桜の雨が降る------5部2章2

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 この日、舞生は母に連れられてアキの家に遊びに来ていた。父も仕事が終わったら、いつものおうちではなくてアキの家に帰ってくることになっていて、ひとつ泊まってから帰ると舞生は母から聞かされていた。だから、舞生はこの日を指折り数えて、文字通り毎日飛び跳ねて待っていたのだ。前みたいにみんなで仲良く過ごせるのが嬉しかった。
 アキの家には彼の両親の他に、まだ寝てばかりの赤ちゃんがいる。赤ちゃんは女の子だが、お人形やおままごとの道具が持てるほど大きくない。だからアキの家には舞生の好きな遊び道具はないのだった。アキはおもちゃは持っていないのだという。
 どうしようかと思っていたら、舞生の母が、外で遊んできたらどうかと言った。アキの妹はまだひとりじゃ歩くことも出来ないくらいの赤ちゃんなので、二人だけが出かけることになった。その時アキの母は、アキと舞生におつかいを頼んだ。
『たまごを買ってきて欲しいの。いつものお店だから、場所はわかるよね。暗くなる前に帰ってきてね?』
 アキの母はアキに上着を着せると、彼の額に落ちていた金色の髪をかきあげてやりながら微笑んだ。アキの母は舞生の母とは全然似ていないけれど、笑顔は母と同じで優しかった。そうされているアキは、舞生にはとても幸せそうに見えた。
 アキが連れて行ってくれた店は、いつも舞生が母に連れられて出かけるお店と同じに見えたが、棚に並んでいる品物が違っていた。舞生にはどれも珍しく、アキを従えて店の中をぐるぐる回ってはしゃいでいた。
 そして、窓際の棚に、きらきら光る素敵な場所を見つけた。
『お兄ちゃん。これなあに?』
 そこには舞生の母が持っているネックレスよりうんと長くて大きなネックレスがいくつもぶらさがり、他にもビーズや銀の鎖で辺り一面がアキの髪のようにキラキラしていた。
『手芸に使うんだよ』
『シュゲイ?』
『舞生のお母さんは手芸はしないの?』
 シュゲイが何なのかわからなかったので、舞生はわかんないと首を振った。アキもそれ以上聞かなかった。
 舞生はこんなにも綺麗なものがあるお店を知らなかったから、うっとりしてしまった。特に目を引いたのは、舞生の背より少し高い位置に銀色の鎖でかかっていたケースだった。一生懸命背伸びし、腕を伸ばしてようやくとることができた。じっくりと眺める。色とりどりのビーズが入っていて、お伽噺の宝箱を開けたみたいだった。
『いいなあ。欲しいなあ』
 でも、今日はたまごを買いに来たのだし、暗くなる前に帰ってきてねとりりおばちゃん――アキの母からも言われている。何より、アキがまたひとりでどこかに行きたくなってしまったらたいへんだ。舞生は名残惜しく、ケースを棚の下に置いた。取ることはできたけど、最初にかかっていた場所まではどうがんばっても届かなかったのだ。
 たまごを買い、おつりをもらい、いつもするようにたくさんの布を敷いた、赤ちゃんのゆりかごみたいなバスケットに入れてお店を出ようとしたところで、二人は怖い顔をした店の人に呼び止められた。
『ビーズを盗んだだろう!』
『えっ?!』
 店の人は舞生がもう少し赤ちゃんだったら泣いてしまいそうな凄い勢いで、ビーズのケースがひとつ、棚からなくなっているとまくしたてた。
 棚の商品補充をしていたらしい店の人も、うさんくさそうな目でアキを見ている。舞生がさっき置いた場所にビーズの箱はなくて、そこには荷物が入っているらしい網の袋が置いてあるだけだった。
 訳がわからなかった。アキも緑色の目を丸くしている。
『どっちが盗ったんだ?!』
 舞生は怖くなって、ぎゅっとアキにしがみついた。知らない大人からこんなに怒鳴られるのは初めてだったのだ。
 言わなければいけない。舞生が棚からとって、戻せなくて下に置いたと。そのあとのことはわからないのだと。
『あたし、あたしとった』
 アキがびっくりした顔をする。
 舞生は下に置いたと続けようとしたのだが、店の人に睨まれた口は全然思った通りに動いてくれなかった。
『お前が盗ったんだな』
 店の人が、ぎよろっとした目で舞生を睨む。声が怖く大きくなる。
『ちがうの。とってないの』
『嘘をつくんじゃない!』
 そう怒鳴られて、舞生はとうとう口がきけなくなってしまった。
 嘘じゃないのに。棚からはとったけど、泥棒はしていない。元の場所には戻せなかったけど。泥棒も、嘘をつくのもしてはいけないことだと両親に教わった。嘘吐きと泥棒さんは、ケーサツというところで叱られた後、地面の底のジゴクという怖い怖い世界に送り込まれて、そこで舌を抜かれて針の山を登らなければならなくなると母が言っていた。だから嘘はついてはいけないのだ。ジゴクに行くのは怖いので、その話を聞いてから舞生は嘘も泥棒も絶対しないと心に決めた。
 舞生はしくしく泣き出してしまった。もう赤ちゃんではないのだから、外で泣くのは恥ずかしいことなのに。
『……おれです』
 そんな舞生を背中に隠すようにして、今まで黙っていたアキが一歩、店の人の方に歩み出た。
 店の人は訝しげに眉を寄せる。
『この子じゃないです。俺が盗りました』
 舞生は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
 アキはとってない。さわってもいない。アキは嘘を言っている。
『おにいちゃん』
 涙でいっぱいの喉から、ようやくそれだけ声が出た。
 どうしよう。おにいちゃんがうんと叱られてジゴクに落ちちゃう。違うって言わなきゃ。そう思うのに舞生の口は全然動かない。ただしゃくりあげるだけだ。
『品物は』
 アキは押し黙った。
『別に泥棒として突き出したいわけじゃないんだ。品物を返しなさい』
 アキはただ、店の人を見つめるだけだった。答えられないに決まっている。盗っていないのだから。
 そんなアキの姿に、店の人は舌打ちをした。
『ったく、こんな武装集団にいたようなガキを引き取るような奴らだってわかってれば……』
 言葉の意味は舞生にはわからなかった。けれど、アキが酷いことを言われたのがわかった。握った手が震えていたから。
 店の人は親を呼ぶ、ケーサツに突き出すと喚いていた。アキから通信の番号を聞き出し、奥へと去っていく。
 怖いことになるのだ。アキはうんと叱られて、ジゴクに落とされてしまうのだ。やっと両親のところで暮らせるようになったのに。
 舞生がやったと言えばアキは助かるのだが、そうすると舞生が嘘をついてケーサツからジゴクに行くことになってしまう。泥棒はしていないのだから、舞生も嘘をつくことになってしまう。
『ごめんなさい。おにいちゃん、ごめんなさい……』
 それしか言えなかった。舞生は赤ん坊のように泣きじゃくった。
 アキは舞生の頭を撫でながら『いいんだよ』『おれは大丈夫だよ』と繰り返した。大丈夫じゃないのは、舞生がいちばんわかっている。
 どうして、アキは舞生を助けてくれるのだろう? 怖い目に遭うのはわかっているはずなのに。
 どのくらい泣いたのかわからなかったが、ドアが開く音で振り返ると、アキの母が立っていた。アキと同じ綺麗な金髪が、風に散らされてぼさぼさしていた。
『アキ。舞生ちゃん』
 見知った顔を見て、舞生はまた泣き出してしまった。店の人がうるさそうに顔をしかめる。アキの母はアキごと舞生を引き寄せて、ふたりをエプロンの胸に抱きしめてくれた。
『おたくの子が商品を盗んだんだよ』
 困るよこんな奴を野放しにされちゃ――と店の人が怒る声が聞こえた。
 すみませんでしたと、アキの母が謝る声がした。アキの声もする。
『ごめんなさい。ごめん、なさい……』
 舞生も一生懸命声を出した。母に似たぬくもりに包まれて、凍っていた舞生の口はすんなりと動いた。
『あたし、あたしがよくみたくって、ひくっ……それで、棚からとったの。そこに置いたの。ごめんなさい……』
 舞生はやっと、棚に並べる品物が入った網袋の場所を指さすことができた。
『ここ? 何もなかったぞ?』
 店の人が網袋を持ち上げ、棚を確認する。やはり、そこには何もない。
『ほら。こいつまで嘘を』
『……あの』
 そこで、アキの母が遠慮がちに口を挟んだ。
『何だ?』
『すみません。そこに、何か……ぶらさがってるものが、光ったみたいで』
 アキの母は舞生を抱いていた手を外し、網袋の底を指した。
 店の人は手にしていた網袋をひっくり返し、ああっと大声をあげた。
 袋の編み目の部分に、銀色の鎖が絡まっていた。その先には舞生がさっき宝箱の中身のようだと思った、色とりどりのビーズが入ったケースがぶら下がっていた。
 そのあと、なぜか店の人は怒らなくなり、逆にぺこぺこと謝っていて、舞生たちはケーサツに行くこともなく家に帰れることになった。店から出るともう真っ暗になっていて、空には『青い球体』が輝いていた。
 舞生は泣きつかれたのと、ジゴクに行く怖さで歩けなくなってしまった。そんな舞生をアキがおんぶしてくれた。アキの母が、重いから代わりましょうと言ったのだが、彼は聞かなかった。舞生は自分の父よりずっと小さな、けれど同じくらいあたたかな背中に揺られているうちにすっかり安心して、ジゴクに行くのも忘れて目を閉じ、気がついたら朝になってベッドで眠っていた。まだジゴクではなかった。部屋にはいつもの朝と同じで両親がいた。
『舞生。起きた?』
 舞生はベッドから飛び起きると、母にしがみついた。
 あたしが嘘をついて、おにいちゃんにも嘘をつかせたの。お願いだからケーサツとジゴクに行かせないで。そう言ったら、母は舞生を膝に抱き上げて、寝ている間にくしゃくしゃになった舞生の髪を梳かしながら、舞生にわかるように昨日の話をしてくれた。
 当たり前だが、舞生もアキも泥棒をしたわけではない。警察を呼ばれる悪いことはしていない。舞生もアキもちゃんといい子だ。
 ただ、ビーズを元の棚に戻せなかったことで、そのせいで店の人が『品物がなくなった』とカン違いして怒ってしまったのだという。店の人はそこにビーズがあると思わなかったから、上から物を置いてしまい、そのせいでビーズがどこに行ったのかわからなくなってしまった。
『だから、今度からは、取った物はきちんと元の場所に戻そうね。お店で戻せなくなったら、パパとママやお店の人に『戻して』ってお願いしたらいいから』
 母に優しく言われ、舞生はこくんと頷いた。
『それでもこんな小さい子たちを急に怒鳴りつけることはないだろう』
 父は物凄く怒っていた。昨日の店の人より怒っているのではないだろうか。
『ママ、あたしウソついちゃった。ケーサツとジゴクに行く?』
『舞生ちゃんは嘘は言ってないでしょう?』
 怒鳴られて怖くて、本当のことが言えなかったのは嘘とは言わないのよと、母は言った。
『でも、あたしが言わなかったからおにいちゃんは自分がとったって言ったのよ。おにいちゃんはどうなるの?』
『大丈夫よ』
 母は舞生を抱きしめた。
『確かに、おにいちゃんは嘘をついたね。でも、それは悪くない舞生ちゃんを守ろうとして言ったことだから、許して貰えるの』
『どうして?』
 聞くと、母は困ったように父を見上げた。一緒に父を見ると、やっぱり同じような困った顔をしていた。きょうだいが欲しいの、と駄々をこねた時に見せる顔と少し似ていた。
『まだ難しいかな』
 母は少し考えるようにしたあと、舞生と同じ色の澄んだ瞳で舞生を見つめた。
『おにいちゃんが言ってくれたから、舞生ちゃんはお店の人にあんまり叱られなかったでしょう?』
 舞生は頷いた。確かにそうだった。
『舞生ちゃんは小さいから、叱られたら可哀想だから、おにいちゃんは代わってくれたのね。うんと叱られて、地獄に行くかもしれない嘘をついても、舞生ちゃんのこと守ってくれたの』
 舞生はまた泣き出しそうになって、慌てて母のやわらかい胸に顔を押しつけて隠した。
 どうして、そんなにしてくれたんだろう? おにいちゃんはたいへんなのに。昨日だってうんと叱られて、おにいちゃんはたぶん、おばちゃん達のところに来る前もうんと叱られたことがあって、そのせいで時々とっても悲しそうな目をしているのに――。
『舞生ちゃん、あなたが大きくなったら、今度はおにいちゃんを守ってあげてね』
 母はもう一度舞生を抱きしめた。
 その時、ドアが開いてアキのお父さんが入ってきて、短く「朝ご飯の準備ができた」と言った。そのあとで、彼は母親に抱かれている舞生を見て、傷がある頬を僅かに緩めた。
『舞生。目が覚めた?』
 こくんと、舞生は頷いた。母に『おじちゃんにご挨拶は?』と促されて、舞生はもぞもぞと「おはようございます」と言った。やさしい人と知っているけれど、おじいさんのような髪と顔にある傷は、起きたばっかりだとちょっとだけびっくりしてしまう。
『おじちゃん、おにいちゃんは?』
『部屋にいた』
 舞生は母の腕から抜け出すと、とてとてと廊下を走っておにいちゃんの部屋に行った。
 彼はもう起きていて、いつもの服に着替えていた。朝日に照らされた横顔は、どこか寂しそう見えた。彼が時折見せるあの顔だ。
『おにいちゃん!』
 たまらずに叫ぶと、舞生は部屋に飛び込んでアキにしがみついた。
『パジャマのままでどうしたの?』
 アキはおかしそうに笑って、舞生を受け止めてくれた。
『おにいちゃん、守ってあげるね』
 唐突に言われ、彼は不思議そうに舞生を見た。
『大きくなったら、あたしがおにいちゃんのこと守ってあげる』
 嘘をつかなくても叱られなくてもいいように、あたしが守ってあげる。ひとりで悲しい顔をしないように、ちゃんと側にいるからね。
 緑色の目をぱちぱちさせていたは、やがて微笑むと舞生の手を取った。
『ありがとう。でも、もう守ってもらっているよ』
 その笑顔が朝日の中に溶けていく――。
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