桜の雨が降る------5部3章1
5部3章 青空の下
ウッドが生活に困っている人に割安で提供しているアパートは、居室にロフトがある。メリールウの寝所はロフトにあって、優桜が来たからではなく元々からこの位置だった。床に直接、寝具を並べている。
所謂『ちゃんとした育ち』の人はメリールウのこの習慣にいい顔をしない。靴で歩くような場所に寝具を置くなんて非衛生的だし、地べたに直接並べるなんて床も張れない貧民のようだ、と。
メリールウたち『放浪者』はそんなことは全く気にしない。寝具があればそれで幸せ。いつだって綺麗に掃除しているし、必要以上の物質を得れば、自然の流れをせきとめ澱ませてしまう。ロフトまで持ってあがれるマットレスは、探せば売っているだろう。けれど、それはメリールウには必要ない。買わなくても大丈夫。
しかし、この考えは周囲から見るとおかしいらしく、メリールウはよく「どうしてそんな風にするの?」と聞かれる。メリールウは、言葉で説明するのがあまり得意ではない。おしゃべりは好きだが、学校に通わなかったせいなのか、メリールウは言葉をあまり知らない。気づくと相手の言っていることがわからなくなってしまう。
例えば、態度の悪い他店の店員の話をしているときに「腹に据えかねた」とか「鼻持ちならなかった」と言われて「何で体のおはなしになったの?」聞き返してしまう。そうすると相手は「この子は放浪者だから物を知らない」という憐れみや嫌悪の表情になって、メリールウから目をそらし、話題から閉め出してしまう。「我慢できなかった」と言ってくれれば、メリールウにだってちゃんとわかったのだけれど。
メリールウを育ててくれた祖父母は「言葉が増えて世界はこんがらがってしまったよ」と言っていた。放浪者は簡素な考え方をするので、言葉を飾り、揚げ足を取り合うような論で成り立つ世の中の考えとは相性が悪い。そして、褐色の肌に赤や紫などの明るい髪と瞳という目立つ容姿が災いし、当時の世の中の代表だった王さまから迫害されてしまった。放浪者はその時にほとんどが処刑され、あるいは僻地に家畜の如く押し込まれ息絶えたのだが、ごく僅かだが厳しい迫害をくぐり抜け、生き延びた者たちもいた。彼らは静かに、だが誇りを持って放浪者の生き方を子孫に伝えた。
メリールウは、迫害を生き延びた放浪者の子孫にあたる。内戦で早くに両親を亡くしたため、他の放浪者の子のように父母から自分たちについて詳しく聞く機会はなかった。その後に聞いた話では、父はかなり血の濃い放浪者だったようだ。母は血こそ薄かったが、自身の出自を周囲から語られ、受け継いだ精神に誇りを持っていた。だから母は躊躇うことなく父と結ばれ、メリールウが生まれた。赤子の、放浪者の特性を色濃く受け継いだ肌と髪の色を、母は何より喜んでくれたという。それなのにメリールウは両親を「お父さん」「お母さん」と呼ぶことすらできなかった。
両親を亡くしたメリールウは、母にその精神を与えた祖父母に引き取られ、彼らに育てられた。外見以上に放浪者の風習を色濃く受け継ぐ祖父母は、孫娘にも自然から自分たちが与えられたものをそのまま与えてくれた。放浪者には、息をするよりも当たり前のこと。呪歌(ジュカ)も彼らから教わった。
このため、メリールウは現代のガイアでは極めて珍しい『外見と精神の双方を受け継ぐ放浪者』である。本人にはそんな自覚はこれっぽっちもないが、周囲や自身が考えている以上に希有な存在なのだ。
放浪者の血が一般のガイア人と入り混じり、普通と定義される環境で育った混血であるなら、その成長のうちに放浪者が「国王の怒りを買い迫害された下賎の存在」と学んでいく。嫌われる存在であること、憐れまれる存在であることを当たり前として刷り込まれる。
ところが、メリールウにはそれがない。
だからメリールウは、どうして放浪者が嫌われるのかがわからない。何で? 何が悪かったの? ずっとみんなが悪い人ってことにしてきたってだけでしょう?
メリールウは放浪者がどのような存在であったか、きちんと理解できるよう育てられた。祖父母は「国王が悪かった。放浪者は悪くなかった」なんて一方的な押しつけは決してしなかった。人の気持ちになって思い考えることで、メリールウの心は広く大きくなれる。人を理解しなさい。そして、広く大きな心でどう思うか考えてごらん、と。
放浪者のことはわかっている。決して悪いことはしていないと思っている。その気持ちは蝋燭の火のように光り続けるけど、頼りなく揺れる時もある。
本当にこれでいいのかな――?
サリクスやウッドといる時はもちろんそんなことは思わない。彼らはメリールウのことを理解したうえで好いてくれる人たちだから。そんな人は他にも何人もいる。けれど、それと同じくらいメリールウを嫌いな人もいるのだし、サリクスたちだって放浪者のことは「国王の怒りを買い迫害された下賎の存在」と教えられて育っている。
ずっと、心の中で思っていた。もしも、もしも放浪者のことを「国王の怒りを買い迫害された下賎の存在」と全く思わずに育った人がメリールウの前にいたのなら、その人は放浪者のことをどんな風に考えるのだろう?
やはり下層の賤しい存在なのか。もしかして、全然違った存在なのか。
この問いかけは、答えのないまま終わるはずだった。放浪者を全く知らずに育つなんて、絶対あり得ないことなのだから。
その『絶対あり得ない』存在がユーサ――優桜だった。
メリールウより少しだけ年下で、外見は中央人そのものなのだが、全く別の『チキュウ』という世界から来たのだそうだ。ウッドから「魚崎優桜って奴が来るから、しばらく面倒を見てやって欲しい」と頼まれ、彼に言葉に尽くせないほどの恩義があるメリールウは二つ返事で彼女の世話を引き受けた。
優桜は、放浪者を知らない少女だった。彼女もやっぱりメリールウの行動に呆れることがあった。けれど、優桜はが呆れているのは『メリールウ』であり『放浪者』では決してなかった。優桜は放浪者を悪く言わない。どうして放浪者が悪いって決めてるの? と、メリールウと同じ主張をする。
そのことがどれだけメリールウにとって嬉しいか、優桜は知らないだろう。
だから、メリールウは優桜にできるだけの協力をしてあげたいと思っている。優桜が元の世界に帰ってしまえば、メリールウはとてもさみしい。だけど、大好きな優桜はそれを願っているのだし、何よりそちらには優桜を待っている家族たちがいるはずだ。家族と引き離される悲しさをメリールウは知っている。だから帰してあげたい。帰ったときに優桜が「つらい目に遭っていた」と思わないように、優桜をいっぱいいっぱい笑わせてあげたい。
優桜は自身が望んでガイアに来たわけではない。最初からずっと帰りたいと言って調べているが、まだ成果は出ていない。
ロフトの床に直接置かれた寝具の中で、メリールウは寝返りを打つ。下の居間では優桜が眠っている。普段は高く結っている黒い髪がほどけているせいか、いつもより無防備で幼く見えた。
(何とかしてあげたいよ。ユーサの大好きなおにいさんが待ってる)
自分が、とても寂しくなってしまうとしても――。
優桜はいつかきっと、元の世界に戻るだろう。簡単に行き来ができる世界ではないようだ。別れは確実に訪れる。
けれど、世界が同じなら別れがないわけでもなく、メリールウは自分がいずれはウッドとサリクスの側から離れていくことを理解している。なぜならメリールウは『放浪者』として生きることを決めているから。
ウッドも、サリクスも、普通の人だ。普通のガイアの人だ。ガイアの人たちが放浪者をどう見ているかは知っている。サリクス達がそれとは違った考えを持ってメリールウに接してくれることも知っている。しかし、彼らが属している世界が『普通のガイアの世界』であるなら、メリールウの居場所はそこではない。普通の人と放浪者は、水と油のように相容れないのだ。どちらが悪いわけでもなく。そういうものは確実に存在する。ウッドが愛した人と別離を迎えたように。
いつかは別の道を行く。その時はメリールウの気持ちと関係なく近づいているように思えた。優桜は一生懸命調べているし、サリクスも繁華街から出ることを考え始めた。ウッドが再婚すれば、もう今までのように一緒に夕飯を食べることはないだろう。
その光景を想像するととても寂しかったけど、悲しいことではないはずだった。みんな一緒で楽しかった思い出は、いつまでも一緒だ。自分が遠い旅に出た後も。
だから、楽しい思い出をたくさん作りたい。ずっと一緒にいられるように。
そこまで考えて、メリールウはしゅんとしおれた。
(でも、ユーサはダンスナイトがキライなんだよね)
メリールウがいっぱいいっぱい笑う楽しいことは、月に何回か開催される、繁華街のディスコのダンスナイトだ。決められた料金を払うことで、フロアに入ることができる。メリールウの大好きな場所。一晩中踊ることができるし、サリクスや彼を通じて知り合った友達がいる。
ところが優桜はダンスナイトは好きではない。一度連れて行ったらみるみる具合が悪そうになって、あろうことか暗くなる前に帰ってしまった。翌朝も彼女はまだしんどそうだった。サリクスに聞いたら「タバコの煙や酒で気持ち悪くなる奴もいるから、あいつはそれなんだろ」と言っていた。彼女は早朝にランニングをするくらい体を動かすことが好きだから踊るのも好きだと思うが、そのくらいに健康的なのでダンスナイトの空気が合わないのかもしれなかった。
うーんと小さく唸って、メリールウは考える。
メリールウとサリクスは好むことが同じだし、優桜とウッドも好みが近いように思うのだが、四人が同時に好きな内容がメリールウには思いつかない。多分、メリールウでなくても難しかっただろう。
もう一度寝返りを打って、メリールウは考える。その夜眠りはなかなかメリールウを訪れなかった。
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