぶりー」
 テーブルの上に散らばったフォークを優桜は慌てて拾いに回った。
「まあ、確約できないけどな」
「カクヤク? どうして焼くの?」
 ウッドは苦笑いすると自分の言葉を補足した。
「絶対に時間通りに行く約束はできない、ってこと」
「なーんだ。ちょっと遅れるはぜんぜんだいじょぶよー!」
 メリールウはご機嫌で鼻歌を歌い出していた。
 メリールウが派手に喜び回った結果、袋に入っていたお総菜はだいぶ偏ってしまっていたが、きちんと美味しかった。
戻る | 進む | 目次

Copyright (c) 2013 Noda Nohto All rights reserved.
 

このページにしおりを挟む

-Powered by HTML DWARF-