桜の雨が降る------4部2章4

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 こうして優桜とメリールウはパルポネラのところに通うようになった。ウッドに確認をしたのだが、その時も彼は書類を見ながら応じてくれた。
『前にも言ったけど、向こうさんの要望だから。これから市井に降りなきゃならないのにあんまりに物を知らなさすぎて困ってる、と』
 だから同じ年頃の優桜やメリールウと話がしたいと、パルポネラもそう言った。
『大事な内通者だからな。逃したら同じような人材はもう期待できない。できるだけ話相手になってやってくれないか』
 ウッドは優桜とメリールウにそう言った。
『エレフセリアの話をしていいの?』
『それは駄目。あくまで普通の話。あっちだってそれが望みなんだし。天気とかお菓子とかかわいい店とか、そういうのでいいんだよ。女はそういうのが好きなんだろ?』
 それはウッドの偏見が結構な割合で混ざっているように優桜は思った。
 会社で言うところの接待のようなものなのだろうか。メリールウは優桜ほど深く考えているわけではないようで、新しい友達が出来たことを喜んでいた。
『二人とも、気をつけろよ』
 自分の状況を報告しに来ていたサリクスもその場にいて、優桜とメリールウに心配そうに言ったものだった。
『この前は助かったよ。男性出入り禁止とは知らなかったから無駄足踏ませたけど』
『店の女の子の更衣室以外にそんな場所があるとは恐れ入ったね』
 サリクスが茶化して笑う。
『サリクスはパルポネラには会わなかったんだよな?』
『え? 見たけど? 風に吹かれたらしなうーって感じのめっちゃ美人のお姫様』
 ウッドは意外そうに目をしばたいた。
『けど、って? お前のことだから一度会ったんならもう一度会わせろってうるさいかと思ったけど』
『そういえば』
『サリクスなんにも言わなかった。どして?』
 三者三様に問いかけられて、サリクスは珍しく機嫌の悪そうな表情になった。
『俺は女なら誰でもいいってわけじゃないぞ』
『そうなの?』
 優桜の知る限り、サリクスはどんな女性にも親しく声をかける。年上で既婚者のリサにだって遠慮をしない、筋金入りの遊び人なのに。
『確かに女の子もお菓子も大好きだけど、お菓子みたいな女はどうもな』
 言葉の意味がよくわからなくて、優桜はメリールウと顔を見合わせた。メリールウも不思議そうにしているから、ガイア独特の言い回しをされているわけではなさそうだ。
『それに、ずっと言ってんじゃん? 俺はルーのことが好きなんだーって』
『ありがと! あたしもサリクス大好きだよ。ユーサもウッドも、パルも大好き』
 サリクスが苦笑いしたところで話は終わった。
 優桜とメリールウは自分たちの懐具合が許す範囲でいちばん美味しいお菓子を購入すると、パルポネラの家へと向かった。
 パルポネラは壁の近くの住宅街にあるアパートで暮らしている。そこは壁の中で暮らせない下級の貴族や、地方から一時的に中央首都に来た豪族の婦女が滞在するための住居なんだそうだ。三階建てだが各階に一室というのではなく、優桜が思ったとおりメゾネットになっている。だから外階段はなく、唯一の入り口は受付に人が常駐し厳重管理されている。
 入館には身分証の提示が必要だ。これを知った時優桜は心底びっくりした。たかだか友人の家に入るだけのために身分証だなんて。
 しかし、二人は身分証を出せと言われることがなかった。受付の女性はメリールウの顔を見ると、いつも声をかける前に、無言で扉を開けた。
「すごいねぇ。自分までお姫様になったみたいよ」
 ウッドから連絡が入っているのかと思ったが、多分違う。メリールウを見て判断しているのだ。髪の色は簡単に染め変えてしまえるとしても、褐色の肌はそう簡単に偽れる物ではないから。
 二人は廊下を進むといちばん突き当たりの部屋のベルを鳴らした。ややあって、中からドアが開く。パルポネラは今日も変わらず典雅で優美だった。薄紅色のワンピースは丈が長くふんわりとしていて、靴の不釣り合いが気にならないくらいだった。
「どうぞ。そちらの部屋へ」
 通されるのはふかふかのソファがある客室である。そこでパルポネラと他愛のない世間話をするのが最近の優桜たちの日課だった。
 といっても優桜たちはもちろん、パルポネラも日中は仕事をしている。彼女の仕事は壁の中にある貴族宅の下女だ。身分を追われ、職がなく困っていたパルポネラのことを見かねた友人が仕事を紹介してくれたのだそうだ。なので、三人がおしゃべりをするのは午後遅くと夕方、日が暮れ始めるまでの間の短い時間だった。相変わらずパルポネラが出してくれるお菓子は高級で、添えられる茶は味も香りも抜群だ。ただ、パルポネラはもてなす側に慣れていないのか入れる手つきがたどたどしく、今では優桜が給仕役になっている。
「パルが出してくれるお菓子はおいしいね」
 今日パルポネラが出してくれたのは、一口大の大きさで作られた飴菓子だった。ぱりぱりに焼かれた飴生地の皮の中に、クリームや糖蜜がたっぷり詰まっている。見た目も可愛らしく、色とりどりの宝石でも集めたかのようだ。
「こっちも食べてね。おいしいよ」
「ありがとう。メリールウ」
 パルポネラがおっとりと微笑む。
 優桜たちが選んで購入したのはサブレだった。優桜たちが知っている中でも特に美味しい店の看板商品で、いつもは法律事務所に来た物をお裾分けでもらうくらいでしか食べたことがない。こちらの世界では、お菓子は高級品なのだ。しかし、それでもパルポネラが出してきたものに並ぶと、優桜の目には貧相に見えてしまった。
 エレフセリアの内情を探られたらどうしようかと優桜は最初こそ身構えていたのだったが、パルポネラはそんな話をする気はないようで、彼女はいろんな自分の話をした。壁の中にあった、今はもう人手に渡ってしまった元の家の話や、現在の暮らし向き。慣れていない家事がまだ難しいということ。メリールウはそのたびに家事のちょっとしたコツを手取足取り教えてあげていた。最初はずっと帽子をかぶっていたメリールウだったが、今ではパルポネラの家に入った後は帽子を取っている。
 パルポネラは一言もメリールウへの偏見を口にしなかったから、それも優桜には嬉しかった。
 パルポネラはなかなかに苦労している様子だった。文字通り住む世界が変わってしまったのだから、優桜にはその心境が実によく理解できた。優桜は本当に住む世界が変わっているのだということは流石に言えなかったので、パルポネラに対する優桜の身元は『中央西部のとある豪族の血縁者』となっていた。最近になって中央首都に上がることになり、親戚の古い知り合いの縁者であるウッドに預けられた、という話なのだが、どれだけ説得力があるものなのか。メリールウはもちろんパルポネラも疑っていないところを見ると、ガイア的には絶大な効力を持つ設定なのかもしれない。よくわからないが。
「では優桜もお嬢様なのね」
 それを知った時、パルポネラはそれまでとは違った親しみのこもった笑みを優桜に向けたのだった。
「いや、別にそういうわけじゃ」
 優桜は慌ててうつむいた。お嬢様と呼ばれるのは恥ずかしい。サリクスは優桜のことを揶揄してベビーちゃんなどと呼ぶが、それとある意味似た感じを覚える。
「どうして? お嬢様にはみんな憧れるのに。私もお嬢様のままでいたかった」
 パルポネラはそう言って膝で重ねた手を見つめた。労働などしたことがない人の証明のような白い手は、今では指先が水仕事で荒れていた。
 パルポネラは自分のことの合間に、貴族に関わる話を優桜に聞いた。満月の夜に青銀と純白の糸で編み物をするといい殿方に巡り逢えるというけれど、本当かしら? 中央西部の豪族は西と東のゴーシュ家のどちらにつながる血筋なの? 国外召喚大臣と国外召還大臣はどう違うの? 現大臣の家格は同じなのだけど、どちらが重要なのかしら。
 優桜には全部答えられなかった。わからないことばかりだったのだ。
「メリールウ、わかる?」
 多分、わかんないと言われるだろうなと思いながら、優桜はメリールウに話を振った。パルポネラが微笑んで首を振る。
「優桜。メリールウでは」
「うん。難しいことわかんない。でもね、どっちもダイジ」
 メリールウははっきりと言い切った。
「え?」
 優桜とパルポネラのぎょっとしたような視線にも臆さず、メリールウは笑う。
「コクガイショウカンって人は二人いて、一人はガイア国の外から偉い人や、外に出て戻れなくなった人を喚んであげるお仕事。もう一人は、ガイアの中で悪いコトした他の国の人を処分してその国に還すお仕事ってウッドが言ってた。だから、どっちも同じ大事さのお仕事」
「強制送還ってことなんだ。メリールウすごい」
 パルポネラはまだ納得のいかないような顔をしていたが、メリールウは「すごいのあたしじゃなくてウッドだよ」と笑っていた。
 そんな雑談を飽きることなく繰り返していた。
 部屋からは日の傾きがよく見えたので、優桜ちメリールウはソファが投げかける影が長くなると、どちらからともなく暇を告げるようになっていた。パルポネラは残念そうな顔をし、アパートの外まで送ってくれる。そして「またね」と優桜と握手し、メリールウには手を振って別れるのだった。
 この日も、優桜からそろそろ帰らなければと切り出した。メリールウがちらりと、まだまだ卓に残っているサブレに目を落とす。飴菓子の方はなくなっていたが、サブレは残っていた。パルポネラは何の躊躇いもなくそのサブレを、使い終えた紅茶の茶葉と一緒にしてしまった。
「それではお送りします」
 メリールウが帽子を整えている間に、優桜は先に玄関に出た。パルポネラは優桜についてきて、小さく囁いた。
「優桜。次はあなた一人で来られませんか?」
 優桜はびっくりしてパルポネラを見返した。
「どうしてですか?」
「いえ……どうしてということはないんですが」
 パルポネラは言いよどんで、ちらりと客室の方に視線をやった。メリールウが来る気配はまだない。
「優桜と二人で話がしてみたいのです」
 彼女はしとやかに優雅に微笑んだ。優桜は曖昧な笑みしか返せない。
『大事な内通者だからな。逃したら同じような人材はもう期待できない。できるだけ話し相手になってやってくれないか』
 ふと、優桜はウッドの声を思い出した。
 接待のようなものだと、確か優桜はそう思ったはずだった。
「わかりました。では、明日はあたし一人で」
「お願いしますね」
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