桜の雨が降る------5部1章1

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第5部1章 大人の恋愛とは

 優桜が明水と話ができる機会は、その日の夜に唐突に訪れた。
 メリールウが先にシャワーを使っていて、優桜は水音とそれに混ざって聞こえるメリールウの歌声をお供に考え事をしていた。自分のこと、メリールウのこと、ウッドのことサリクスのこと。この世界のこと、叔母のこと――騎士のこと。
 騎士は「絵麻おばさん」と言った。彼の言う絵麻おばさんという人物は、フォルステッドと何らかの関わりがあるらしい。それは優桜の仮説――深川絵麻は結女の手にかかった後、優桜と同じようにガイアに迷い込み「偽りの平和姫」となった――と見事に一致する。
 なぜそんなことが起きたのか? 優桜が知らないだけで死んだ人はみんなガイアに来るのだろうか。それとも叔母と優桜だけが変わっているのか? 死んだ人間が来る世界がガイアだというのなら、優桜は死んでしまっているのか? 今こうしてここにいるのに?
 情報は少なくごちゃごちゃとしていて、簡単には整理をつけられそうにない。もう少しまとめてからウッドに聞いてみようと思っている。しかし、聞くにしてもある程度形にしておかなければ、聞かれたウッドが困ってしまうだろう。優桜は広げた紙に、今わかっていることを書き付けていた。使っているのは相変わらず、下の事務所から出た印刷失敗の裏紙である。
 絵麻おばさんと呼ばれる人物が、フォルステッドに関わりがあること。
 騎士はフォルステッドを知っているらしいこと。
 騎士は二十歳程度の青年であること。
 そういえば、「騎士」とは一体何者なんだろう?
 黒いコート姿で、顔が隠れるミラーグラスをしているから怪しいにも程がある。そのうえ、話す余地もなくいきなり優桜に襲いかかってくるのだ。危険人物以外の何者でもない。
 あの義賊の正体だとばかり思っていたが、逮捕された人物の容姿は騎士の氷の彫像のような美貌とはかけ離れていた。となると無関係なのだろうか。逮捕された人物は替え玉だった?
 騎士が氷の能力者であることはこの目で見た。姫君と呼んでいる人物を壊したのが優桜たちだと思っている。姫君なんて人のことを優桜は何一つ知らないのに。
 武装集団の残党なのでは、とウッドは言った。姫君というのは不和姫――武装集団を率いていた人物のことだろうと。しかし、それならばなぜフォルステッドを親しく知っているのかという疑問が生じる。フォルステッドとは武装集団を壊滅させた人物である。武装集団の残党が親しみをもって「おばさん」などと呼ぶわけがない。
「どういうことなんだろう」
 そのあたりが、よくわからない。
 ひとつだけわかるのは、彼が優桜に対して悪意を持っていることだった。
 少し、複雑になる。確かに今まで同級生とけんかしたり先輩から意地悪されたりしたことはあるけれど、こんなに明確な悪意を向けられたことはなかったから。
 なんとなく俯くと、胸元でペンダントが淡く光っていた。
「!」
 優桜は必死にペンダントを外そうとした。焦りで指先が滑り、なかなか上手く行かない。揺れる視界でペンダントの光は強くなったり弱くなったり、ゆらゆらしていた。
「兄ちゃん!」
 思わず呼びかけると、少し間があって言葉が返ってきた。
『……あれ、声が』
「明水兄ちゃん!」
『前と同じに光ってる。ユウ、そこにいるんですか?!』
 懐かしい声がした。
「うん。ここにいる!」
 ようやくペンダントの鎖が外れた。明水の姿が見えないかと優桜は淡い光の中を覗きこんだが、それらしい影はちっとも見あたらなかった。
『光ると聞こえるんですかね。ユウ、大丈夫なんですね? ケガとかしてませんね?』
「してないよ。元気だよ」
『ちゃんと食事してますか? 眠れてますか? 怖い人に脅されているとか、ないですよね?!』
 小さな子にするように心配されて、優桜は思わず涙ぐんでしまった。大丈夫と言った声が掠れる。
『よかった……』
 明水の声に安堵が混ざった。
『これ、僕の方では光っている間だけユウの声が聞こえるみたいなんですけど、ユウが光らせたりしてますか?』
「してないよ」
 できるならとっくにそうしている。
『ユウは何を見てるんですか?』
「お母さんのお守り袋に入ってたペンダント」
『やっぱり、ペンダントはユウが持って行ってるんですね。僕もペンダントなんですけど、何本もあるんです』
「え?」
『叔母さんのカラーボックスから、お祖母さん……ユウの曾お祖母さんにあたる人の遺品が出てきて、その中にユウが持ってるのと全く同じペンダントが何本も入ってまして』
 初めて聞く話だ。優桜の母の家族は、優桜が物心つく前に全員が故人になっている。そちらの親族を優桜は全く覚えていない。
「あたし、曾お祖母さんなんて知らないよ」
 祖父母のことすら知らないのだから、曾祖母のことなんてもっとわからない。
『藤江舞由って人なんですけど。その人がどうも、優桜が今いるガイア……ですか? と関わりがあったみたいですね』
「嘘っ」
 優桜は、ガイアは自分には全く関係のない世界だと思っていた。
 全く知らない人とはいえ、曾祖母はガイアに関わりがあった人?
「何それ。あたし、全然知らない世界だと思って」
『大丈夫ですよ。ユウは何も心配しなくていいですから』
 明水の声はいつもと同じで、ひどく落ち着き払っていた。
『今、その人の遺品を調べてます。何かわかるかも知れませんから。だからユウ、無理をしないで、あと少しだけがんばって――』
 明水の声は唐突に途切れた。
「兄ちゃん?!」
 ペンダントはもう光っていない。慌てて揺さぶって、手の中に囲いこんで本当に光っていないか確認したが、無駄だった。
 優桜は長いため息をついた。
 僅かに声が聞けるだけでもいいと思っていたはずなのに。
 声が聞ければ話したくなる。話していれば会いたくなる。会いたくなれば、帰りたくて仕方なくなってしまう。
 明水に会いたい。
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