桜の雨が降る------4部2章5
密約が終わって少ししてからメリールウが玄関に出てきた。
「遅くなってごめんね。鏡がないとちょっとむつかしくって」
「メリールウ、帰ろう」
「うん!」
メリールウは元気に笑った。髪はまた帽子の中に隠されていたけれど、いつもの優桜の好きな笑顔だった。
夕方という時間のせいか、アパートの前には人の行きかいがあった。この辺りは高級住宅街であるためか、しっかりした身なりの男性が多い。仕事帰りなのだろう。金髪かそれに近い髪色の人が多く、黒髪の優桜にも時折、不思議そうな視線が時折飛んでくる。優桜は気にせず受け流すようつとめた。
アパートの前の洒落た段差をおり、振り返って別れを告げようとしたときにパルポネラが、今日は表通りの店のところまでご一緒したいと申し出た。買い物をしなければならないのだそうだ。断る理由はなく、むしろメリールウはまだパルと一緒にいられると喜んでいた。何を買うの、それだったらこっちのお店の方がいいよと、事細かにアドバイスをはじめる。買った後の荷物を持つのにも手を貸していた。そのくらいにパルポネラは買い物に不慣れだったのだ。
優桜も最初ここに来た頃、メリールウにあれこれ世話を焼かれたものだった。今ではメリールウは優桜が相談しない限り口を挟まない。自分も外から見ればきっと今の二人のようだったのだろう。メリールウが最後に「これでもうだいじょぶだね!」と肩を叩くのもそっくり同じだった。
随分と暮れかかった街路に出たところに、向かい側から小さな子供達の一団が走ってきた。男の子三人に女の子二人。遊びの帰りなのだろうか。先頭の男の子の手に何かが掲げられている。木の枝を十字に組んだものに紙が張ってあった。飛行機だろうか? 飛ぶのに見立てて、全員で追いかけ走っているようだった。微笑ましい光景に優桜の口元が緩む。
そのまま入れ違おうとした時、飛行機ばかり見ていて足を取られたのか、後方を走っていた小さな男の子が転んだ。あっと思って助け起こそうとしたときには、道いっぱいに幼い泣き声が響いていた。
「大丈夫?」
「痛いよぅ……」
転んだ男の子は膝を抱えて泣きじゃくっていた。そこに赤い汚れが広がっている。子供達が戻ってきて彼を囲むが、手当てはできないようで困ったように周囲を見ていた。ひとりの女の子など半泣きになっている。
「どーしたの? だいじょぶ?」
メリールウは両手の荷物にも関わらず、すぐさま子供たちに声をかけた。子供達はびっくりしたようだったが、程なくして半分泣いていた女の子が本格的に泣き出した。
一瞬、優桜は女の子がメリールウに怯えたのかと思ったのだが、それは優桜の思い込みで、安堵のため緊張の糸が切れたようだった。女の子はメリールウにしがみつくとわんわん泣き出した。優桜はパルポネラに荷物を渡すと、慌ててメリールウに駆け寄った。
メリールウは優桜に荷物を渡し、女の子の背を優桜の方にそっと押し出したので、優桜は荷物を置くとその子を片手で受け取った。涙でべしょべしょになった子の頭を苦労して撫でたが、しばらく泣き止んでくれそうにない。
メリールウは男の子の側にしゃがみこんだ。
「見せて?」
膝を自分の方に差し出させようとしたが、男の子は痛がって拒む。
「痛いっ!」
「そんだけ動けるなら骨はへーきかな? でも血がまだ出てるのかー」
「痛いよ……」
メリールウは頬に手を当てていたが、やがてその手でリズムを取った。
そうしてメリールウは歌い出す。花のためにさえずる小鳥の歌だった。軽やかなメロディが泣き声の合間に流れる。
「メリールウ?」
優桜もパルポネラも、他の子供たちもびっくりしてメリールウを見る。彼女はしばらく続けてから歌い止むと、男の子に笑顔を向けた。
「どう? まだ痛い?」
男の子は首を振る。膝には傷があったが、それはもう血で汚れておらず、半ばふさがって治りかけていた。
「どうして?」
「これでもうだいじょぶ。でも、おうちに帰って、おかあさんに消毒してもらいなね?」
言って、メリールウは男の子を立たせてやる。
「かさぶたはがしたらダメよ? 治るの遅くなるからね」
男の子は頷いて、細い声でありがとうと言った。
「おうちに帰れる?」
メリールウは他の子に聞いた。彼らは口々に帰れる、おねえちゃんありがとうと言った。そして夕闇の中へと歩いて行った。
「メリールウ。今のって呪歌?」
優桜から荷物を受け取って、メリールウが笑う。
「そだよー。傷を治す歌」
メリールウは『呪歌』という、歌うことで不思議な現象を起こす楽曲を操ることができる。
「呪歌ってパワーストーン光らせるだけだと思ってた」
「違う違う。もっともっとある」
メリールウはそこまで言って、優桜の後ろのパルポネラに気づいたようだった。
「ごめんねパル。すぐに荷物運ぶ」
「……結構ですわ」
パルポネラは言うと、メリールウの手から荷物を取った。
「パル?」
「失礼。遅くなってしまいましたので」
パルポネラは優桜の足下から荷物を取り上げると、靴音も高く去っていった。彼女はなぜか硬い表情をしていた。
「?」
優桜とメリールウは顔を見合わせた。
「パル、どうしたんだろう」
「いっぱい疲れてるみたいだからねえ。心配だよ」
優桜と並んで法律事務所の方へ歩きながら、みんないっぱい疲れてる、とメリールウは言った。パルも、ウッドも、ユーサも。
「あたし?」
優桜は目を丸くする。
「パルとウッドほどは疲れてないよ?」
「うん。パルとお話しするようになってから、ユーサ図書館行かなくなったから」
「ああ……」
確かにひとりで読みづらい文字と始終格闘するより、友達と美味しいお菓子を食べながら気楽なおしゃべりをするほうがずっと疲れない。
「でも、また図書館には行くよ。戻りたいし」
メリールウはちょっと悲しそうな顔をしたが、すぐに笑って頷いた。
「あたしも手伝うよ。パルにも手伝ってもらおう! サリクスにもウッドにも……ウッドはまだ忙しいのかな?」
「どうだろう」
法律事務所が忙しくなってからは夕食の約束をしなくなった。他の人も仕事が残っているから、とウッドは言った。
「何か差し入れ持って行ってあげようか?」
「うん」
食堂で差し入れのためのホットドックを調達すると、二人は螺旋階段を上がって法律事務所を訪れた。しかし、事務所は既に閉まっていて、明かりもついていなかった。
「めずらしいな。ウッドはほとんど遅くまでお仕事してるのに」
メリールウが廊下から身を乗り出して天を仰ぐ。日が沈んでからまだそんなに経っていない。
「残業続きだったから今日は早く閉めた、とか?」
優桜は、パルポネラが明日優桜ひとりで来るようにと言ったことが気になっていて、ウッドに会えたら相談しておくつもりだったのだが。いないなら仕方がない。
「ホットドッグどうしようか」
「あたしたちの夕ご飯だね」
優桜の物思いに気づかず、メリールウは無邪気に笑った。
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