桜の雨が降る------5部1章6
目覚まし時計が鳴って、サリクスは自分のベッドから這い出した。日は既に高く昇ったどころか傾きだしている。今日はこれでも早いほうだ。独り寝の床に潜り込んだのは夜明けも近かったというのに。
普段なら大がかりなダンスナイトの翌日は休みを入れ、解散後も友達を呼んだり呼ばれたりしてベッドの中まで楽しむのだが、生憎と大きな仕事に重なってしまい、休みが取れなかった。まだだるさの抜けきらない体を何とか起こし、ぼんやりと窓の外を眺めてみたりする。サリクスの自宅はアパートの一階だが、西向きなので午後の日ざしはカーテンをひき忘れた部屋に直接飛び込んでいた。逆に、午前中はすこぶる採光が悪い。両親などは顔をしかめるが、サリクスは夜の仕事なので午前中は眠っているし、午後も大抵は遊びに出かけていて自宅にいないため特に不都合を感じなかった。家賃も周囲より安くあがっているので、ありがたいくらいだ。
スリッパをつっかけて洗面所まで行き、蛇口を開けっ放しにして顔を洗う。冷蔵庫から冷やしておいた水のボトルを出したところで、通信機の録音ボタンが点滅していることに気づいた。
「おっと。なになに?」
友人からの遊びの誘いだろうか。軽い気持ちで再生ボタンを押すと、意外なことに実家の母の声だった。まず第一声で体調のことを尋ねてきた母は、学校の頃の友人が結婚するそうだからそれに合わせて帰省するようにと続けた。
『そのまま帰って来ちゃったらいいのに。アンタだって同じ年なんだからいい加減ふらふらするのはやめて』
そこで声は唐突に切れた。録音時間をオーバーしてしまったらしい。続きは入っていなかった。
サリクスは苦笑いすると、鞄の中から手帳を取り出した。会議などの社用がびっしり詰まった会社の上役が使用することを想定して作られた、堅めのメーカー製のものだ。アドレス帳になっているページを繰って件の友人の連絡先を探し出す。
つなごうと操作しかけて、サリクスは自分の部屋に斜めに入ってくる日ざしに気づき手を止めた。この時間に友人が通信に出られるはずがない。畑仕事に精を出しているはずだ。
「なんだよー。付き合ってるオンナがいるくらい教えてくれたっていいじゃん? 机並べた仲なのにさ」
相手が通信に出たら言ってやろうと思っていた言葉が口をついた。
サリクスは中央首都の出身ではない。髪と目の色が示すとおり、西部の人間である。
今でも生家はそちらにあり、兄夫婦に代替わりこそしているが父母は健在で、毎日畑と自宅を往復する暮らしをしている。兄弟たちもだいたい似たような生活だ。周囲の人たちも。サリクスの故郷は西部の北端にあるさびれた寒村で、畑と役場以外は見事に何もないところだ。それでも秋には見渡す限りに黄金色の光景が広がるが、その黄金はもれなく役場が攫っていく。そんな場所。
周囲はその生活を当然のように受け入れていたが、サリクスはどうしてもそう思えなかった。もっと賑やかな場所で楽しい生活をしている人はいくらでもいるのに、どうして自分たちはこんな田舎で文句も言わず、そいつらの食べるものを作っているんだ?
だから、中央首都に出てきたのだ。賑やかな場所に行けば自分も同じになれると信じて。
ところが現実はそう甘くなく、ぽっと出の田舎者でツテもコネもないサリクスは仕事に就くことすら出来なかった。憧れていた遠い街に来たのに、楽しそうな人々と自分との差は縮まるどころか広がるばかりだった。いろいろ努力はしたのだが、結局、日雇いの繁華街の客引きになることができた程度だった。
しかし、そこから思いがけずに当時の自分が持て余し気味だった『力包石の主』としての力を活かす方向に話が転がったため、現在は用心棒を兼務することで友人と遊び回れるだけの手取りを貰ってはいる。貯金だって、多くはないが少しならあるくらいだ。
今はとても楽しい。昨夜も、ダンスナイトでとても楽しかった。今日は生憎と仕事だけれど、嫌なことをしているわけではない。明日だって明後日だって友達と遊ぶ約束をしている。
けれど――本当にこれでいいのか?
サリクスはひとつ息を吐くと、端末に視線を投げた。
「母親に言われなくたってわかってるさ。俺はユーサとは違うんでね」
この仕事はいつまでも続けられるものではないことを、サリクスは知っている。
客引きの仕事は、年を取れば一発で終わりだ。用心棒の仕事も体力がものを言う。凄腕の狙撃手だというのなら話が変わってくるのだろうが、生憎とそちらの才覚がサリクスにはなかった。力包石は使用者に力を与えるが、代償として気力を削いでいく。現役の用心棒としてやっていけるのは、この先あと一、二年のことだろう。そこから先を考えたのでは多分、手遅れ。ゲームオーバーだ。
毎日楽しいけれど。何も考えず、遊んでるふうに暮らしているけれど。
それでも、時々は考える。自分の現在のこと。自分のこれからのこと。
「遊び倒すんなら気合入れてそっち方面に進めばいいのにな。俺もやっぱりベビーちゃんなのかね」
呟いて、窓から入ってくる光に目を細める。考え事をしているうちに夕方になっていた。きれいな朱色は、昨夜いちばん長く踊っていた相手を思い出させた。
夕焼けのような赤い髪と瞳。サリクスが知っている誰より暗い肌の色をした、誰よりも明るく輝く笑顔の女の子。
「俺はマジなんだけどなあ。いっつも逃げられてばっかりだ」
といっても、手を伸ばして簡単に届いてしまうような相手なら、本気になったはずがないのだが。
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