桜の雨が降る------4部3章5

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 温いベッドの中で、優桜は眠れずに悶々と考えこんでいた。
 今日はいろんな悲しいこと、苛立つことがあった。パルポネラが自分をあんな風に思っていたことは悲しかったし、同時に腹立たしかった。ウッドに言われたことも腹が立つには違いなかったが、正論が彼にあるだけに腹を立てるのはいけないことだった。思うとなぜか、胃の辺りがしめつけられるような悲しさになる。
 でも、いちばん悲しかったのは、自分が子供だと叱られたことではなく、友人に下働きにしてやると考えられていたことでもなく、メリールウのあの笑顔だった。
『それじゃ、仕方ないね』
『あたしはいいの。全然、いいの』
 あんなにも非道いことを言われたのに、メリールウは笑っていた。いつか見た笑顔とよく似て、無理やりに表情を曲げていた。いつもは心から笑っているメリールウなのに。
 優桜はメリールウが笑っているのが好きだから、だから、無理やりの作り笑いなんてさせたくない。
 メリールウはいつもそうしているのだろうか。自分がどれだけ蔑まれても、おかしいと思われても、ただただ笑って、人と対立しないようにして。
 そんなのはおかしいと優桜は感じた。
 メリールウにはメリールウなりの考え方があって、それは聞いていけば全て、優桜が納得できる内容だった。ただ、メリールウにはあまり語彙がないから、ちょっと聞いただけでは彼女の考え方はわかりづらい。だから人はメリールウを理解せずに、あの子は放浪者だから頭が足りない、何も考えていないと決めつける。
 そんなことは決してない。メリールウはいつだってちゃんと考えている。
 どうして、そんなメリールウがいわれのない差別を受けるのを我慢しなければならないのだろうか。そんなことは絶対に許されない。
 優桜は、今まで自分がエレフセリアに関わるのは、元の世界に帰るための交換条件であると自分に言い聞かせていた。ウッドの言うことを聞いて旗頭に収まっておけば、住居も仕事も確保してもらえる。優桜はこの世界では戸籍すら持たない異邦人なのだから、これは大きいことだった。
 エレフセリアが正しい方向に向かっていると思えるなら、他のことはそんなには気にしていなかったようにも思う。優桜がいちばんに思っていたのは「自分が元の世界に戻れるか」であり、「ガイアがどこに行くか」ではないのだから。
 ガイアは優桜にとって、知れば知るほど肌に馴染み、また遠ざかっていく異世界だった。お伽噺に出てくる夢のような要素はいっさいなく、生活にかかる金銭や政治の話はまぎれもなく現実的だ。そして、古い時代のような徹底的な身分差や差別、優桜から見れば魔法のようにしか見えない力包石(パワーストーン)の能力や、放浪者の呪歌というものも存在する。現代のようであり非現実的。お伽噺の世界でありながらも現実的。
 優桜にとってガイアは、いつまで経っても『異世界』だった。でも、そうではないのだ。
 ガイアはメリールウが生きている世界だ。優桜の大切な友人たちが生きていく世界だ。それを自分にとっては余所事だからどうでもいい、なんて言っていいのだろうか?
 優桜は両親が隠していた罪に向き合うだけで壊れてしまいそうな小さな弱虫で、その状態に加えていきなり異世界に放り出された。今はガイアにいるから両親の――母のことについては棚に上げた状態ではあるが、現代に戻るならふたたび立ち向かわなくてはならない。
 優桜はベッドから体を跳ね起こすと、手で両頬を押さえた。
 掛け布団から出ていた頬は冷たく、逆に中に入っていた手はあたたかい。手のひらにじわりと冷たさがしみていく。
 現代に戻ればガイアの問題は優桜の目の前から消える。でも、それで優桜の悩みが全て消えるわけではなく、また新たな問題がやってくる。
 その時も優桜は目を閉じるのだろうか? 自分がやったことではない、自分が生まれるよりずっと前の母がやったことだから自分には関係がないと言い訳をして?
 優桜は今、目の前にある問題から逃げ出してはいけないと強く思っていた。
 優桜はメリールウに笑っていて欲しい。けれど、メリールウが無理なく笑えることを台無しにしている人がいる。それは差別をする人たちだ。メリールウがどういう人なのかをわかろうとせず、外見だけで決めつけるかちこちの頭の人たちだ。
 今、ガイアを動かしているのはそういう人たちなのだ。その人達はメリールウ以外の人たちも苦しめている。内戦が起きていたときは守ってやることすらしなかったくせに、脅威が去った後にしゃしゃり出てきて、国を豊かにすると偽りの理想を掲げ、過剰な税金で苦しめる。だから生活の格差が広がって、ガイアに生きる人たちは苦しんでいる。
 格差を是正したい、という理想を掲げるのが「エレフセリア」だ。
 エレフセリアに協力することは、優桜が元の世界に戻るために必要なことであり、メリールウを悲しませないようにするためのことでもある。
 しかし、優桜はパルポネラに乱暴をして、その活動の邪魔をしてしまった。
 どうすればいい? どうしたら、挽回することができる?
 それとももう動かない方がいいのだろうか。優桜が動いたことでメリールウを傷つけて、ウッドに迷惑をかけたのだから。
『最後に決めるのは自分自身です』
 明水の声が聞こえた気がして、優桜はベッドの脇に置いていたペンダントの方を見た。
 ペンダントは光ってはいなかった。
 明水の隣を歩くのにふさわしい大人になりたい――。
 それは優桜が真剣に思っている願いであると同時に、ひどく子供じみた憧憬なのかもしれなかった。
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