桜の雨が降る------4部3章1

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4部3章 自分自身の道の先

 その翌日、優桜はメリールウと一緒にパルポネラに呼ばれた。
 卓とソファしかなかった部屋には、優桜がこない間に壁に金髪の女性を描いた絵画が掛けられ、脚に飾りが彫られた棚も置いてあった。綺麗な硝子製のランプシェードが置いてある。
 優桜は少しぴりぴりしていたのだが、メリールウはいつもと変わらず、パルポネラもおっとりした笑顔だった。
「これをお願いします」
 彼女はそう言って、藍色に白のレースが印刷された封筒を優桜たちに差し出した。
「グリーン氏から言われていた、当日書類が動くルートです。念のためとのことでした」
 法案を阻止するには、最終議決が行われる会議の議題としてあげられなければいい。担当大臣の捺印がなければ、今回の会議にこの法案はあがらない。
 判が押され、会議に提出されるだけとなった書類は一日、担当大臣の私的な金庫に保管される。この書類を紛失させることをウッドはパルポネラに頼んだ。
 優桜にはそれは不思議な制度だと感じる。何も自宅に持ち帰らなくても、議会なり役所なりで保管しておけばいいのに、なぜか担当官の自宅で押印してまた議会に提出するのである。優桜たちの都合を考えれば、議会で保管をされたら困るわけだが。
「確かに受け取りました」
 優桜は言うと、持ってきていた鞄の中に丁寧に封筒をしまった。上品な封筒からはほのかに良い香りがした。
「優桜、今日は綺麗なペンダントをしているのね」
 パルポネラに言われ、優桜は自分のセーラー服の胸元にちょっと目をやった。
「これ、目立ちますか?」
 そういえばサリクスもめざとく気づいたのだった。仕事に出ても誰からも何も言われなかったので、優桜は単にサリクスが女性の装飾品に敏感なだけだと思っていた。
「いいえ。ただ、綺麗な蒼だと思ったものだから」
 何か言葉を返さなければと思い、優桜はペンダントに関わる、あたりさわりのないことを言おうとして固まってしまった。
 平和姫のものと同じ石なんですとは言えない。これを持っていると別の世界と話ができるんですとも言えない。相手からの連絡を待っているから目につくところにつけるようにしたんですなんて、もっと言えない。
「ユーサのおかあさんのなんだよね?」
 メリールウがそう話をつなげてくれて、優桜はほっと息をついた。
「そう。母のものだったんです」
 母が大切にしていたお守り袋から出てきたのだ。どういう意味があったのかは優桜は知らないし知りたくもないが、そこまで話す必要はないだろう。
「お母様のご結婚に由来するものですよね?」
「え?」
 驚きで、優桜はとっさに問い返してしまった。
「これ、結婚に関係のあるものなんですか?!」
 パルポネラは少々落胆したような顔になった。
「貴族の女性は、結婚するときに貴い色である蒼の装飾品を身につけるんですよ」
 知らないの? と言外に言いたいような口ぶりだった。
「嫁した家で生まれた最初の子が女の子なら、装飾品は母からその娘にお守りとして、生まれて八ヶ月の日に銀の鎖をつけて贈られます。男の子なら、装飾品は九ヶ月の日に、これから起こる苦難の身代わりとして金の槌で割られます。フェアギス・マインニヒトの物語からの古い言い伝え」
「知らなかったです」
 優桜は素直に首を振った。
「そうなんですか? 地方の豪族でも知ってるような話ですけど……」
 そんなこと言われてもと、優桜は泣きたいような怒りたいような気分になった。豪族じゃないのだし、そもそも豪族の縁者としか話していないんだし、知らない習慣があったとしておかしくないだろう。貴族はそうではないのだろうか?
「いろんな言い伝えがあるんだね」
 凍りかけた空気を、メリールウののんびりした声が遮った。
「放浪者にもお話があるよ。タカと地ネズミとウズラの話とか」
「どんな話?」
「掟を守るってお話だよ。他にもあるある。そだな……」
 メリールウは優桜のペンダントを見て、ああと手を打った。
「これ言おうとしたんだった。あたしたちには貴族とは逆で、ふたつはいけないってお話があるの」
「ふたつ?」
 さっきの装飾品の話の、女児と男児で意味が変わる話のことを言っているのだろうか。
「ものは、必要以上にはいらないの。ひとつだけならうんと大事になるし、うんとうんと大好きになるし。それに、ふたつになると、とっても怖いことが起こる」
 メリールウは声を低めた。
「ずーっとずーっと前に、欲張りなお金持ちがいたんだって。自分が他の人よりたくさん持っていないと気がすまなかったお金持ちは、あれもこれもってお金でいろんなものを手に入れた。でも、それでも足りなくって、とうとう最後には他の世界にまで行って、そこから持って来た命を足して、自分の命をふたつにしたの。命をふたつ持ってるひとなんていないから、お金持ちはやっとそこで満足した」
「どうやったのそれ」
「知らない」
 メリールウはあっさり首を振った。
「でもね、命はふたつになったけど、死ななくなったわけじゃない。ここからが怖いとこ。お金持ちは死ねなくなってしまったの」
「いいことではないんですか? ふたつ合わさって永遠の命になったのでしょう?」
「違うの」
 パルポネラの言葉に、メリールウは心底恐れているように首を振った。
「お金持ちの命はガイアのもの。他の世界の命は他の世界のもの。お金持ちは自分の命が終わっても他の命があったから、そっちの世界に引っ張られてしまった。他の世界にいる間、ガイアの命はお休みしてちょこっと元気になる。他の世界の命が終わったら、今度はガイアに引っ張られて、他の世界の命がちょこっと元気になって……そうやって永遠に引っ張られ続けて、最期を繰り返すようになってしまったんだって」
 メリールウはその光景が見えているかのように、ぎゅっと目を閉じていた。
 優桜もぞっとするような感覚を覚えた。確かに怖すぎる。
 いろいろな話があるのだと思った。自分のまだ知らないガイアの物語。
 知りたいと思い、そして、自分の世界にもまだまだ自分が知らなかった物語や社会の仕組みがあることを思った。
 帰ったら明水と話をしたいと思う。今まではただ会いたくて、話を聞いて欲しくて仕方なかった。でも今は、明水の意見を聞いてみたいと思っている。
 もちろん、いろんな話をして明水と一分一秒でも長く一緒にいたいという下心が根底にあるのだけど。優桜はそれには気づかないふりをした。
「欲張ってはいけない、というお話ですわね」
 パルポネラは小さく頷きながら言った。
「でも、たくさんあったほうがいいものだってあるのではないですか? お金や食べ物はたくさんあったほうが安心でしょう」
「必要以上にはいらないの」
 メリールウはそう繰り返した。
「いっぱいはいらない。怖いから」
「食事がなくなって飢える方が怖いでしょうに」
「必要なぶんはいるの」
「それはたくさんということでしょう?」
「違う」
 メリールウは困ったように目を伏せ、視線の先でもじもじとつま先を動かしていた。
「あたし、上手く言えないよ。とにかく、ごはんは必要なだけあればいいの。だからそれが十個の時もあるし、一個もいらない時もある」
「……わかりました」
 パルポネラは憮然として話を収めた。わかりましたとはいいつつ、実際にはわかっていないように思われた。
 優桜にも、いまいち腑に落ちない話だった。けれど、メリールウの言っていることややっていることは、その時点ではわからなくても、よく考えればきちんとした根拠があって話していることがわかる。名前の話がそうだ。他にも優桜がまだ気づいていないだけで、もっとあるのだろう。
 家に帰って、ベッドに入ってからゆっくり考えてみたらわかるかもしれないと優桜は思った。それでわからなかったら、メリールウに聞いてみよう。自分だけではわからなかったら、ウッドとサリクスにも応援を頼もう。
 だから、優桜はそれ以上何も言わなかった。
「そろそろ夕方ですね。買い物に行かなくっちゃ」
 言うと、パルポネラは茶器を片付け始めた。
「あれ。パルが買い物するの? 通いの人がいたんじゃなかったの?」
「私が買い物をしなければいけないのだそうです」
 パルポネラの声音が沈む。
「メリールウ、また手伝ってくださいな」
 言われて、メリールウは彼女にしては珍しく、首を横に振った。
「駄目よ。この前一緒に行ったから」
「え」
「メリールウ?」
 思わず優桜も驚いてしまう。メリールウがこんなにはっきりと人に断るのはなかったことだ。
「この前一緒に買えたもの。だから、もうひとりで大丈夫」
 パルポネラが鼻白んでいるので、優桜はとっさに言い添えた。
「今日、メリールウは忙しいの。あたしが一緒に行く」
「ユーサ!」
「いいでしょ? パルポネラ」
 優桜はメリールウではなくパルポネラに同意を求めた。
「わかりました。ユーサはやさしいですね」
 パルポネラの怒ったような態度がまたいつものおっとりしたものになったので優桜はほっとした。その日はいつもと逆にメリールウとアパートの玄関で別れ、パルポネラと街に出て買い物をした。
 パルポネラは普通に買い物をし、うずたかくなった荷物の半分を優桜に持たせた。アパートまで送っていったら帰りがすっかり遅くなってしまい、優桜は駆け通しに駆けて法律事務所のビルに戻った。ひとりで通る黄昏の道はなかなかに怖かった。
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