桜の雨が降る------4部2章7

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 翌日はメリールウは休日だったが優桜は仕事があった。最近はなんだかこのシフトが多い。けれど、メリールウは遊びに出た翌朝以外はきっちりと早起きをする。だから今日も優桜が目覚めた時には既にメリールウはロフトから下りてきていて、ラジオのスイッチが入っていた。
 いつもと同じ朝。ニュースの話題もここ数日いつも同じだ。金髪の義賊。昨夜はどこに出たのだろう?
『被害者女性から話を聞き、傷害の容疑での立件を視野に入れての逮捕へと切り替えていくと国府警察は発表しており、早急に五番街ストリートの警備を固める方針を――』
「え?」
 いつもと内容が違う。アナウンサーの声も硬い。
 被害者? 傷害?
「昨日、女の人が義賊に襲われて怪我をしたんだって」
 メリールウは自分が痛い思いをしているかのように、右腕を押さえてしゅんとした。
「今までは、お金は盗っても誰も怪我をさせることはなかったのに、って」
 ああ、だからアナウンサーの声音が厳しいのか。
「……何それ」
 無性に腹が立って、優桜はぎゅっと拳を握った。優桜たちの勝手な解釈であるとは言え、今までだってあんまりいい思いはしていなかったのに、こんなことになれば余計に怒りが増す。
 このまま苛々した気分で仕事に向かっていいことがあるわけもないので、優桜はいつものランニングをわざと一周多くした。そのあとで食堂に出勤すると、ロッカーに人だかりが出来ていた。
「?」
 疑問に思って近づくと、ロッカー室にひとつしかない椅子にリサが座っていた。彼女は真っ青な顔で右腕を押さえていた。
 リサを取り囲むようにして今日出勤の従業員がぐるりと集まっていた。
「どうかしたんですか?」
「ああ、優桜」
 リサの側に膝をついていた赤毛の女性が優桜を振り返る。彼女はジェーンという。優桜たちよりやや年上のスタッフで、リサと仲が良い彼女は同じく気立てが良く、話もしやすい。
「リサがね、昨日の夜、五番街ストリートで怪我をしたの」
「五番街ストリートって」
 さっきニュースが言っていた名前。怪我をした女性。
「……義賊に怪我をさせられたのはリサ?」
 リサは複雑そうな顔で頷いた。
「大丈夫。たいした怪我ではないの。縫って痛み止めを頂いたから。ただ、事情聴取が長引いてしまってなかなか家に帰してもらえなくて、ほとんど眠っていないの」
「そんな。ひどい」
 たいした怪我でないと言っても縫ったのなら、それは優桜には充分ひどい怪我だ。事情聴取で家に帰れないだなんて。
 ただ、何となく優桜は警察というのはそのようなことを平気で行う組織のようにも思ってしまう。ガイアは現代よりずっと権力側が横暴だ。それに、父が警察のことで、いつも悔しそうに言っていたのを知っているから。
 父を嫌っているのに、母のことも大嫌いなのに、おかしなものだと思う。二人の言ったことはあっているように思うだなんて、矛盾もいいところだ。
「優桜。メリールウが家にいない?」
「メリールウ? どうして?」
 一瞬、呪歌で治して貰うのかと思ったがジェーンは現実的だった。
「急で申し訳ないんだけど、リサと出勤を変わって欲しいの。リサは出るって来てくれたけど、怪我をしてろくに寝ていないの。休ませたいわ」
「でも、リサはホールなんじゃ」
 メリールウはホールに出ることが出来ない。
「そこはあたしが代わる。あたしは今週、盛りつけだから。ごめんね、メリールウならこの上に住んでるし、他の子を呼び出すより早いと思って。もう開店の準備を始めなきゃ」
 ジェーンはきっぱりと言った。
 そこで優桜も合点が行き、メリールウを呼びに四階へ駆け上がった。家にいたメリールウは、ふたつ返事で承諾してくれた。
「リサにはいっぱいお世話になってるもの」
 こうして多少のごたごたから始まったものの、後はスムーズに昼の営業が終了した。
「メリールウ、ありがとうね」
 仕事が終わったジェーンが、メリールウに頭を下げた。優桜は隣で着替えながら、聞くともなしに二人のやり取りを聞いていた。
「気にしない、気にしない! リサにもジェーンにもいっつも助けてもらってる」
 メリールウはひとしきり笑った後で、ふと表情を暗くした。
「リサ、だいじょぶかな? 怪我したらいろんなことがたいへんよ」
「そうよね」
 ジェーンも腕を組み、俯いた。
「ニュースの女の人はリサだったのね。ホントに義賊だったのかな」
「みたい。さっきリサが言ってたんだけど、オーナーくらいの背格好で金髪だったって」
「黒い服の?」
「ってリサは言ってた。あとは……手首に何かつけてたって」
 ジェーンは人差し指を立て、自分の手首をちょんと突いた。
「手首につけるのは、時計? 時計なら、お金持ちよね」
「ううん。腕時計ではなくて、もっと紐っぽくて、リサはミサンガじゃないかって。リサが見た時、片手にナイフを握ってそれに口づけてたんだって」
「……それって、ヘンタイさん?」
 メリールウがさも不思議そうにジェーンに問いかける。ジェーンは首を振った。
「信じられない。あたし、金髪の義賊って結構好きだったんだけど、一気に嫌いになったわ。リサが何をしたの? 好きで夜歩きしてるわけじゃないのよ」
 そんな時間にリサが家を出たのは、子供が熱を出していて、氷が足りなくなってしまい買いに出たからだったそうだ。
「それじゃ、リサはおうちもたいへん?」
 メリールウが口元に手を当てる。
「たぶん」
「じゃ、行ってあげなきゃ」
「あたしは行くつもりだったけど。一緒に行く? でもメリールウ、いいの? あなた、本当なら今日は希望休よね。予定とか平気?」
 ジェーンに聞かれ、メリールウは優桜を見た。
「ユーサ、あたしリサのところお手伝いしてくる。パルに今日はごめんねって伝えてくれる?」
「……あ、うん」
 予定外に話が優桜に都合のいい方向に進んだ。
「……あたしも、リサに行けなくってごめんねって」
「わかった!」
「じゃ、あたしたちは着替えたら買い物して出ましょうか」
 メリールウが頷くのを確認して、優桜は食堂を出た。
 優桜は一度部屋まで戻ると支度をして、ひとりで持って行くお菓子を選びパルのアパートへ行った。会釈していつものように入ろうとしたら、今日は身分証明の提示を求められた。
「いつも入ってるのに」
 思わず呟いたら、相手は露骨に顔をしかめた。優桜は慌てて生徒手帳を探る。身分証は図書館のカードと一緒にそこに入れてある。
 パルに会って一通り挨拶をしたあと、優桜は会話のきっかけにとその話をした。
「びっくりしちゃった。普通に会いに来ただけなのに」
 パルは目をぱちぱちさせた。
「メリールウがいないから、ってわかるんだけど」
「彼女は目立ちますからね」
 パルの声の調子が落ちた。その変化に、なぜか優桜は気づいた。気づいてしまったのかも知れなかった。
「メリールウはおかしいですか?」
 パルは否定しなかった。
「優桜は目立たないと思っていますか?」
「思ってないです。目立つけど、おかしくない……何言ってるんだろうあたし」
 メリールウは確かに目立つ。急に鼻歌を歌い出したり子供のように走ったり笑ったり。
 でも、それがおかしいことかと聞かれたら違う。こういう人はメリールウではなくたっているはずだ。
 おかしいから目立つ。おかしくないなら目立たない。それだけのことだ。
 簡単なことのはずなのに、優桜は上手く言えなかった。
「……ごめんなさい」
 結局、優桜は謝ってしまった。
 いいえと、パルが首を振る。
「あなたが悪い話ではないですし。優桜は優しいんですね」
「優しいですか? どこが?」
「あんなに変わった人のことをそんなふうに思うなんて。貴方は豪族の縁者なのでしょう? なんだかおかしくて」
 今までそんな考え方をしたことが全くなかった。別に貴族の縁者でも何でもないのだから当たり前だが。確かにメリールウをおかしいと思ったことはあるけれど、今は違う。友達なのだから。
 確かに、メリールウはとても変わった女の子だ。優桜は自分がメリールウの気持ちをすべて知っているとは思わないし、メリールウのことは一緒に暮らしている今でもよくわからない。メリールウだって異世界に放り出されたことはないだろうから、優桜の不安な気持ちはわからないだろう。母親が身内を手にかけたこともないだろうから、優桜の裏切られた悲しい気持ちはわからないはずだ。
 そのはずだけど、何かが違う。何か間違ってる。でも、それはどこ?
 優桜の物思いにも気づかず、パルポネラは話題を切り替えた。今日の天気のこと、仕事がつらかったこと。優桜が来てくれて嬉しかったこと、友人から冷たくされて悲しかったこと。以前の華やかな暮らしの思い出。パルポネラは優桜のこともいくつか尋ねた。どの地方に住んでいたのか、そこは気候はどうだったのか。どうやって市井に溶け込んだのか。優桜の話は作り話のはずだったが、どうやって溶け込んだかについてのくだりは偽りのない本音になっていた。訳がわからず戸惑って、泣くなんて子供みたいだと思っていたのに泣いてばかりで、今でもそうだし元の場所が恋しい。そちらに会いたい人がいる。けれど、周囲にたくさん親切にして貰ったから、いつまでも泣かずに今できることをがんばると決めた。その気持ちを優桜は話した。
「優桜は強いですね。強くて、優しい」
 パルポネラはころころと笑った。
 強くて優しいは褒め言葉のはずだ。学校の先生に魚崎は優しいと言われればくすぐったくて嬉しかったし、両親や親戚から強い子だと褒められれば誇らしくさえあった。
 なのに、今は優桜は素直に喜ぶことが出来なかった。
(あたし、やっぱり疲れてるのかな?)
 自覚はないが、メリールウが最近よくそう言うのが当たっているのかもしれない。優桜はその日、いつもより早く帰宅する旨を告げた。
「今日も楽しかったです。ありがとう、優桜」
 パルポネラは特に何も言わず、いつものように玄関まで見送ってくれた。
「それでは、また」
「失礼します」
 優桜が頭を下げた向こうで、重たい音をたててドアが閉まった。
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