桜の雨が降る------5部1章2
「フジエ、マユ……」
手元の、例によって裏面を使ったメモ用紙に優桜はカタカナとひらがなでその名前を書いてみた。
音しか聞かなかったから漢字がわからない。藤江だろうか、藤枝だろうか。マユはもっとわからない。確か叔母の名前が絵麻だから、麻由でいいのだろうか?
このくらいに優桜は母方の親族を知らない。けれど、魚崎家側の曾祖父母がどんな人だったか知らないし、名前だって曖昧にしか覚えていない。曾祖父母というのはそのくらいに遠い人だ。
もし、そのフジエマユとやらがガイアの人だとして、なぜ日本人の名前を名乗っているのだろう。ここに優桜がいて、母がいるということは日本で結婚して子供を設け、その子供にも家庭を持たせたということだ。そんなことができたのだろうか。できたからこそ優桜は今ここにいるわけだが。
父の過保護で保守的な性格に悩んでいたら、母の罪と叔母の存在がそこに加わり、全て乗り越える覚悟を決めたら今度は思いがけない方向から曾祖母の話が転がってきた。
「うちって、どういう家だったの?」
普通の家だとは思っていなかった。凄惨な事件に巻き込まれ、多少の爪痕は残っても乗り越えた不運だが強い家だと思っていた。
それは魚崎家だけの話なのだろうか。
母の実家である、深川家とはどんな家だったのだろう。
母が語ることはほとんどなかった。あんな事情を隠していれば当たり前なのだが――母の両親、優桜の母方の祖父母にあたる人たちは、海外の途上国支援の仕事をしていて、現地で仕事中に殉職したのだと聞いている。さすがにここにまで隠し事があるとは考えたくない。
手遊びのように、優桜は用紙に線を走らせた。自分の名前の上に線を引き、その線の上に横線で結んで父と母の名前を書く。父の上に同じようにして祖父母の名前を入れ、そこから線を別れさせて伯父の名を書き伯母と結び、その間に明水たち従兄の名前を入れた。明水の兄であるもうひとりの従兄の名前も星と結び、間に英太の名前を書く。あのかわいい男の子はどうしているだろう。季節の行事で顔を合わせるたび「ゆーおねえちゃん」と手を伸ばしてくれる英太は優桜にとっても大事な子だ。
父の家系はすらすらでてきたのに、母の方はすぐにペンが止まってしまった。母と絵麻の名前を組にしたまではいいのだが、祖父母の名前がわからない。
母の旧姓が深川で、件の曾祖母はフジエという姓だそうだから、祖父の母ではないのだろう。フジエマユの家はどうやら女系の一族ということになる。
少し、心に引っかかった。もしかして『平和姫』と何か関係があるのだろうか?
今まで、優桜は自分は平和姫とは全く関係がないと思っていた。ただ叔母と同じ特徴を持っていたために祭り上げられているに過ぎないと。
そうではなかったのだろうか。
現代とこの異世界とを行き来するのは稀な事例に違いないと思う。優桜は知らなかったし、話を聞く限りメリールウも知らなかったようだ。図書館で調べてもそんなことはちっとも出てこないのだから、ガイアでは頻繁に起こることでもないようだ。
自分を『真なる平和姫』と呼ぶのはウッドだ。彼なら本に出ていないことを知っているのだろうか?
今度聞いてみようと思い、優桜はメモ用紙の余白にそのことを書き付けた。
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