桜の雨が降る------4部1章8
サリクスが仕事に出て行き、メリールウが夕ご飯を作り始めたあと、自分の担当の家事が終わった優桜は、法律事務所まで降りていった。
「ウッド、まだお仕事してる?」
昨日机の上にまだ積んであった書類の量が多かったのが気にかかったのだ。自分でも何か手伝えることがあるなら手伝いたい。
ウッドはまだ机の前にいた。上着は椅子の背にかけ、その上にネクタイが赤いラインをひくように乗っていた。髪も解いていたから、私服とスーツの中間のような格好になっている。
「どうしたの?」
優桜の言葉の主語がウッドにはわからなかったようだが、少しして気づいたようで「本当は着替えてしまいたいけどまだ人と会うから」と言った。
「今からまだ人と会うの?」
「ちょっとな。そうだ。お前もいてもらっていい?」
ウッドは周囲を見回してから、声のトーンを落とした。
「エレフセリア関係のお客だから」
ウッドはレジスタンス組織である『エレフセリア』を主催している。世間に広がる格差を是正するための組織であり、まだまだ大きい活動はしていないが、ゆっくりと正しい方向を目指し動いている。優桜は、そう信じている。
「今日もまたヘンな人?」
前の経験から、優桜はエレフセリアの客といわれると身構えてしまう。
ウッドは破顔一笑した。
「そんな身構えなくても大丈夫だって。ちゃんとした身元のお嬢様だよ」
「え?」
ウッドは腕を組むと、椅子の背もたれに体を預けた。
「パルポネラ=イェーツ。壁の中の住人だった。今もそこに勤めてる」
「刑務所の人?」
優桜は首を傾げた。どう考えればそれがちゃんとした身元になるのか。
「なんでそうなる? 壁っつってんだろ」
「……壁、って?」
少し考えて、優桜は「壁の中の住人」という言葉は、自分の世界で考えると「深窓の令嬢」というニュアンスになることに思い至った。
ガイアという国は、方角で四つに区分されて、それぞれ方位の名を取り「北部」「南部」「東部」「西部」と呼ばれている。四つの地方が接する国の中心部は「中央部」と特別な名前を与えられている。優桜が今いる中央首都・リーガルシティはここに存在する。
優桜はまだまだ勉強の途中で、ガイアの全容を知っているわけではないのだが、元々この国は貧しかったようだった。力包石(パワーストーン)と呼ばれる独特の鉱石を算出する鉱山と、鉱石からエネルギーを取り出す技術が存在したおかげで国として成り立つことができたような小さな国。内戦なんて物騒な状態に陥っても国民が全て飢えることも凍えることもなかったのは、生活を成り立たせる資源を自分たちで確保することができたからだ。ただ、それは同時に他国からの非干渉という事態につながり、内戦が長期化する理由となったとしている文献もあった。
宝の山のような鉱山があれば、その主が栄えるのは優桜にもよくわかる。ガイアの権力者はそうして誕生した。性質が悪かったのは、彼らの意向次第で電気も水道も、生活に必要な全てが左右されるような仕組みになってしまったからだった。彼らは自分たちをガイアでいちばん貴い者たち――貴族と呼び、支配階級に収まった。不公平かつ横暴なふるまいがされたのは想像に難くない、というより今のメリールウの置かれている状況を見れば明らかだ。放浪者の迫害は当時の王の命令で実施された政策である。
永遠に続くかと思われた貴族による圧政は、武装集団の登場で終わりを告げる。武装集団はガイアの東西南北を何の区別もなく強襲した。拠点こそ北部にあり、その近辺こそ地獄絵図のようだったが、同じ地方が立て続けに襲われることはなかったし、ひとつの地方だけが被害を免れることもなかった。どこにいても同じで、逃げ場はなかった。貴族の財はガイアの土地に基づいたものであり、他国に持ち出すことはできなかった。
そして彼らは、中央首都の中に高い壁に囲まれた、安全な自分たちの街を作った。万が一武装集団に襲われることがあっても、周囲の住民達が犠牲になっている間に逃げ出すことのできる街を。
現在の中央首都とは、その壁の中と貴族が自分たちの身代わりにすべく外側に作った地域の双方を指す。高い壁に囲まれた絶対安全な街は、内戦が終わった今も存在しているそうだ。
「あたしは壁の中って言われると、刑務所を想像しちゃうな」
優桜が自分の誤解を伝えると、ウッドは納得がいったように唸った。
「刑務所のこと、塀の向こうにいくとか、堀の中にとかお勤め中とか言うから混ざっちゃった。ガイアだと『壁』って貴いものなんだね」
「さあな」
ウッドは息を吐いた。
「生まれる前からあるし、貴族は守るべき御方って言われてるから、それがあってんだか間違ってんだかなんてだいたいの奴がわかってねえよ」
「ウッドはどう思うの?」
人はすべからく平等、とウッドはまるで法律のような言い方をした。
優桜は話を元に戻すことにした。
「その、パルポネラさん? 貴族がどうしてこんなところまで来るの?」
「元貴族、だ」
ウッドは言葉を訂正した。
「住人だった、って言ったのは、地位が簒奪されて壁の中から追い出されちまったからなんだ」
そういえば、ウッドは過去形で話していた。
「地位の簒奪なんてあるの?」
貴族に生まれたら生涯安泰なのだと思っていた。
「あんな小さな壁の中に全ての貴族を入れてやれるわけがないだろう? あそこに住めるのはトップ中のトップ、貴族中の貴族で、他は辺鄙でいつ襲われるともしれない地方に『豪族』って言葉だけ強そうな末端の位を贈られて追い出されちまうんだ。みんな自分の命が大事だしいい地位にも就きたいし、何より王様の膝下で安全にぬくぬく暮らしたい。だから、隙があれば容赦なく蹴り落とすんだとさ」
パルポネラという人の家族は、そうして地位を追われ、壁の中からも追い出されたのだという。
「で、貴族ってのは妙に見栄えにこだわる生き物で、自分たちの金髪と青い目を至宝みたいに思ってる。別にメリールウみたいにかっ飛んだ色じゃなくても、優桜の髪とか、オレやサリクスの目の色は下賤で卑しい、見るもおぞましい……ってことになるらしいな」
「え?!」
優桜は驚いた。髪や目の色でそんなことになるなんて。
「貴族は自分たちの周りを綺麗にしたくて、自分たちと同じような髪と目の色の人種で固めるんだ。同じ色にするったって、この色は貴族のものだから、身内を下働きになんかできない。それで、内戦で故郷を失った北部出身者が大量に雇われて」
ガイアで北部出身というと、淡いプラチナブロンドに青い瞳という特徴の人が一般的になる。確かに、貴族の特徴と似ている。少し褪せさせたような感じか。
「北部の人達は武装集団のせいで帰る故郷も仕事もなかったから、どんな条件でも必死に働いて。そうしてたら奴隷も同然になっちまったんだけど……パルポネラは貴族のお嬢様からそんなところにまで堕ちてしまった」
「どうして? 同じ貴族なのに働かせるの?」
「身分がなくなったっつったろ? 同じ金髪の人間を働かせたいとも。パルポネラは仕事しなきゃ生活していけない、貴族はファッション感覚で見栄えのいい小間使いが欲しい」
需要と供給が一致したというわけだ。優桜は息をついた。
現代と同じだけど違う。違うけれど同じ。
自分が信じていたものは、ここに来てからぐらぐらのしっぱなしだ。
「本当なら昼間来て欲しかったんだけど、働いてるから仕事のひけた夜にってことで、オレとしてもそっちのほうがありがたかったし」
ウッドは言うと、くつろげていたボタンを嵌め、ネクタイを取ると手慣れた仕草でそれを締めた。大人の男性の動作だった。
「レジスタンスの活動はこそこそとやるもんだしな」
そういって笑った顔が子供のようで、優桜も一緒になって吹きだした。
優桜は、ウッドがパルポネラの訪問までは仕事に向かえるように来客の準備を引き受けた。準備といってもポットを用意し、側にティーバックや茶請けの菓子を置いておく程度だったが。菓子は昼間のうちに事務所の女性に頼んで購入してきて貰ったそうだ。
「あの人エレフセリアのこと知ってたっけ?」
「知らない。今はオレが直に出向いて挨拶回りすることが多いからって理由にして余分に買ってきてもらった」
ウッドは名簿のような表をふたつ並べて、一方に線をひいている。
部屋にはまだラジオがかけられていた。
「次のニュースです。法案第三十四条変改、通貨使用に関する改善及び改造案の貴族議会提出について、提出担当大臣フィラデルフォス・ノウブルマン=プルーストス氏は来週中にも書類を審議し、提出するとして王庭議会の提出物受付担当大臣に書状を提出しました」
優桜は耳をすませたが、法案に関わるニュースはそれきりだった。
「提出担当大臣と提出物受付大臣って」
「関わる人を増やすことでより正確な確認をするらしいけど、オレは無駄が多いだけだと思うんだよな」
書類から顔を上げずにウッドが言った。
「勉強していくとどんどんわからなくなるんだよ。それだけ確認して最後の王庭議会にかける意味ってあるのかとか、上院は貴族が三分の二を占めなきゃいけないって法律の理由とか、どうして壁の中に議場を作らないのかとか」
専門の教育を受けたであろうウッドですらわからないのなら、自分がわからないのもおかしいことではないのかと優桜は思う。
法案に関わることはそれだけで、ラジオは南スラムの入り口にある教会に贈り物が届いたと話題を続けた。そちらもこれだけだったが、多分、義賊が送り主だろう。
「法案、このまま決まっちゃうのかな」
優桜は小さく呟く。
「決まらないようにこれからパルポネラに来て貰うんだよ」
「え?」
優桜は思わず声をあげて聞き返した。
「だってその人エレフセリアのお客さんでしょ?」
「法案反対は半分以上エレフセリアの案件だからなあ」
ウッドはぼやくように言った。
「うちは自転車操業の弱小事務所なんだから。お上の意向に背く反対活動幇助に全力注げる体力なんか基本ないっての」
「じゃ、何で事務所でやってるの?」
「弱小だが一応『公式に国府から認可を受けた法律を扱える事業所』なんでな」
ウッドは事務所の、自分の席の後ろに置いてある棚を示した。そこには硝子のスタンドの中に賞状のようなものが一枚収まっている。いちばん上に飾り文字で『許可証』と書いてあった。
「エレフセリアで全部やったらつかまるような部分も、この紙一枚あれば無傷で切り抜けられる時があるんだよ。お前とメリールウとサリクスに街頭で法案反対のビラを撒かせれば国家転覆罪あたりで捕まるけど、法律を扱う許可を受けた事業所として、悪法の審議を周知したいって活動は取り締まれない」
オレに弁護士資格なんか与えたのが間違いだよ――ウッドはそう言って趣味悪く笑った。彼を策士と呼んでいいのか、それとも恐ろしく狡賢い人物なのか、優桜は時折わからなくなる。それはガイアから受ける感じと少し似ていた。
そこまで話したところで、軽い音でドアがノックされた。
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