桜の雨が降る------4部2章2
「すごい……」
「そう?」
メリールウは事も無げに言った。
「初めて見たから、びっくりしちゃって」
「ユーサの世界にはないの?」
優桜は頷いた。
「そうなんだ。ユーサの世界は変わってるね」
「あたしにはガイアのほうがうんと変わって見えるよ」
「ぼーっと見てないで行くぞ。俺たちにゃ一生関わりのない場所だ」
サリクスに言われて、優桜は慌てて壁から視線を離した。
パルポネラの言っていた住所は、その壁から外側に二区画ほど離れた場所にあった。パルポネラはアパートと言っていたが、優桜たちの住んでいるアパートより物件としての格が数段上なのは明らかだった。先ほどの壁とは規模が違うものの周囲はぐるりと漆喰の壁で囲まれていて、専用の受付がついていた。中にはプラチナブロンドの髪をした上品な女性が座っていた。
女性はメリールウの褐色の肌に気づくと、明らかに不快そうになった。
「何の用?」
口調もどこか横柄だった。それでもメリールウは普通にしていた。
「四号室のイェーツさんに会いたいんですけど」
「……イェーツさんとどういう関係が?」
明らかに不審がられている。優桜とメリールウは顔を見合わせた。
「失礼しました。スタジオ・ジーアールより伺った者です。十八時にイェーツ様とお約束をさせて頂いております。お取り次ぎをお願いできますか?」
サリクスがいつもとは違う、余所行きの声音で言ってスーツの胸ポケットからカードを取り出すと受付に差し出した。スタジオ・ジーアールというのは、ウッドが名乗るように指示した偽物の肩書きだった。
受付の女性はまだ不審そうな視線をメリールウに注いでいたが、きちんとした身分カードを前に門前払いにするわけにもいかないと思ったのだろう。優桜たちに背を向けて通信端末を使い出し、何やら話をした後でこちらに体を戻した。
「イェーツさんが来られるそうです」
そうして、優桜たちはしばし待つことになった。受付には絵画も花も彫刻も飾られていたため、退屈することはなかった。
「ここだけでもお屋敷の中みたいね」
メリールウがそう囁いてきたので、優桜は小さく頷いた。受付の女性はまだ訝しげな目をメリールウに向けていた。
そうこうしているうちに飾られているものもひととおり見てしまい、優桜が退屈を感じ始めた頃に扉が開いてパルポネラが現れた。今日の彼女はピンクの紗のワンピースを着ていて、先日とはうって変わった高級品だった。もしかしたらこの前は事務所に出入りしても違和感がないようにするためにわざとやつしていたのかもしれない。首元にはパルポネラの蜂蜜色の髪によく似合いの、豪奢な金のネックレスが二重に巻かれていた。足下の靴は優桜のローファーと似た黒い靴だった。
「本当に雲の上にいるみたいな美少女だな」
サリクスが指笛を吹くんじゃないかと優桜ははらはらしたが、彼はそうはしなかった。
「ようこそ。優桜、メリールウ」
彼女は手を広げ、客人を扉の中に招き入れようとした。優桜とメリールウが続き、サリクスも一緒に入ろうとしたところで受付の女性が彼を止めた。
「当館にご親類以外の男性が入れるのはここまでとなっております」
「えー? せっかくあんな美しいお嬢様とお近づきになれる機会なのに」
サリクスはパルポネラを見たが、パルポネラは手にしていた薄水色のハンカチを効果的に持ち上げ、サリクスに一歩踏み出すと「次の機会にぜひお会いしたいですわ」と微笑んだ。
サリクスはなぜか戸惑ったように足下に視線を落としたが、そのあとでメリールウに向かって言った。
「じゃ、俺は仕事もあるからここで帰るわ。帰り道はわかるよな?」
メリールウは子供のようにこっくりした。
「メリールウ。ユーサも、気をつけて帰るんだぞ」
サリクスは腕を伸ばしてメリールウの帽子の頭に手を置き、優桜の目を覗きこんで笑うと、手を振って帰って行った。パルポネラのことは振り返らなかった。
「どうぞ。こちらです」
パルポネラが二人を招き入れる。
豪華な扉の中はこれも豪華な回廊になっていて、正面の目につく位置に上品さを感じさせる銀の文字で、二種類の矢印と「一号室から四号室」「五号室から十号室」と書かれていた。
「すっごーい。物語に出てくるみたいよ」
「物語よりは外国にありそう、かな」
「エオローがいっぱい埋まってる話じゃなかったっけ?」
「?」
一体それは何なんだと思ったが、今言い合いをしても意味がないので、優桜は黙っていた。
四号室はいちばん奥まったところにあり、表札はなかった。ドアの上に真鍮のような素材で出来たベルと、そこから長く伸びた鎖が優桜のちょうど手の辺りに下がっていた。
「まだなれなくて……」
いいつつパルポネラは手ずからドアを開け、優桜たちを中へ通した。
「狭くてごめんなさいね」
パルポネラはそう謝ったが、そこは別段狭い場所ではなかった。玄関だけでメリールウのアパートの居室と同じくらいの広さがある。室内なのに螺旋階段があり、ゆるやかな角度で高い天井へと続いていた。どうやらメゾネット形式らしい。
「こちらへ」
パルポネラは玄関の続きの部屋へと二人を招き入れた。そこは来客用の部屋のようで、ソファと低い卓が置かれていた。卓は硝子で出来ていて、その四本の足には精巧な彫り物が施されていた。
優桜たちは促されるままソファに座った。そのソファも法律事務所のものよりずっとずっとやわらかい。メリールウは上手く落ち着けなかったのか、体が一、二回上で跳ねていた。
「少し待ってくださいね」
そう言い置いてパルポネラは退室した。
「すごーい。びっくりよ。こんなにもやわらか」
「うん……」
主がいなくなったので、優桜は失礼だとおもいつつ部屋を見回してみた。まごうことなくお金持ちの家だ。ソファも卓も高級品。なのに、どうしてなのか違和感がある。どこかがちぐはぐだ。
「お待たせしました」
パルポネラは茶器と菓子を乗せたトレイを持って戻ってきた。
「こんなものしかありませんけど」
「こんなものって」
メリールウはそう言って、慌てて口をふさいだ。
出された菓子はメイン・ストリートの一流店のクッキーだった。ケースごとだったから、優桜にも値段の予想がついた。ウッドがこの前パルポネラに用意したもののさらに上を行く。
パルポネラは向かいのソファに座ると、寂しげに目を伏せた。
「以前でしたら出入りの商人がもっと美味しいものを持ってきてくれていたんですけど、今では固くて保存の利くものばかり」
その言葉を聞いた時、優桜は先ほどから感じていた違和感の正体に気づいた。
この部屋にはソファと卓の他に家具がない。本当にお金持ちの家なら、来客の目を楽しませるように絵や何かを置くだろう。先ほどの受付のように。
「まだこちらに越したばかりで、私も仕事に行かなければならないので、手入れが行き届かなくて」
「こちらにはお一人で?」
そろそろ口を挟まなければ失礼な気がして、優桜は聞いてみた。
「はい。父と兄は別のところです。母と妹たちは、ペンドルトンにいます。そちらは母の生家で、お恥ずかしいのですが、西部の隅の方なので」
目を丸くしている優桜とメリールウの態度で、パルポネラは自分のおかしさに気づいたようだった。
「西部を恥ずかしい土地とは言わないのでしたっけ」
「あたしも疎いので、ちょっと……」
優桜は言葉を濁す。
「ユーサってばおかしいの。普通は言わないのよ」
メリールウが笑うので、優桜はぎょっとして体を強張らせた。しかし、気づけばパルポネラは一緒にころころと笑っていた。
「下々の風俗がよくわからないので、同じ年頃の人とお話がしたいと、グリーン氏に無理を言いました」
グリーン氏、の単語は優桜の中でしばらく行き場を失ってふらふらしていた。
「何度か打ち合わせをしなければならないと手紙で仰っていました。その手紙や伝言を、貴方たちに持たせて欲しいと私がお願いしました。よろしかったらその時に私とお話しして頂けますか?」
パルポネラはきちんと両手を膝に合わせて言った。
優桜とメリールウは顔を見合わせた。
優桜は、ガイアの特権者というのは酷く利己的なんだと思うようになっていた。執政者は人に苦しい思いをさせる法律を通そうとし、報道はそれを隠す。貴族だけじゃない。あの肉屋の女性だって、街角の子供だってメリールウのことを悪く扱ったではないか。メリールウのことを何も知らなかったのに。知っていて泥棒の罪を着せるような人まで存在したのだが、そちらはもう思い出したくもない。
けれど、目の前のパルポネラは優桜とメリールウと仲良くなりたいと言っている。
いい人もいれば悪い人もいるのだ。はじめは悪いと思った人がいい人である場合だってあるではないか。サリクスだったり、彼の友人たちであったり。
優桜がそう思って少し笑うと、メリールウは安堵したような笑顔になった。そうして自分の手を見つめて、おずおずとパルポネラに差し出す。
「もちろん、あたしでよかったら用事がなくたって……こういう時は、握手でいいですか?」
パルポネラは一瞬の間の後で、自分の白い手をメリールウの肌の色が違う手に重ねた。
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