桜の雨が降る------5部3章2

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「うーん……」
 目覚ましの音で優桜は目を覚ました。
 手を伸ばして時計をたぐり寄せ、スイッチを切ったものの、頭はまだぼんやりしている。
 子供の頃の夢を見ていたようだった。おばさんに頼まれて、明水と一緒に買い物に行った夢。手をつないでお店に行って、あたしは物珍しくて店の中をちょこまかしていた。
 普段は忘れてしまっているが、こんなこともあったのだろう。
 夢の中の優しいぬくもりを思い出して、優桜は微笑んだ。微笑んだあとで、店主に泥棒と罵られたことを思い出した。
(泥棒? どうして?)
 優桜は額を抑えた。
 自分がそんなことをするわけがない。明水はもっとするわけがない。
 子供の頃おにいちゃんのところに遊びに行って、そこでおばちゃんから頼まれて、おにいちゃんと一緒に買い物に行った。
 こんなことは――本当にあったの?
 自分の思い出のはずだ。他人の記憶を辿るなんて、そんなことはあるはずないのだから。

*****

 仕事が終わった夕方、優桜はひとりで法律事務所を訪れた。メリールウは行くところがあるとのことで、帰りに表通りの店で自分たちの分の夕飯を調達してきてもらう約束になっている。事務所にはもう所員の姿はなかったが、優桜たちがいつも食事をする来客用のソファをまだ使っているようだった。ウッドの静かな話し声がしている。
 優桜は邪魔しないようにそっと、空いている席に着いた。夕飯の準備ができないなら端末を借りようと思ったのだ。あれこれ操作しているうちに漏れ聞いた会話で、相手は女性で裁判を起こそうとしていることがわかってきた。二人の話が終わるまでそんなに長い時間はかからなかった。
 ウッドと出てきた女性が、優桜に気づいて「遅くまでありがとうございました」と声をかけてきた。優桜も席を立って会釈する。二十歳を過ぎたくらいの若い女性で、ガイアでは珍しい眼鏡をかけていた。髪もきっちりとまとめてあったので、真面目なような堅苦しいようなそんな印象を覚えた。
「それでは、依頼人とお話がまとまりましたらご連絡ください」
「はい。ありがとうございました」
 ウッドに見送られて、女性は出て行った。
「来てたのか。だいぶ待たせたか?」
 問いかけられて、優桜はそんなに経ってないと首を振った。
「そっか」
「相談に来たお客さん?」
 看板は『グリーン法律事務所』となっているのだが、実際にはちょっとした生活のトラブルに対しての相談を持ち込んでくる人が圧倒的に多い。弁護士に相談するというと、優桜の感覚では金額的な持ち出しがかなり必要となる印象で(同時にそれは優桜たち一家の収入源なのだが)特に権力側にかなりの傾きがあるガイアでは、弁護士側の報酬として設定されている金額は破格だった。ところが、ウッドは相談に対しての料金をかなり安く設定していた。その結果として法律がそんなに中心にはこないような相談までが気軽に持ち込まれ「法律事務所と言うよりよろず相談所」になったらしい。
 ではウッドが善意でやっているかと聞かれるとそういうわけでもなく、彼は料金を低く設定はしても決して無償にすることはないし「相談料金が払えません」と泣いている相手も事務所のアルバイトとして使ってきっちりと取り立てていた。
「いや、久しぶりに真っ当な法律の依頼」
 後ろで束ねていた髪をほどきながら、ウッドは先ほど相手が出ていった扉に視線をやった。
「浮気をしでかした父親に法的な罰を与えたいんだって」
「そうなの?」
 優桜が聞くと、ウッドは微かに頷いた。
「相手とはもう切れてて、父親は凹みに凹んで反省してる。だから母親は勘弁しようか迷ってるらしいんだけど、娘の自分としてはどうしても許せないと」
 ウッドは声を低めたものの、隠す気もなく可笑しげに笑っていた。
「それって、裁判にできるの?」
「証拠がきちんと揃ってるから、娘じゃなくて母親が訴えるなら確実に勝てる案件。依頼人の感じからして母親はかき口説けそうだったから、珍しく実入りのいい仕事だな。実の親に手厳しすぎる気がするけど」
「当たり前よ。そんなことしたら許さないわ!」
 叩きつぶすような勢いで優桜は言った。かなりの激しさに、ウッドは半歩後ずさった。
「おいおい、実の父親だぞ?」
「親子でも兄弟でも、許せないことってあるでしょ?」
「優桜って案外、辛辣だよな。子供はパパとママが無条件に好きなものだと思ってたけど」
 優桜は膨れた。
「あたし、子供じゃないよ。だいたい、お父さんのことそんなに好きじゃなかったし」
 優桜の父親はいつも「早く帰ってこい」「短いスカートは履くな」と優桜のすることにいちいち口やかましかった。そんな父だったが、彼は優桜が剣道の大会で勝つととても喜んでくれた。だから優桜は剣道を頑張った。それで保たれた平和は、優桜の高校受験の時に終わった。
 結局、父は優桜を抑圧したいだけだったのだ。優桜をぎゅうぎゅうと抑えつけて、自分の過去の傷口を塞ぎたかっただけ。
「お父さんはあたしよりお母さんより、美桜おばさんのほうが大事なのよ。だからあたしにも目立つような格好はするな、夜に出歩くなって」
 守ってやれなかった妹。もう二十年以上も前の惨劇。
 憤っている優桜を前に、ウッドは考えるように顎を撫でていた。
「意外だなあ……」
「どこが?」
「自分の父親が大嫌いっていう捻くれた人種はオレくらいだと思っていたから」
「そうなの?」
 優桜は瞬いた。自分が子供だとは思わないが、それでも子供は基本的には両親が好きなものだと思ってたのだ。ウッドが自分の家族のことを話したのが意外だったということもある。
「ウッドのお父さんも厳しかったの?」
「いや? 仕事から帰ってきて子供を風呂に入れて、たまに休みの日は膝に抱え上げて一緒に紅茶飲みつつ本を読んであげるような典型的バカ親」
「それっていい人なんじゃ」
「いい人じゃダメなんだよ」
 そう言ってウッドは顔を暗くしたので、優桜は彼が事務所の入っているビルを『父親からの貰い物』と言っていたことを思い出した。
「亡くなった、んだよね?」
「そうだよ」
 ウッドは意外なくらいに素直に頷いた。
「オレが初等学校の上級だった頃の話だから、もう二十年近く前になるのか」
 ウッドは口元に歪んだ笑みを浮かべて言葉を続けた。
「オレがやってやれなかったのが残念で仕方ない」
「ちょっ、何言って」
「冗談に聞こえなかったか?」
 ウッドは背を向けてロッカーの方に歩いて行った。優桜が行き場なく立ち尽くしていると、カンカンと螺旋階段が鳴る音がした。予想に違わずドアが開き、メリールウが赤い台風のように走りこんできた。片手に購入してきた食事が入っているであろう袋を下げている。
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