桜の雨が降る------5部1章5

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「は? ユーサと?」
「ええっ?!」
 驚いたのは優桜とサリクスだけで、メリールウはまたサンドイッチを食べるのに戻っていたし、ウッドは表情を変えなかった。
「いや、ユーサとはしないって言ったじゃん」
 なぜかウッドに睨まれて、優桜はあれと思いながら顔を伏せた。そうしないとおかしいような気がして。
「じゃ、誰とするんだよ」
「貴族なら誰でもいいや」
「はあっ?」
 唯一、会話についていっていたサリクスが心底呆れたような声になる。
「何だそれ」
「エレフセリアのこと。力業でひっくり返すと仮定して、軍は今のままでどうにかできるとしても、肝心要は貴族からの離反者なんだよなあ。看板と資金繰りの都合はそこそこついてきてるけどそっち系の太いパイプは持ち合わせてないし」
 ウッドは法律事務所の弁護士で、食堂の経営者であると同時にもうひとつの顔を持っている。それがガイアの格差社会を是正することを理想とするレジスタンス「エレフセリア」の主催者である。
 弁護士として格差に苦しむ人を見てきた結論として彼が辿り着いたのがレジスタンス組織だったようだ。優桜が知る限り、彼は内密に資金の調達に動いている。ウッドが優桜を手元に迎えたのも、レジスタンスの旗頭にするためだった。偽りの平和姫と同じ世界から現れた、今度こそ本物の『真なる平和姫』(トゥルーピーシーズ)として。
「それで結婚?」
「いちばん手早く済みそうだろ?」
 ウッドは薄く笑った。
 やっぱり、この人が考えていることは訳がわからない。時代の先を行く天才なのか、それともただの気狂いなのか。
「お前なあ……結婚をそんなふうに考えるなよ」
 サリクスの声は呆れるのを通り越して憐れんでいるように聞こえた。
「遊び人にそんな説教をされるのは心外だな」
「そういう考えしてるから嫁さんに逃げられたんだろうに」
 吐息まじりにサリクスが言った言葉に、優桜は耳を疑った。
「えっ?!」
 口をついた言葉は予想外に大きくて、三人の視線を集めてしまった優桜はその勢いのまま続けた。
「ウッド、結婚してたの?!」
「あれ、ユーサ知らなかったの?」
 メリールウに聞かれて、優桜は頷いた。
「聞いたことなかった」
「うん。ウッドは結婚してたけど、随分前に奥さんとはお別れしたんだって」
 メリールウは本人を前に素直に語り、ウッドは「別に吹聴する話じゃないし」と頭に手をやった。
「結婚して半年ちょっとで別居したしな」
 優桜は心底びっくりしてしまった。今までだっていろいろ驚いたのだが、今回は格別だった。
 ガイアは十三歳で成人する世界である。成人の定義は、飲酒や喫煙に限らず、納税や婚姻も現代と同等だった。そして、ガイアの平均的な結婚年齢は二十代前半である。ウッドの年齢なら、初等学校に上がった子供がいたってまったくおかしくない。そもそも現代に照らし合わせたとしても問題ないのだ。実際に優桜のもうひとりの従兄はウッドと同年代で、小さな男の子の父親だ。
「離婚ってこと? 奥さん、どうしてるの?」
「いきなり呼び出されたかと思ったら、もうあなたと一緒にいられない、ごめんねって言うだけ言っていっちまったよ。それっきりだ」
 ウッドは淡々と言って、顎の下で両手を組んだ。口元に自嘲するような笑みを浮かべて。どこか遠い目をして。
「俺はその嫁さんの気持ちわかるよ。コイツが旦那じゃいろいろしんどそう」
 サリクスに言われて、ウッドは堪えきれないといった風に笑い出した。
「一応、恋愛結婚だったんだぞ」
「なのに別れて、次の人と結婚するの? それっていいの?」
 優桜に言われて、ウッドはぴたりと笑い止んだ。
「ん? お前の世界は再婚禁止なの?」
「禁止じゃないけど……よくない気がする」
 優桜は言い淀んだが、それでもきっぱり言った。
 結婚するまでに好きになった人と簡単に別れ、そしてまた次の相手を見つけて結婚しようという気持ちが優桜にはわからない。優桜は明水に好きというだけでも関係が壊れるのが怖くてできないのに、法的に認められた相手とあっさり別れ、また別の人を見つけようだなんて。しかも、ウッドは相手を好きだというわけではなく、貴族なら誰でもいいと言っている。
「結婚ってそんなに簡単なものなの?」
「オレもユーサに賛成」
 意外なことにサリクスがそう言ったので、優桜はびっくりして彼の方を見た。
「もっときっちりしてるもんでしょ」
 ウッドは二人を見比べて、苦笑いのような表情になった。
「お前ら若いよなあ……」
「そういう問題?」
 優桜とサリクスの異口同音の問いに答えたのは、ウッドではなくメリールウだった。
「でも、仕方ないことあるよ。どうにもならないことあるよ」
「メリールウ?」
 問い返されて、メリールウは困ったように眉を下げた。赤い瞳が何かを探すように自分の内側に向く。
「ウッドの言ってることと、違うけどおんなじ。仕方ない時、あるんだよ。でもおんなじじゃなくって……ごめん、上手く言えないや」
 メリールウがしゅんとしおれた。優桜は、メリールウの言いたいことが何なのか考えてみた。メリールウの言うことはいつもよくわからない。けれど、それは彼女の中の語彙が少なく、言葉が足りなかったり順番があやふやだったりするだけで、メリールウが思っていることはいつも筋道が通っている。
 そのことは優桜だけではなく、ここにいる面々はちゃんとわかっていることだった。だから、彼らもそれぞれに自分にわかる意味を探していたのだろう。しかし、今回の言葉は難しくて、優桜を含め誰もがメリールウの言いたい意味をつかみかねたようだった。
「むずかしーね」
 長く続いた沈黙を切るように、メリールウがえへへと頭をかく。
 優桜はメリールウのほうを見て、同じように笑った。視線が時計を掠めて、優桜は自分が随分と長い間考え事をしていたのだと気づいた。
「あれ? ダンスナイトってもう始まってるんじゃないの?」
 優桜に言われて時計を見上げたメリールウが「いっけない」と声を出した。
「ホントだ。もう始まっちゃってるよ」
「んじゃ、行くか。大丈夫だって、舞姫は遅れて入った方がフロアじゃ目立てるんだから」
 そう言っておどけてサリクスが差し出した手に、メリールウはごく自然に自分の手を重ねて笑った。その仕草は普通に、情の通った恋人同士のように見えた。
「ユーサはこのまま帰るのか? ウッドは?」
「オレはこれからもう一仕事だよ」
 ウッドはソファから立つと、指先を組み合わせて大きく伸びをした。
「結婚するには働かないとなあ」
 その言葉に、サリクスがふと表情を改めた。
「ん? どうした?」
「……別になんも。ルー、行こうか」
「でもお片付けしてからだねえ」
「そだな」
 そう言って笑って、あっさり手を離したりするから、尚のこと優桜は二人のことがわからなくなる。
「あたしが片付けとくよ? 後はアパートに戻ってお風呂入るだけだし」
「いいの、ユーサ?」
 優桜は頷く。量が多いわけではないし、優桜は片付けることに食堂の仕事とメリールウとの暮らしでかなり慣れた。
「ふたりとも楽しみにしてたんでしょ?」
 優桜は手で二人に行くように示した。
「ありがとな」
 戸締まりに気をつけてねと、母親のようなことを言うメリールウに笑って、優桜はウッドと一緒に二人を事務所から送り出した。ウッドはすぐ仕事に戻るかと思っていたのだが、予想外に片付けを手伝ってくれた。
「お仕事まだ忙しい? 何か手伝う?」
 手を揃えて尋ねた優桜に、ウッドは笑って首を振った。
「いや、残ってるのはどうしてもオレが見ないとだめなやつばっかだから。それより優桜はもう帰りな。女の子が夜にひとりでうろうろできるほど安全な場所じゃない」
 そう言われたら留まる理由はなく、優桜は「おやすみなさい」と挨拶して事務所を出た。冷たい風が吹く螺旋階段をアパートへと上がりながら、子供扱いされたのかなと考える。
 そういえば、明水もよく優桜を幼い子のように扱った。明水の目に映っている優桜は、ランドセルを卒業して中学生になっても、彼に助けてもらって合格した今の高校のセーラー服姿になっても、小さな赤ちゃんだった庇護すべき従妹なのだ。
 それが優桜には不満だった。いつになったら明水兄ちゃんはあたしのことを、小さな従妹ではなく対等な女の子として扱ってくれるのだろう?
 小学生の頃は、剣道でいちばんになったら認めてもらえると思っていた。中学生の時は、高校に合格できたら認めてもらえると思っていた。目標は全部クリアしたのに、まだまだ足りない。
 明水は本当に、いつか自分を対等な存在だと認めてくれるのだろうか?
 穏和であたたかな従兄を思い出したのは、風が冷たかったからなのかもしれない。
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