桜の雨が降る------4部2章3
「どうなってるんですかねえ……」
明水は指先にぶら下げたペンダントを揺らし、息を吐いた。
この石が光って従妹、優桜の声が聞こえてから少し日が経っている。
一体何が起こったのかわからなかった。
最初は優桜のイタズラかと思ったのだ。彼女は自分が見えるどこかにいて、ペンダントに通信機か何かが仕込んであって、それを使って話しているのではないかと。
そう思って調べたが、ペンダントには石と金具しか使われていなかった。機械の形跡は一切なかった。
仕掛けがあったのは叔母の部屋のほうなのかとも疑った。パソコンがあったのだから、こっそり起動させて明水の様子を探ることだって音声を送受信することだってできたはずだ。パソコンを使わなくても盗聴器や小型カメラを部屋のどこかに隠せば――。
しかし、もう調べようとは思わなかった。
優桜がそれを実行して、得をすることがひとつもないのだ。どこかで心配する父の様子を観察し、同じく心配する明水をからかっているのだと考えることはできる。しかし、優桜はそんなことをやって喜ぶような少女だっただろうか? 学校も剣道もさぼって、家族や無関係の友人にまで心配をかけて?
それはないと言い切れる。自分たちは優桜を、そんな暗い楽しみを覚える娘に育てることはしなかった。マスコミなら「優等生が抱えた心の闇」とでも銘打って面白可笑しい題材にするのかもしれないが。
結論はひとつだけ――優桜は、明水の従妹は本当に異世界にいる。
だから帰ってこない。足取りもつかめず、携帯電話も圏外なのだ。
このペンダントには明水が本や映画でしか見たことがなかった魔法のパワーがこめられていて、それがどういうわけかあの時、一時的に遠く隔てられた優桜との通信を超次元で可能にしたのだ。
「勘弁してくださいよ。僕はファンタジーの調査役には向いてません」
理詰めで考える癖があるので、現実離れした内容が得意ではない。できるだけ数字で、それも自分が知っている範囲で割り切りたい。どうやら魔法のアイテムらしいペンダントが今明水の手の中に九本もあるが、喜ぶより川にでも放り投げてしまいたいと思っている。
そうして明水は少し頭を抱えていたのだが、青い石のペンダントを見た時、従妹の声を思い出した。
『家に帰りたいよ』
優桜は確かにそう言ったのだ。
帰れるなら帰って来たいのだろう。だが、彼女の言葉通りなら――正直、まだ半信半疑ではあるが――優桜は今、異世界にいる。
おそらくは戻る方法もこちらに連絡する方法も優桜はわからないのだろう。わかるなら帰りたいのに留まる必要はないだろうし、連絡が自分の意志でできるならとっくにしてきて明水か他の誰かに救助を求めている。
従妹はまだ子供だ。知らない世界にひとりで放り出していいわけがない。
優桜の言葉を全て信用するなら、優桜は生きている。差し迫った身の危険はなく、少なくとも一人は本人が信用している相手が側にいる。怪我もしていないし食事もしている。ひとまず安心していいはずだ。最悪の事態は起こっていないのだから。
それでも、明水の心の疑惑が晴れない。この一件のせいで疑うことになれすぎてしまったのかもしれない。
優桜が信用している人物は、本当に信用していい人物なのか?
優桜は正常な判断ができる状態ではなかった。相手は何もわからない世界の人物。そして、優桜はまだまだ幼いのだ――。
連れて帰ってやらなければいけない。なるべく早く。取り返しのつかない事態が従妹に訪れる前に。
「そもそも異世界ってどこなんですかね」
明水は机に転がしたままだったシャープペンシルを拾うと、手帳に向き直った。
優桜が言っていた言葉の中で、場所を特定する手がかりになりそうだったのは二つだけだ。
すぐに帰れない場所にある、ガイアと呼ばれる世界。
「もうちょっと個性的な名前だったらまだ調べがつきそうなんですが」
ガイアというのはギリシャ神話の大地母神の名だ。ファンタジーやゲームに疎いとはいえ、二十五年ほど日本人をやっていればギリシャ神話が由来になった名称や設定は山のようにあふれていることは知っている。
明水は何気ない風を装って机の脇に置いた紙袋にちらりと視線をやった。手がかりは、高確率でこの中だろう。
使い古しの紙袋の中には、明水が読み古した本が表紙を上にして二列で積んである。一見すると処分するために分けたものに見えるが、最初の二冊以外の下にある本は、この前叔母の部屋のカラーボックスから持ち出した叔母の祖母――優桜の曾祖母にあたる女性の日記である。
優桜の声を伝えたペンダントと同じ場所に収められていた。だったら「MADE IN JAPAN」の印が入った和暦使用の当用日記でも、記された中には魔法の言葉が混ざっていて、それを唱えればタンスに隠し扉が開いて優桜を連れ戻せるかもしれないではないか。
「もうこれ以上の隠し事には出てきて欲しくないんですけどね」
明水は複雑な思いで古本の下から日記を取り出した。
(必ず無事に連れ戻します。だからもう少しだけ頑張ってください――)
明水は覚悟を決めて、いちばん古い通し番号が振られた日記の表紙に向き合った。
よくないことが入っているのはわかっている。けれど、調べずにはいられない。
「こういうのを『パンドラの箱を開ける』っていうんですかね」
ギリシャ神話の挿話を思い出し、明水は冗談めかして呟いた。
自身がとんでもない皮肉を言ったことに気づくのは、まだまだ先の話である。
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