桜の雨が降る------4部3章2
ガシャンと、いつまで経っても慣れない耳障りな音がする。
粗末な靴をはいた足下では、つい先月までパルポネラにとっては使うだけのものだった、高価な皿が破片になっていた。
「またお前か」
料理長がうんざりした顔をする。これも今までパルポネラが使うだけの相手だった人物だ。白い帽子から僅かに覗く髪は赤みがかった金髪。お粗末な髪の色を隠せるという理由で料理人を志した人物だと友人から聞いたことがある。
「手間を増やしやがって。皿の代金は給金からさっぴいておくからな」
粗暴な口ぶりに、パルポネラはたまらず眉を寄せる。
「何だよその顔は」
「どうして私の給金からひかれるんですの?」
「お前が雇い主の皿を割ったからだよ」
「プリムラは私のお友達ですわ」
「確かにプリム嬢様はあんたのご学友だったな。今、実際にどうかは知らんが、この皿はプリム嬢様のものではなくプルーストス家のもので、そしてあんたは間違いなくプルーストスの雇い人だ」
「私は雇い人ではありませんわ!」
うんざりするだけだった料理長の顔に軽蔑の色が加わった。
「お前は本当に現実が見えてないんだな。本当にプリム嬢様の友人かよ」
悔し涙が浮かび、パルポネラは身を翻すと台所から駆け去った。豪奢な柱にもたれて嗚咽をかみ殺す。自分がみじめで哀れで仕方なかった。
パルポネラたちが権力争いに負け、追い出されても、壁の中の世界は生きておりパルポネラの友人達は今日も楽しく日々を謳歌している。プリムラも絹で飾られた最新流行の衣服に身を包み、侍従に付き添われて学習院に通っている。
パルポネラはそれが憎らしくて仕方なかった。学習院にいた頃、社交的で優雅だったパルポネラは院の人気者だったが、本ばかり読み、必要最低限の付き合いにしか出てこないプリムラは陰で嫌われていた。今だってそうだと思う。大臣をつとめる名門、プルーストス家の娘でなければ学習院を追い出されていただろう。プリムラは壁の外の人種が書いた書物を読み漁り、壁の外に出て話を請いに行くという黒い噂のある娘だった。
パルポネラはもちろんプリムラが嫌いだったが、名門プルーストス家の娘を爪弾きにしたとあっては家名にかかわるので、できるだけ彼女を思想家の本から遠ざけ、貴族の娘の嗜みである茶会や舞踏会に誘うようにしていた。その甲斐があったのか、行き場を失い途方に暮れていたパルポネラに、プリムラは自宅での侍女の働き口を世話してくれた。当然だと思った。私はプリムラにそれだけのことをしてあげたのだからと。
パルポネラは、こちこちに固まった貴族的思想の娘だった。
名家に生まれただけで、欲しいままの生活が送れると思っている。他のものより優れていると思っている。不当な扱いなんて受けることはないと思っている。嫌なことがあれば他人に八つ当たりをしたり、他人にどっぷり甘えることが許されると思っている。
その恩寵がどうやって与えられたのかを知る訳もなく。
パルポネラはこの年になる今の今まで、ずっとそうやって生きてきた。パルポネラだけではない。彼女の父や母、兄弟――ピッツフィールド家はそうやって生きてきた。
だから権力争いに負けたのだと、彼らは気づくことすらしていなかった。ただただ相手を恨み、自らの不幸を嘆くだけだった。
いつの間にか柱の陰ですすり泣いていたパルポネラを、侍女長が見つけた。彼女は丸々と太った古参の侍女で、プラチナの髪には少なくない白いものが混ざっていた。
パルポネラはぎくりと肩をこわばらせた。侍女長の仕事は雇い人の行動を監視することである。首をすくめたパルポネラに容赦ない罵り言葉が降り注いできた。
(大嫌いよ)
心の中でそう毒づく。
(みんなみんな大嫌い。私にこんなのはふさわしくない。私はあんたたちを使う立場の人間なのよ)
最初はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ我慢すればまた元の屋敷に戻れるようになると思っていた。そのために実家に帰るという母と妹たちに同行せず、下女になってまで中央首都に残った。すぐにふさわしいお嬢様に戻れると信じていたから、その時に有効に働くように下々との関わりも気高い犠牲として頭を垂れ受け入れた。
パルポネラは本当は優桜のこともメリールウのことも好きではない。立ち振る舞いの端々に育ってきた気品めいたものを感じる優桜はまだましだったが、メリールウのことは我慢できなかった。
肌の色も髪の色もおかしい。意味不明な言葉と気持ちの悪い歌。昔のガイア王が彼らを根絶やしにしたのも当然のことだ。
そんな嫌いな人物との付き合いに甘んじていたのも、いつかお嬢様に戻れる日のためであり、苦手なお茶の給仕や買い物を手伝わせるためだった。壁の中に戻れたら自分の下女にしてやってもいいくらいだと思っていたが、メリールウは一度手伝ってくれただけで後はもう何もしてくれなかった。それでなおさら腹が立った。
見ていなさい。私の家が壁の中に戻ったら、あんたなんてどうなるか――。
しかし、最近になってパルポネラが壁の中に戻るのはそう簡単でないことがわかってきた。屋敷に戻れるようになるばかりか、父はパルポネラをあの狭くて小汚いアパートに永住させようと家具を整え始めている。侍従にも暇を出し、パルポネラ自身に買い物をさせている。
悔しくて腹が立って仕方なかった。どうして、この私が?
侍女達の入れ替わりの時間になってしまったため、侍女長は小言を止めた。幸運にも開放されたパルポネラは着替えて屋敷を出る。玄関ではちょうど、プリムラが学習院から戻ってきたところだった。
侍従に手を取られて車から降りてきたプリムラは薔薇色に頬を紅潮させていた。頬紅のおかげだ。プリムラは化粧をしなければ顔色がすこぶる悪いのだから。今のパルポネラのように。
「パル、お疲れ様。いつもありがとう」
プリムラはパルポネラを見ると親しげにそう声をかけた。パルポネラは彼女をぐっとにらみつける。
貴族は侍従をねぎらったりしない。そもそも声をかけるなんて下賤の行いだ。
どうしてこんな人間が貴族で、私は違ってしまったの?
パルポネラは言葉を返さず門を走り出た。道は車が通りやすいように舗装され、掃除夫たちにたえず清掃を行わせるため綺麗に保たれている。塀の外の汚い道とは雲泥の差だ。
道行く人は皆金髪で、高級な衣服をまとい、優雅で幸せそうだ。パルポネラだって少し前まではそうだったのに。今でも同じ、一流の貴族の容姿をしているのに。
パルポネラは綺麗な道を通って、時間までに塀の外に出なければならない。パルポネラがこうして塀の中の世界に身を置かせてもらえるのは、住人であるからではなく使用人であるからだ。パルポネラが毎日、塀の門番に見せなければならない通行証には、滞在できる刻限がきっちりと印字されている。
悔しくて、悲しくて、戻りたくて腹が立って――。
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