桜の雨が降る------4部3章4
「お前は何を考えてたんだ?」
低い声で叱られ、優桜は下げていた頭をさらにうなだれさせた。
パルポネラと別れた後、優桜は少し行ったところで「図書館に用を思い出した」と言ってメリールウと別れ、しばらく街をふらふらしていた。
本当は図書館に用事なんてなかった。ただ、メリールウといることがつらかったのだ。あんなに酷いことを言われたのに笑っているメリールウと一緒にいるのが耐えられなかった。
怒ったり、泣いてくれたとしたなら一緒に憤ったり、なぐさめる形で一緒にいられたかもしれなかった。でもメリールウはそのどちらもせず、ただいつものように笑っていた。それが――優桜には哀しくつらかったのだ。
そんな顔はさせたくないのに。守ってあげたいのに。
いろんなことを考えて歩いていたら、だいぶ遅くなってしまった。小走りに階段を上がって行くと、ウッドが法律事務所のある階で優桜を待っていた。どうやってそれを知ったのかは優桜にはわからなかったが、彼がさっきの出来事を全て知っていることは顔を見ただけでわかった。彼は優桜を事務所に連れて行った。
「……何も考えてなかったんだよな? 少しでも考えてればこんな事態にはなってないんだから」
言葉もない優桜に、ウッドはそう皮肉を言った。
「パルポネラから連絡があった。協力の件を断るそうだ」
優桜が弾かれたようにあげた視線と、ウッドの刺すような冷たい視線がかち合った。
「人を傷つけるような相手とは一切関わりたくないそうだ」
その言葉に、優桜は思わずくってかかってしまった。
「人を傷つけるような相手って……最初にメリールウにひどいことを言ったのはパルポネラじゃない!」
ウッドは何も言わなかった。ただ刺すような視線だけがそのままだった。
「何でそんなに勝手なのよ。暴力だけが人を傷つけるものじゃないはずでしょ?」
「メリールウが酷いことを言われたからお前が殴り返したと」
冷たい視線が、一気に軽蔑の色に変わる。
「なんだ。ただのガキのケンカじゃないか」
「……!」
優桜の頬に朱がのぼったが、ウッドは構わず続けた。
「大人になりたい、って言ってる奴がやったとは思えない行動だよな。いつも言ってることは口だけか。本当にお子様だなあんた」
「それは、今のこととは関係ないでしょ?!」
「嫌なことがあったから酷いことを言う、言い返す言葉がなかったから手が出る……って、子供が駄々こねてるようなもんだろうが。相手の言うことが気にくわなかったら暴力でやり返すなんて、武装集団のやり口と同じだよ。なあ、それでいいと思ってる?」
事情になんて一片も斟酌しない切り口上に、優桜はたじろいだ。
「武装集団って、あたしには関係ないよ。真なる平和姫は武装集団と関係ないんでしょ」
怯んだ優桜に、ウッドは憐れみとも取れる声色で言った。
「オレは別に『真なる平和姫』だから暴力を振うなとは言ってない。そんなの、オレにとってはどうでもいいんだ。
でも、ひとりの人間として、あんたはそれでいいと思うのか?
それがおまえのなりたい『大人』か?」
ウッドが正しい。優桜は間違っている。居丈高に言われたわけでないそれは一分の隙もない正論で、正論ゆえの圧倒的な正義の力は、優桜が信じるとおりに優桜を徹底的にたたきつぶした。
小さな声を、ドアが開く音が遮った。冷たい風が入ってきて、優桜は身をすくめた。
メリールウが来たのかと思った。けれども、予想は外れた。そこにいたのはサリクスだった。彼は髪を乱して、肩で息をしていた。
「ウッド! ルー知らないか?!」
「メリールウがどうかしたのか?」
「ダンスナイトなのに来ないんだよ。ルーはいつも絶対に来るし、こない日は誰かに伝言するから、心配になって。他の奴らにも探して貰ってるけど見つからないんだ」
「部屋にいないの?」
「通信に出ないからここまで来たんだろ?」
優桜はサリクスを押しのけるようにして事務所から出ると、目を回しそうな勢いで螺旋階段を駆け上がった。暗く静まりかえった廊下に、優桜の靴音だけが響く。
「メリールウ? いないの?」
部屋は真っ暗だった。ドアを叩いても応答がない。優桜はポケットから鍵を引っ張り出して、乱暴ともとれる勢いでドアを開けた。部屋の中は暗く冷え切っていて、照明をつけると昼間に出て行ったときと変わりがないことがわかった。袋に入りきらなかったクッキーが何枚か皿の上に出ていて、天板が流しにつけてある。曇りガラス越しに何か揺れているのが見える。洗濯物も出たままなのだろう。
「いないか? ロフトは?」
いつの間にか入ってきていたサリクスに言われて、優桜は梯子段を上がった。メリールウの寝所になっているロフトには、布団が木の板に直接敷いてある。その中にもメリールウはいなかった。
「メリールウ、帰ってないんだ。どうしよう」
「何かあったのか?」
優桜は簡潔に、昼間の出来事を話した。優桜が話し終えたとき、サリクスは苛立った表情になっていた。この事に優桜はかなり驚いた。いつも優桜がどんなにくってかかったとしても、突然酔っぱらいの相手をすることになっても、余裕のある笑顔を崩すことのない人なのに。
「あの見栄っ張りのクソ女……」
サリクスが女性に対してこんな暴言を吐くところも、優桜は初めて聞いたのだった。
「今度会ったら覚えてろよ」
「今はメリールウが先だろ」
やはりいつの間にか来ていたウッドは、部屋の何ヶ所かを見て回っていた。何かわかるのだろうか。
「お前が探したのってどこだ?」
「ディスコの周りはマイクとキャスに探して貰ってて、ステフとトミーには歓楽街のあたり。俺は自分の店からここに来るまでの道を逆に通ってきた」
「まだこの周りは見てないって事か……」
ウッドは何かを考えるように、二、三度指先で前髪を引っ張った。痛みに顔をしかめたかと思うと、彼は踵を返して部屋から出た。
「ウッド?!」
「連れてくるからそこで待ってて」
優桜は追いかけて手すりから身を乗り出した。声と螺旋階段を降りる音が風に乗って聞こえてくる。
「一緒に帰ってくれば良かった」
優桜は俯いて後悔した。
メリールウに傷ついて欲しくない、守ってあげたいと思っているのに一緒にいたくなかっただなんて、それは優桜の身勝手な言い訳だ。もしかしたら、側にいれば心の傷は少しでも癒えたのかもしれないのに。
「……それは俺でも難易度が高かったな」
気がつくと、サリクスが隣で優桜がしているように手すりをつかんでいた。開け放したままだったアパートからの明かりに照らされて、サリクスの細い体の影が夜の闇の中に綺麗に浮かんでいた。
「俺も多分、その場にいたらユーサと同じことやらかしたと思う。ルーのダチならみんな同じだったんじゃないかな」
優桜がサリクスを見上げると、彼は今まで見た中でいちばん真剣な顔で優桜を見ていた。
「俺は、ユーサは間違ってなかったと思うぞ」
その言葉で、優桜は少しだけ安堵することができた。
*****
「ねえ、何でわかったの?」
法律事務所のあるビルの横手は隣のビルと密接していて、光が差さない。細い袋小路になっているそこは、普段は食堂のゴミの搬出にだけ使われている。その袋小路のどんづまり、暗闇から声がする。その声にいつもの元気さがないのが状況の深刻さを物語っていると言えた。
「言わなかったっけ? カミサマが教えてくれるって」
「ウッドってそーゆーのが凄く好きだよね。疲れちゃわない?」
「もうボロボロだよ。倒れないうちに早く解放してくれ」
苦笑いで言うと、暗がりからメリールウが歩み出てきた。目が元々赤く、肌の色もあるので泣いていたかはわからない。周囲が暗いから、尚更。
けれど、彼女がここに泣きに来たことをウッドは知っている。褐色の肌のメリールウは、他のガイア人と違って暗がりで目立つことがない。声さえ出さなければ、そこにいることがわからない。泣いていることは誰にもわからない。
メリールウはそういう人なのだ。他の人に涙は見せない。
「優桜が真っ青になってた。さっさと帰ってやれよ」
言うと、メリールウはこくりと頷いた。
「それで、サリクスが友達に頼んで探し回ってたから、きちんと連絡しろ。サリクスからはデート一回くらいふっかけられるのは覚悟しとくんだな」
メリールウは考えるように頬に手を当てた。
「サリクスは、それでいいのかな」
「二回に増やす?」
「お酒おごったり、お詫びのプレゼントの方がよさそうよ」
「そういう奴じゃないのはメリールウがいちばん知ってるんじゃないの?」
これには反応が返ってこなかった。
「サリクスは普通の人よ。フツーのガイアの人」
「メリールウも普通だな。優桜も。でも、パルポネラはマトモじゃなかったよなあ」
その言葉に、メリールウは不思議そうにウッドを見つめ返した。
「貴族なのに自分の国の大臣の区別もついてなかったんだってな。
国を誰より愛する貴族が、自分の国の知識で放浪者に言い負かされるなんて物凄く恥ずかしいことだろ」
メリールウはぱちぱちと瞬いた。そんなこと思ってなかったよ、とわざわざ見るまでもなく顔にはっきりと書いてある。
手を伸ばして、赤毛の頭を撫でてやる。
「オレが言ったこと、ちゃんと覚えてたんだな」
「最初は教えてもらうの。でも、教えてもらったら自分でがんばるの。そうしなきゃ立てなくなっちゃう。いつも教えたらラクだし気持ちいいけど、それはいけないコト」
触れた髪は冷たくて、ウッドは彼女がずっと外にいたことを思った。
「メリールウ。帰ろう」
そのまますとんと落とした手は差し出したわけではないけれど、自然とそんな格好になった。メリールウは素直につかまってきた。
彼女の手は冷たかった。そういえば、最初に彼女と出会ったときも手を取ったような気がする。その時もメリールウは冷たい手をしていた。
「ウッドは手があったかいね。初めて会ったときとおんなじね」
メリールウがそう言うから「手が冷たい奴は心が温かいんだって」と返しておいた。
「それだとウッドが冷たい人になっちゃうよ?」
ウッドは笑うだけで何も返さなかった。
そうだ。自分は冷たい。このままいれば、いつか確実にメリールウを引きずり落とすことだろう。サリクスのことも。今よりずっと酷い状況に。
この手をふりほどいてしまいたい。けれど、それをするにはまだ早すぎる。
ウッドは小さく息を吐いた。白い呼気が尾を引いて夜に溶けた。
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