桜の雨が降る------4部2章1

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桜の雨が降る 4部2章 壁の中とお嬢様

 こうして、優桜とメリールウは一緒にパルポネラの話相手をすることになった。
『あたしたちで大丈夫なのかな?』
 優桜は上流階級の約束事どころかガイアの常識すらおぼつかない。メリールウも作法についてはいろいろと心許ないはずだ。もっとも彼女は気にしていないようだが。
『相手のご指名だから断るわけにもいかないな』
 ウッドはこちらでも出来るかぎりフォローはするから頼まれてくれ、とこの件に二人を押し出した。
 初めて出かける日は優桜は食堂の仕事で、メリールウのほうは非番だった。優桜が帰宅すると、メリールウは鏡台の前にいた。赤い髪をふたつのおだんごに結い上げている。髪の量が多いので、まとめきらなかった部分が二本、顔の脇に下がっていた。
「おかえりなさい、ユーサ」
 二本の髪をしっぽのようにひらひらさせて、メリールウが優桜に笑いかける。薄く化粧がほどこされた顔は、午後の光の中で幼子のように汚れなく見えた。
「ただいま」
 優桜は返事をしてから、自分も準備をしなきゃと部屋に上がった。といっても特に着替えることもなく、ここに来てから譲ってもらった、お古の鞄に財布を入れる程度だ。食堂の仕事の時は必要がないので、財布は持っていかないようにしている。
 メリールウは準備万端のようだった。いつもの彼女は寒くないかと思うくらいに肌を露出しているのだが、今日は少し勝手が違っていた。着古した感じのする、花柄のチュニックワンピースの下に、同じく古着と思われるレギンスを合わせていた。足下もサンダルではなくブーツである。やはり古びていて、女性物にしては無骨な印象さえあるので、もしかしたら男性物かもしれなかった。メリールウがこんな服装をしたところを優桜ははじめて見た。
「今日は寒くないよ?」
 思わず優桜はそう聞いてしまった。
「え?」
 メリールウは素直に窓辺まで歩いていって、からからと引き戸を開ける。
「うん、寒くない ユーサ、寒い?」
 優桜は首を振った。自分が聞いたほうなのだが。
「ユーサは準備できた?」
「うん。あとはカーディガン着るだけ」
 優桜の準備ができたのを確認すると、メリールウは手を伸ばしてチェストの上に置いてあった帽子を取った。おだんご頭が崩れるのも構わず、無造作に自分の頭にかぶせて髪を押し込む。その仕草に優桜はびっくりした。
「メリールウ?!」
「? なぁに?」
「髪……いいの?」
 メリールウはにっこりと笑った。
「知ってる? びっくりは小さくなるんだよ」
「え?」
「いいびっくりは大きく、悪いびっくりは小さく。いこいこ、ユーサ」
 メリールウは節をつけて歌うように言うと、優桜を玄関の方へ急かした。途中でいつの間にかダイニングの椅子の背に置かれていた、紺色のコートを取って羽織る。赤い髪が見えないせいなのか、いつものあざやかさな彼女とは思えないほど地味な容貌になっていた。メリールウは食堂に出るときも地味な化粧をしているはずだが、今のメリールウはいつも以上に静かだった。
「おーい、ユーサ! ルー!」
 メリールウの部屋を出ると、通りから男性の声がした。
「サリクス!」
 眼下の通りで、サリクスがこちらを向いて手を振っていた。ひざしに金髪がちらちらと光っている。
 メリールウは廊下の手すりから身を乗り出して手を振った。その無邪気な様子に、サリクスが目を細めて笑う。
「ルー。あんま乗り出すと落ちるぞ」
「今行くね!」
 メリールウが廊下を走り出す。優桜は慌ててドアに鍵をかけると、その背中を追いかけた。この前と同じように派手な音と共に螺旋階段を駆け下りたメリールウは、ぐるぐる回った勢いのまま通りで待っていたサリクスに飛びついた。
「サリクス! 今日も会えて嬉しい」
「俺も嬉しいよ。ルーは夜でも昼でもカワイイねぇ」
 飛びついてきた彼女をサリクスは動じずに受け止め抱き寄せた。メリールウが背伸びしてその頬に口づける。メリールウには普通の挨拶らしいのだが、優桜には海外の映画かドラマでしか目にしない光景なので、どこか気恥ずかしくなってしまう。それでも挨拶はしなきゃと思い、こんにちはと細い声で呟いた。
「サリクスありがとうね。今日もこれからお仕事でしょ?」
「ルーのお誘いなら早起きくらい問題ないさ。ウッド経由で連絡きたのが気に入らないけど」
 会見場所として指定されたのは、パルポネラが暮らすアパートだった。辺鄙な場所にある法律事務所にパルポネラが出入りするのは、どちらの側から見てもよくないようだった。
 ガイアは、髪や目の色で出自がはっきりわかってしまう場合がある。メリールウもそうなのだが、貴族というのも輝くばかりの金の髪に、宝石の如き蒼い目だと知れ渡っているため、その特徴に当てはまる人がいれば、その人は例外なく高貴の出なのである。資産を失ったからと言って外見まで変わるわけではないから、そんな高貴の身分の人が繁華街近くの法律事務所に出入りしていたら目立って仕方ない、というのがウッドの話だった。
 パルポネラが現在住んでいる場所は、壁の近くにある、所謂『高級住宅街』なのだそうだ。そこは優桜はもちろん、メリールウも不慣れな場所である。だからサリクスが一緒に来てくれることになったのだ。ウッドのほうがおそらく適任なのだが、彼は仕事でこれ以上他の件を抱えこめる状態ではなかった。
「こーんな美人二人のエスコートができるんなら、早起きくらいしますって」
 そう言ってサリクスは優桜とメリールウの肩を抱くようにした。失礼にならない速さで抜けてしまった優桜に対して、メリールウは嬉しげに帽子の頭を彼の腕に預ける。
 こうして優桜がちょっと先を、サリクスとメリールウが後を歩くことになったのだが、すぐに道がわからなくなってしまい二人に並んだ。
「美人のお姫様に会いに行くんだろ? 俺は話しか聞いてないけど、どんな人?」
「とってもキレイ。まるで雲の上のお姫様みたいよ」
 優桜にはよくわからない言い回しだったが、サリクスはぜひお目にかかりたいねと頷いていた。天女のような、という意味合いなのだろうか。確かにパルポネラはそのくらいに優美だった。
 メリールウとサリクスと歩くのは、いつもと同じに楽しかった。この二人はどこにいても変わらない。歩く場所が繁華街でも鉱山の中でも、いつだってとても楽しそうだ。
 慣れない大通りをしばらく行くと、優桜の視界の先に大きな灰色のものが見えるようになってきた。
「あれが『壁』だよ」
 ひょいと、通りの先をサリクスが指さした。そこには天つく勢いで、灰色の壁がそびえたっていた。
 そのあまりにも圧倒的な存在に、優桜は言葉を失った。
 場所と場所を隔てる壁があることを優桜は知らないわけではない。高校は外から人が入らないように、ぐるりとコンクリート壁やフェンスで囲んである。でもそれは「入りたい人は許可を取れば入ることができる」という場所だった。今視界にある壁は、そうではない。高さは大人が大人の肩に立ち上がってもまだ届かない。見るからに固そうな灰色の石が隙間なくびっしりとつまれ、こちらから向こう側の様子を伺うことなどとてもできそうにない。
 昔、海の向こうの国では、同じ国なのに壁に隔てられていて、その壁を越えてもう一方に行こうとした人は銃殺されたと聞いた。優桜が生まれる遠い昔に突き崩されたものと同じ脅威が今、優桜の前にあった。
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