桜の雨が降る------4部1章7

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 サリクスは時計を確かめて言った。そういえば、これから仕事だと言っていた。
「ごめんなさい」
「いろいろ言いたいけど、まあ、俺もからかったしな。すっごい見事に決まったけど、ユーサって護身術でも習ってたのか?」
「……習ったこと、あるよ」
 優桜はふっと視線をそらした。
 優桜の父親は、優桜に幼い頃から剣道だけではなく、柔道、空手、合気道、護身術とありとあらゆる武術を習いに通わせた。バレエやピアノなど、女の子向けの習い事を勧められた記憶は一切ない。武術の中で優桜の気性にいちばん合ったのが剣道で、剣道が上達するといつの間にか他の武術に通うことは止めになった。
 小さかった頃は、父は優桜に剣道でいちばんになってほしいんだと思っていた。だから頑張ったし、試合で勝ち進めるようになると父母も、明水をはじめとした親族も喜んでくれて先生達も褒めてくれたから、優桜は剣道で強くなることはみんなが喜ぶことだと思った。そして、もっと強くなろうと頑張った。
 高校に進学するとき、優桜は剣道の強豪として有名な私立を志望した。優桜の家からは通学に少しかかるが通えない距離ではなく、学校自体も文武両道の評判をとっていた。優桜の成績も、模試の結果もどちらも合格圏内だった。
 優桜がその学校を受験すらできなかったのは、父が猛反対したからだった。
 剣道が強くなりたい、私立に入れば最高の環境になると言い張る優桜に対して、父親は剣道はもう充分だと言った。父親の関心は、私立高校の近所に男子校があることと、通学に利用する駅がかなり大きなターミナルで、その側に評判の良くない界隈があることに集中していた。
 優桜の父親は、娘が剣道で強くなることを望んでいなかった。彼が望んでいたのは優桜が自分の身を守れる程度に強くなることと、そして、優桜が常に自分たちの目の届く範囲で大人しくしていることだった。
 父は、優桜は清風高校に進学べきだと言った。清風高校は公立校の中でも偏差値が高めで、そのためかやや堅めの校風で通っている。優桜の家から比較的近く、加えて伯父の家のすぐ近所なので、万が一何かあったとしてもすぐそちらを頼れて安心だというのが彼の主張だった。
 喧々囂々の争いは、結局、優桜が折れることになった。清風高校は倍率がかなり高く、当時の優桜の成績では合格がかなり怪しかった。明水が面倒を見てくれなければ無理だったろう。明水は自分の仕事も抱えながら優桜を見てくれ「受験は確かにしんどいだろうけど、合格さえすればユウの実力なら充分にやっていけますから」と励ましてくれた。実際にその通りだったとはいえ、この一件は元々悪化しつつあった優桜と父親の仲にさらに亀裂を入れた。
 そんなことまで思い出したら、さらに憂鬱になってしまった。優桜がしゅんとしているのを別の意味にとったのか、気がついたらサリクスが慌てていた。
「いや、確かに言い過ぎたけどさ。そんだけ強気に出られるんだったら毎度毎度絡まれるなとか十六のいい大人がベビーちゃんとかしょげるな泣いてんじゃねえ反省してんのとか」
「え?」
 物思いにふけっている間にそんなに言われていたのか。
「うん……」
「ユーサ?」
「ユーサ、元気ないときにはお菓子だよっ」
 メリールウはいつもの甘い匂いのお茶を入れ、棚をがさごそして奥から硝子瓶に入った菓子を取り出した。クッキーに似た茶色の菓子は、真ん中がぽこんと膨れあがっている。
「食べて元気になろー!」
 中にクリームか何か入っているのかなと思って口にした菓子は、ただ膨れているだけで中はからっぽだった。メリールウはこのお菓子の名前は『見栄っ張り』と言うのだと教えてくれた。
「ぷくーって何か入ってるみたいだけど、ぜんぜん何にも入ってないのを見栄っ張りっていうんだって」
「なるほど……」
 見栄っ張りは名前と裏腹に美味しかった。膨らんだ部分はカリカリしていて、口の中で甘く砕けた。
 いつの間にか、ダイニングテーブルにラジオが持ってこられていた。軽快で、ちょっと間の抜けたメロディが流れている。とんがり帽子に真っ赤な鼻の道化師を思わせる音楽だった。
 音楽が終わると男女の声に変わり、曲の感想が二言三言語られて、それではまた明日と締め括られた。番組は続けてニュースに変わる。
 冒頭はここ数日の国民議会が滞りなく行われているニュースで、そこに付け足すような形で改善及び改造案、ウッドに言わせるところの増税案がちらりと流れる。そして昨日のように、明るいジングルとともに話題が移る。黒衣の謎の義賊。
「全っ然ニュースにならねえ。ウンザリするよな」
 サリクスもこの法案の真実は知っている。ウッドから頼まれて、豊富な人脈を活かした周知に励んでいるようだったが、繁華街の住人は高尚な政治活動より明日のご飯の方がたいへんだという人たちがかなり多く、はかどっているとは言い難い状況だった。
「本当に」
 優桜は頷いた。メリールウは何も言わなかったが、表情が沈んでいる。
 そんな三人を気にもとめずにニュースは義賊の情報を繰り返す。
 現場で目撃された人物は身長百七十から百八十、黒いコートと黒いサングラスで顔を隠した二十代〜三十代の男性との情報が国家警察より発表されておりますが、この人物が善意の義賊であるかは不明となっており……。
「こないだの奴を思い出すな」
「え?」
「ほら、いただろ? 金髪グラサン黒コートの冷気使いのマスター」
 言われて、優桜はその人物のことを思い出した。
 その時も今日のように、メリールウとサリクスが一緒で、ウッドは場にいなかった。鉱山の中でいきなり自分に刃を向けてきた、金髪の男性。ミラーグラスをかけていたから、顔は見ていない。
 確かに特徴だけ抜き出せば似ているように思った。
『お前達が姫君を壊したんだな』
 もっと義賊との共通点がないかと思い出そうとして、優桜の頭に真っ先に浮かんだのは操る冷気と同じく底冷えのするような怒りの声だった。
 彼は何に怒っていたのだろう? 『姫君』とは誰?
 ウッドは、騎士と呼ばれたあの人物が武装集団の残党ではないかと言った。ガイアに内戦を引き起こしていた、黒衣の兵隊達。十八年前に彼らが崇めた『不和姫』が『平和姫』によって倒されたことで弱体化した。
 彼はその消えた不和姫を元に戻そうとしているのだろうか。二十年近い年月が経った、内戦が過去の物になったはずの世界で。
 しかし、よくわからない。ウッドは確かに優桜を『真なる平和姫』と呼ぶが、優桜は不和姫を滅ぼしたわけではない。十八年前に優桜は生まれていないのだから、言いがかりにも程がある。
「黒コートにサングラスだろ? 大胆なコトしておいて、顔と体型とファッションセンスに自信はないと見えるな」
 サリクスが辛辣なことをいい、メリールウが容赦なく笑う。鈴のような声を立てたあとで、彼女は「黒が好きなのかもよ」と足した。
「黒好きって珍しいぞ? 武装集団の色だからって、上の偉いさんは嫌ってるし。闇に紛れるには黒がいちばんだってーの」
「用心棒なのに、黒い格好はだめなの?」
「時と場合によるな。街中で商品守るのに黒いカッコじゃ目立って仕方ないし、かと言って夜の張り番にいつものスーツってのもおかしいし」
 サリクスは軽く息をついた。
「どうして? サリクスはどんなカッコでも格好いいよ!」
「そう? あねさんかぶりにゴム長でゴミ袋下げてても、ルーは俺を格好いいって言ってくれる?」
 サリクスの問いかけに、メリールウは笑って頷いた。
「ゴミを出すのはとっても大事だもん。明日は燃えるゴミの日だし」
「いっつも思うんだけどさー、カセットテープって燃えるゴミでいいんだっけ?」
 さあ? とメリールウは首を傾げる。
「でもでも、角の食料品店の、若い店員さんが貼ってくれるテープはすごくはがしやすいよー」
「そういえば、おじさんが貼ってくれる分ってはがしにくいもんね」
 言いながら、何の話をしてたんだったっけ? と優桜は頭の中で思った。
 そんな雑談をしながら、優桜たちはのんびりと午後のお茶を楽しんだ。お茶もお茶請けも質素なものだったのに、とりとめのない、途切れない会話がとても楽しく、優桜は久しぶりにのんびりすることができた。
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