桜の雨が降る------4部2章8

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 次の日、仕事が終わった優桜がパルポネラのところに行く準備をしようと部屋に戻りかけたところで、螺旋階段を降りてきたメリールウとばったり出会った。
「メリールウ。もう準備できたの?」
「あ、ユーサ! えっとね、あの」
 メリールウはなぜか慌てたように両足を交互に踏んだ。螺旋階段の薄い鉄板がカンカンと音を立てた。
「どうしたの?」
「あのね、あの。図書館に行かないの?」
「図書館? どうして?」
「最近ずっと行ってないじゃない」
「そうだけど、パルのところに行く約束が」
 メリールウはパルポネラの名前が出た時に目と口で三つのOの字を作った。
「メリールウ?」
「あ、あのその……」
 メリールウは目を白黒させている。もしかしたら彼女の場合は赤白と言うのだろうか。
 理由に思い当たり、複雑な気持ちで優桜は言った。
「あたし、今日は図書館に行くよ。パルにそう謝っておいて」
「ホント?」
 どうやらパルポネラ嬢は、ひとりずつと話がしてみたいらしい。
 人のいないところで何を言う気なんだろう。ひどく不愉快だったが、メリールウの行動を見ていたら何だか怒る気力を削がれてしまった。メリールウに苛立っても何にもならないのだし、メリールウが優桜を不快にしたいわけではないのは見ていればわかる。
「パルによろしくね」
 それは精一杯の嫌味だったが、メリールウは泣きそうに目を細めて笑った。
「ごめんね」
「メリールウが謝ることじゃないよ」
 慌てて優桜は言い添えた。
「そうだ。ウッドが今日ご飯一緒に食べよって。パルのところから帰ったら事務所に寄るから、ユーサも先に行っててね」
 わかったと手を振って、優桜はアパートに帰った。急に時間が空いたから、何だか手持ちぶさただ。言ったとおり図書館にでも行こうと、優桜は自分の私物を置いてある棚から筆記具を出した。貸出カードを確認しようとポケットの中の生徒手帳を出そうとしたら、ペンダントがぽうっと光っていることに気づいた。
 この前とおんなじだ。
「明水兄ちゃん?」
 何も考えず、優桜は呼びかけた。
「お兄ちゃん! 明水兄ちゃん、聞こえてる?」
 二度、三度と呼びかけるが反応はない。ペンダントを揺すって、耳をくっつけてみるが何も聞こえない。そうこうしているうちにペンダントから光が消えてしまった。
「……」
 一体どうなっているのだろう?
 もしかしたら、携帯電話と同じように、相手から連絡が来ていても気づかなければ会話ができないということなのだろうか? けれど、石に着信履歴も留守番機能もないから、光っているのを見逃せばそのままになってしまうということになる。この前は偶然にも気づけたけれど、もしかしたら明水は何度も呼びかけてくれていたのかもしれない。
 優桜は慌てて、今まではポケットの中にしまっていたペンダントを首からかけた。セーラー服とは少しばかり不釣り合いだが仕方ない。
 光っている間だけ、明水とやり取りが出来るのだろうか。優桜がマスターであるなら、自分で力包石を光らせることが出来るはずだ。指をくっつけて光れ光れと念じてみたが、石は不透明なままだった。息をついて肩を落とす。
「兄ちゃんに会いたいなあ」
 言葉が自然と口をついた。
 何かに行き詰まって、それが母に相談できないような内容だったときは、優桜は真っ直ぐに明水に相談した。どんなくだらない相談でも、明水は絶対に自分を馬鹿にしたりしなかったし、最後まで聞いてくれて明水の視点からの意見をくれた。
 今思えば、明水は自分の意見を正しいと押しつけることはしなかった。多少言葉は違ったけれど「僕はこの理由でこういう風に思う。けど、最後に決めるのはユウ、自分自身ですよ」と常に言っていた。優桜は明水の意見をそのまま頂くのが常だったが。
 明水は本当に大人だったのだと感じる。優桜より十歳近く年上なのだからそれで当然といえばそうなのかもしれない。明水はいつでもあたたかかったから、優桜はずっと明水の側にいたいと思っている。でも、いつになれば優桜は明水にふさわしい大人になれるのだろう?
「大人は……こんなことじゃ悩まないよね」
 悪法が普通の顔で成立しようとしていること。
 平等なはずの社会に確実な身分差別があること。
 友達の態度が自分と友人で違うかも知れないこと。
 こういう問題にはっきりと答えを出せるのが、優桜の目指している大人なのに。
 ひとり部屋で物思いにふけってしまう自分がどうしようもなく小さく思えて、優桜はその日、結局図書館には行かなかった。

*****

 ぼんやりしているうちに夕方になっていた。約束通りに法律事務所に行ってみると、事務所にいたのはウッドひとりで、彼は自分の席を立ったところらしかった。
「お疲れ様。お仕事終わったの?」
「事務所のほうはな」
 ウッドは壁にかけてあるカレンダーに視線をやりながら言った。
 カレンダーの日付がひとつ、赤い丸で囲まれている。今週の週末。法案の決裁のための日だ。
「やれることはやったよ。あとはパルポネラに書類を紛失させる算段をしてもらうだけ」
 優桜は複雑になった。書類をわざとなくさせるという荒っぽいことと、国を動かす法案に手を加えようとしていることと、そして、パルポネラのこと。
「着替えてくるから先に座ってて」
 彼はそう言うと事務所のロッカーがあるほうに行ってしまった。
 優桜は事務所を見回してみた。先日まではいろんな場所に書類が積んであったが、今はほとんどすっきりと片付いていた。
 優桜がソファのほうに行こうとしたところでドアが開いて、サリクスが入ってきた。いつもと同じ、優桜の目からはホストにしか見えないスーツ姿だ。サリクスは優桜と目が合うと人なつこい笑顔を浮かべた。
「ユーサ久しぶり。お。その光り物はもしや彼氏からのプレゼント?」
 サリクスは自分のボタンが外れて肌が見えている襟元をちょんちょんとつついた。
 優桜は一瞬まじまじとそこを見て、そのあとで自分のペンダントの話をしていたことに気づいて顔を赤くした。
「……何かやらしいこと考えただろ?」
 サリクスの人なつこい笑顔がにやにや笑いになる。
「考えてないもん!」
「やっぱユーサもお年頃だな。色気もへったくれもないかと心配してたけど」
「違う! これ、あたしのパワーストーンだよ」
 優桜はペンダントの鎖を思いっきり引っ張って主張した。首の後ろで鎖が擦れる。
「あ、そういやペンダントにしてたっけ?」
 サリクスは優桜のその様子を見て笑いを引っ込めた。
「そう。だから別にサリクスを見てたわけじゃなくって」
「そっか」
 サリクスは真面目な顔のまま、優桜に顔を近づけた。少し身長差があるから、サリクスが身をかがめた格好になる。
「?」
 彼は優桜の耳元で、掠れるほど小さな声で囁いた。
「服の下が見たかったら、夜にいくらでも見せてあげるよ?」
「!」
 優桜が反射的に振り上げた利き腕を、サリクスは手にしていた小さな箱で防御した。ぱこん、と紙の箱がへこんだ音がした。
「びっくりしたー。この前からユーサ怖すぎ」
「怖いのはどっちよ!」
 こんなこと、誰からもされたことがない。いたずらの度を超えている。娘がこんなことをされたと知れば、優桜の父親は真っ青になって泡を吹くだろう。その光景は余裕で目に浮かぶ。
「セクハラよ! 訴えてやる」
「……ちょっと待て。最初に見てきたのはお前だろ」
「何やってるんだ?」
 呆れたような声に優桜が振り返ると、私服に着替えたウッドが立っていた。まだ髪だけは束ねたままだ。
「ウッド。これ下の郵便受けに入ってた」
 サリクスは言うと、手にしていた小さな箱を下からウッドに向かって投げた。それを受け取ったウッドが、箱についた凹みを見て渋い顔をする。
「何でへこんでるんだよ」
「ユーサが殴ったから」
「あたし?!」
 確かに叩いてしまったが、それはサリクスがからかったからで、そもそもサリクスはその箱がウッドのものだと知っていて防御に使ったのだから彼だって悪いはずだ。
 優桜がそう主張したら、ウッドはあっさり「言い訳するな」と言った。その理不尽さで優桜が言葉をなくしていると、サリクスが押さえきれないといったように笑った。
「ホント、ベビーちゃんだよな」
 反論できず、優桜はうつむいて沈黙した。内心ふくれて、そして結局サリクスの言うとおりだと気づいてしょげた。
 こんなだから、いつまで経っても大人になれないのだ。
「それって何? 事務所の備品?」
 事務所宛になってたけどと、サリクスがウッドに聞く。
「いや。事務所で懇意にしてる業者に頼んだけど、オレの私物。だから優桜もそんな気にしなくていいぞ」
 言うと、ウッドは包装を解いて中身を出した。それは綺麗な万年筆だった。どっしりとした見るからに高級感のあるもので、全体的に黒と銀で配色されていたが、よく見るとクリップの部分に針ほどの長さと細さで、透明感のある桜色の石が象眼されていた。優桜の剣の鞘のものとよく似ている。
「忙しくて延び延びにしてたんだけど、ひと段落ついたから注文したんだ」
「自分にご褒美?」
 明水はよくそんな言い回しをする。忙しい仕事がひと息ついた時や優桜の勉強を見てくれたあと、明水は「がんばったらご褒美が欲しいですよね」とちょっと高めのお菓子や何かを買っていた。優桜も真似をして、試験の後なんかにちょっと奮発した買い物をすることがある。
「そんないいもんじゃないな」
 ウッドは冷めた声で、手の中の万年筆を一回転させた。
「なんせ、人を縛り付けて、挙句に殺しちまうためのものだからな」
「何それ」
 不穏な言葉に優桜は思わず聞き返したが、ウッドは薄く笑って、万年筆の先を優桜に向けた。
「優桜の世界ではペンが剣より強い、って言わない?」
「ああ、そういうことか……」
 確かにウッドが書類にサインすれば人を約束に縛り付けることができてしまうのだ。タチの悪い冗談であることには違いないが。
 彼は自分の机の引き出しに万年筆の箱を押し込み、ついでに髪を束ねていた紐もほどいて同じ引き出しに突っ込んだ。優桜の場所から同じような紐が何本か入っているのが見えた。ほとんど地味な色だが、ちらりとひとつだけ、鮮やかな色の組紐が見えた。
「お前ってホント、性格悪いよな」
 サリクスが呆れたように言う。
「聖人君子だなんて言った覚えはないけど?」
「そういえば、悪魔は木の根っこから生まれるっていうよな」
 ひやかすような口調に、ウッドはさもおかしそうに喉の奥で笑った。
「だからウッドって名前にしたんだろ」
 その時メリールウが入ってきた。いつもの派手な音はなぜかしなかった。
「ただいまっ。お部屋の中はあったかいねー」
「お帰り。外寒かった?」
「ちょっと」
 メリールウは帽子を取ると、腕に下げていた袋を目線の高さに上げた。
「ウッド、下でもらってきたよ! ごはん食べよ」
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