桜の雨が降る------4部3章3

戻る | 進む | 目次

 優桜はメリールウと一緒に、パルポネラのアパートの門の前に立っていた。
 ふたりとも仕事が休みの日だったので、午前中からお菓子を作ったのだ。珍しく、メリールウは作ったお菓子に砂糖衣をかけた。
「お砂糖をはかり間違えちゃった。でも、パルはこういうお菓子を喜びそうね」
 メリールウはそう言って舌を出して笑った。白い砂糖衣は優桜が思わずつまんで食べたくなるくらいに美味しそうだった。
 午後のちょうどよい時間に焼き上がったお菓子を持って、ふたりはパルポネラの家を訪れたのだが、彼女は戻っていなかった。家主がいなければ当然入ることはできないので、二人は外で待つことになる。
「今日もちょっと寒いね」
 優桜はカーディガンの前をかき合わせた。寒さが相変わらず続いている。
「そう? あ、ユーサこれ抱っこしてたらあったかいよ!」
 メリールウが自分が抱いていたお菓子の入った紙袋を差し出したので、優桜は受け取った。焼いたばかりの菓子は確かにあたたかかった。少しそのあたたかさを堪能すると、優桜はメリールウに袋を返した。
「もういいの?」
「メリールウだって寒いでしょ?」
 言うと、メリールウは素直に受け取ってくれた。
「パル、まだ帰ってこないのかな」
「いつもだったらおうちにいる時間なのにね」
 そんな話をしている間に、だいぶ経ってパルポネラが帰ってきた。彼女は優桜とメリールウの姿を見つけるとその場に立ち止まった。
「パル!」
 メリールウが彼女に駆け寄る。優桜も遅れて、パルポネラの方に歩き始めた。
「こんにちは、パル。昨日は買い物、大丈夫だった?」
 パルは応えない。メリールウはそのままの勢いで、抱いていた紙袋を差し出した。
「今日はユーサと一緒に焼いたお菓子を持ってきたの。一緒に食べよう! あたし、パルはこういうお菓子が好きだと思って」
 パルポネラは差し出された紙袋を覗き込んだ。白い砂糖衣がかかったクッキー。
 店売りのお菓子と比べたら、まだ飾り立てかたが足りないかもしれない。みすぼらしいかもしれない。それでも、とても美味しいもの。
「私が、これが好きですって?」
 パルポネラは、紙袋を地面に投げ捨てた。口が半分開いていたから、中のクッキーはこぼれて、地面にぶつかって崩れた。
 あまりのことで、メリールウはパルポネラを見つめるだけだった。優桜も思わず立ち止まってしまう。
「そんなわけないでしょう?! この私が、こんなみすぼらしい物が好きですって?」
 いつものおっとりとした様子が嘘のように、パルポネラは激昂していた。
「そんなはずない! 私は貴族なのよ。本当だったらアンタはあたしと同じテーブルにもつけないんですからね。繁華街に住んでて、気味の悪い歌を歌ってばかり。いつも訳のわからないことばかり話す能なしのくせに」
「……っ」
 優桜は息を飲んだ。パルポネラは嗜虐的に笑っている。パルポネラと対面しているメリールウの表情は、優桜からは後ろ姿になって見えなかった。
 何てことを言うのだろう。確かに、かつては王様に従わなかったのだろう。だから迫害されたのだろう。それの是非は優桜にはわからない。その時代を生きた人がいないのであれば、多分、誰にももうわからない。
「そんなアンタでも家のことはできるみたいだから、この件に成功して、プルーストス家を追い出せて返り咲いた日には下女として雇ってあげるつもりだったのに。放浪者だって屋敷の奥の掃除くらいできるでしょ? 優桜なんか髪の色さえ何とかすればまだ見栄えがするから、部屋付にしてあげるつもりだったよ? そんなのもわからなかったの? そのくらいしか価値がない人間だってわからなかったの?」
 パルポネラがまくしたてているうちに、優桜はようやく二人の間に割ってはいることが出来た。
「パル!」
 優桜に鋭く言われ、パルポネラはようやく言葉を切った。そこで優桜もようやく、メリールウの顔を見ることが出来た。
「そっか。パルはあたしのことキライだったのか」
 今気づいたかのような調子で、メリールウは小さく言った。
 彼女は泣いていなかった。怒ってもいなかった。
「それじゃ、仕方ないね」
 唇の端が少し上がる。メリールウは笑っていた。
 それは優桜がいちばん見たくないメリールウの表情だった。
「……!」
 パルポネラを振り返ると、彼女はさも当然といったような顔をしていた。
「ユーサ、行こう」
 言ってメリールウは優桜を促したのだが、その時、優桜の中で何かが切れてしまっていた。
「ふざけないで」
 気づいたら、優桜はパルポネラにつかみかかっていた。コートのあわせをつかんで、優桜はパルポネラを乱暴に揺さぶっていた。少し遅れて、手放した剣が煉瓦にぶつかる音がした。何事かと道を歩いていた人たちが振り返る。それが奇妙に優桜は気にならなかった。
「ふざけないでよ! 何でそんな酷いこと言うの。何でそんな酷いこと言って貴方は笑ってるのよ!」
 止めてください、とパルポネラがうめいたような気がした。それでも優桜は止めなかった。
「貴方は最低よ! 貴族ってそんなに偉いの? あたしたちは使われて当然って、それはどうして? 理由があるなら、わかるように教えてよ! あたしたちを能なしだって言うなら、ちゃんと説明して! それが出来るからえらいんでしょ?!」
 感情に任せて優桜は怒鳴り、その勢いに耐えきれなくなったパルポネラが地面に崩れ落ちる。温室育ちのお嬢様と、同じく温室育ちではあるが武術を習って育った人間の差は歴然としていた。優桜はパルポネラに馬乗りになるような格好になっていた。
「ユーサ、止めて」
 いちばん早く我に返ったのはメリールウだった。彼女は手を伸ばして優桜をパルポネラから引きはがそうとした。
「何で?!」
「こんなのダメ。間違ってる」
「けど、メリールウが」
「あたしはいいの。全然、いいの」
 メリールウがそう言って首を振るのが、優桜には苛立たしかった。メリールウは優桜以上に侮辱されているのに。
「よくない!」
「よくなくない! ユーサ、何があったって人を傷つけちゃいけないのよ?」
 その時はじめて、メリールウの声が大きくなった。
「……」
 優桜は手を離して、パルポネラから降りた。
 パルポネラの蒼い瞳は涙でいっぱいになり、とても痛そうな、つらそうな顔をしていた。信じていた騎士に裏切られた悲劇のお姫様。
 その表情をすべきなのはメリールウのほうだと、優桜は考えていた。
戻る | 進む | 目次

Copyright (c) 2013 Noda Nohto All rights reserved.
 

このページにしおりを挟む

-Powered by HTML DWARF-