桜の雨が降る 3部4章4
内戦はもう終わったと、優桜はそう聞かされている。
でも、それで武器を持たなくてもよくなったかと聞かれると、そんな世の中は来ていないという答えになるのだ。だから、優桜はこの前道でぶつかっただけでお金を取られそうになった。この世界にはじめて来た時だって、メリールウが助けてくれなければ売り飛ばされていた。
「『真なる平和姫』」
その呼び名が自分のものだと、優桜は少しの間気づくことが出来なかった。
「貴方は、もっと正しく人を救うことが出来るのですか? そのお力で、私どもには実現不可能な、全て丸く収まる救済を与えることができるんでしょうな?」
優桜は答えられなかった。
「自分にできることをやって何がいかんのですか。あんたのように、わからないまま理想を騙っているわけじゃない。できることをできる範囲でやっておるのです」
会長は深く椅子に腰かけた。
「――だから、法を侵しても構わないと」
それまで沈黙を守っていたウッドが、静かに言った。
「貴方も同じでしょう」
「そうですね。合法的に守れる手段が存在するなら、こんなことに手出ししませんよ」
ウッドは自嘲気味に笑ってみせた。
「我々は守らなければならんのですよ」
「ですよね……貴方は自分の行動で、弱い人たちを守っていると」
相手に同意したあとで、ウッドは思いついたように言い足した。
「貴方が提供した武器は、人を傷つけることはないんですか」
「それは正当防衛ですよ」
ウッドは訝しがるようにして両目を眇めた。
「武器で人を傷つけて、貴方はその人が『何も感じない』と思ってるんですか?」
相手に反論の機会を与えず、ウッドは続けた。
「自衛は必要です。やむをえない場合もあるでしょう。でも、人を傷つけたら人は傷つくんです。理由があったとしても、やっぱり傷つくんです。貴方がさっき言った幼い子供は、武器を取ることをどう感じたんでしょう?」
「防衛です。生きるには傷つくこと、傷つけることは当たり前にあるんです」
会長は僅かに怯んだように見えた。
「その通りですよ。でも、なんで血を流させて学ばせるんですか。どうして、避けられたかも知れない痛みを与えるんですか。正当な理由さえあれば人を傷つけても何も感じないなんて、それは人を傷つけたことがない人の一方的な思い込みです」
決して、責めたり非難しているわけではなかった。ウッドは本当に淡々としていた。
「貴方のやっていることは『守ること』でも『慈善事業』でもありません」
言葉は静かだったが、相手を突き刺すには充分な威力を持っていた。
「……お前だって」
会長が低く唸った。
「オレは『慈善事業』をやってるつもりはありませんよ」
ウッドは肩をすくめた。
「相談は受けますけど、しっかり金もらってるんで。払えないって泣かれても労働で返させますし」
そこで決裂だった。会長たちは何も言い返さなかった。
昼下がりの部屋に、沈黙が重苦しくのしかかった。完全な沈黙ではなかった。時計の秒針の音も、空調の唸る音もはっきりと聞こえた。その音にすら押し潰されるように優桜は感じた。
「我々をどうする気だ」
重くまとわりつく空気を振りはらうように、会長が唸った。堅苦しさが消え、こんなにちゃんとした格好なのに粗暴に見えた。
「警察に摘発するか? それならおまえたちも道連れだ。知っている情報全部、取調室でばらまいてやる」
瞬間、優桜は青ざめたが、ウッドには予想がついたことだったようで、彼の調子は崩れなかった。
「あー……やっぱりそう来ますよねえ」
先ほど相手を切り崩した時の声とは違い、どこかユーモラスな声だった。
「痛み分け、といきませんか? こちらからは告発しません。なので、今後一切私どもに関わらないでください」
「え?!」
優桜はびっくりしてウッドを見つめた。
「なんで?! この人達は!」
「失敗したよな……話しすぎた」
ああ、エレフセリアのことを知られてすぎているのか。だから手出しできないのか。
優桜は思わず会長を睨んだが、会長はあからさまな安堵の顔をしていた。
「賢明なご決断で何よりです」
会長は取り繕ったような堅苦しい調子になった。
「おわかりかと思いますが」
「わかっていますよ。あなた方の取引にはこちらは一切手を出しませんのでご安心ください。証拠はご入り用ですか?」
相手が頷いたので、ウッドは横に置いていた書類カバンから書面を出すと、胸ポケットにさしていたペンで何事か書き足した。会長がそれを確認して黒髪の男性にも読ませる。特に仕掛けはないと判断したようで、彼は頷くと会長に書類を戻した。会長は署名捺印した。
「ありがとうございます。それではこれにてお引き取りを」
ウッドに促されるまま、彼らはそそくさと立ち上がった。
「さようなら。もうお目にかかることはないでしょう」
その別れの挨拶に、会長は何も返さなかった。
「ウッド! あれでいいの? 何にも変わらないんだよ!」
彼らが出て行った瞬間に、優桜はウッドを問いただした。
「銃の横流しも、募金の使い道に嘘をついてることも、何にも! こんなの正しくないよ!」
感情的に声を高くする優桜を、ウッドはひどく冷めきった目で見ていた。
「守るにはこれしかなかった」
「守るって」
「オレの首ひとつで済めばいいんだけど、そうはいかんからな。
最初の時点で同席してたお前に被害は確実に行くし、メリールウやサリクスにだって。メリールウを今以上に立場ヤバくするわけいかんだろ」
エレフセリアのことが露見すれば誰もが危ないのだが、メリールウは輪をかけて危ない。ただでさえ、外見で嫌がらせを受けることがあるのだ。その状態で法的な罪の烙印を押されてしまえば――あとは考えたくない。
それでも彼女がエレフセリアに関わるのは、どうしてなんだろう。
優桜が騒いだのが届いたのか、隣室にいたメリールウとサリクスが室内に入ってきた。
「ユーサ? ユーサ、どしたの?」
うつむいている優桜にメリールウが近寄ってくる。
「ユーサ、誰かにいじわるされたの? だいじょぶ?」
優桜はメリールウにしがみついた。
正しいことを正しく行う――それは当たり前の事のはずなのに、こんなにも難しいだなんて。
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