桜の雨が降る 3部4章3

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 その日、優桜とウッドは、繁華街の雑居ビルの中にいた。
 このビルは半日から最長一ヶ月の賃貸を扱っているのだそうだ。部屋の内容も、事務所や客室、居室と取りそろえられている。どんな需要があるのかというと、大半は詐欺行為のための仮の事務所や住居である。犯罪の助長行為をしているとしか思えないが、ウッドはここを二部屋ほど一週間の期限で借り、一部屋に偽の法律事務所を作った。隣のもう一部屋には何も細工しなかった。優桜はウッドが事務所にアッシュ商会を招いたと思っていたのだが、こうする予定だったらしい。
 ウッドは別室の方にメリールウとサリクスを待機させた。隣でもみ合いになったら加勢してくれ、それ以外は部屋から出るなと言って。
 彼は最初、優桜もその部屋で待機させようとしたのだが、優桜が同席を望んだ。どうしても一言言いたかったのだ。『真なる平和姫』が言えば何か変わるかもしれない――優桜のその意見をウッドは笑ったが、それでも彼は同席を許した。
「どうしてそんなことしたのかな」
 優桜はずっと思っていたことを口にした。
「内戦は終わった方がいいんじゃなかったの? 武器の横流しなんてしたら、終わるものが終わらないじゃない」
「一部の人にはそうじゃなかった、ってことだ」
 終わらない方がいい人がいたのだ。
「内戦のせいで、ガイアはずっと、いつ襲われて命を落とすかわからない危険な状況が続いてた。だから大多数は、内戦には終わって欲しいと思っていた。でも、その内戦を必要とする少数の人がいた」
「内戦が必要?」
 優桜には思ってもみない意見だった。
「勝てば官軍とはよくいったもんで、逆に負けた側は戦犯として徹底的に裁かれちまうわけだから、負けそうな方で責任ある地位の奴は、終わったら困るんだよ。特にこの場合、いちばんの責任者である『不和姫』は既に討たれてるからな」
 死んで終わりなんてふざけすぎてんだろと、ウッドは怒るような口調で言い切った。
「あと、内戦に乗じて武器やら人やらを売ってる、いわゆる『死の商人』って輩は争いそのものが金の成る木なわけで、こいつらは内戦がなくなればおまんまの食い上げだ」
 そんな理由だったのか。
「じゃあどうしてあたしたちに協力してくれるって言ったんだろう?」
 ウッドが目指しているのは格差のない社会の実現だ。それに協力すれば、彼らの大好きな争いは今より少なくなってしまう。
「オレ達にバレないとでも思ったんじゃないの?」
 ウッドはやや投げやり気味に言った。
「バレなきゃ『慈善』の面をより強調して、こっちの計画が上手く運べば協力者として信頼を得られるわけで。そうすれば雑穀は売れるし募金も集まる。それを元手に武器を横流しする、と」
「平和になったら武器を使う場所がなくなっちゃうんじゃないの?」
「別にガイアでやる必要なんてないしな。国外進出でもするんじゃね?」
 優桜は首を振った。わからない。わかりたくない。
「甘いよな。バレないと思ったんかね? まだ合法なら見過ごせたのに」
「合法って、でもウッド、この前麻薬の人と」
 ウッドは心外だというように優桜を見返した。
「ハイウィンドのことか? あれは合法だぞ?」
「え?」
 優桜はきょとんとした。麻薬は違法ではないのか。
「ああ……優桜の世界だと全部違法なのか」
 ウッドは思い当たったように肩の力を抜いた。
「全部違法なのが麻薬でしょ?」
「ガイアはごく一部だけど、合法なんだ。徹底的に法律のチェック受けなきゃ取り扱えないし購入も出来ないけど。ハイウィンドはそっち」
「そうなの?」
 そういえば現代でも、そういう法律が施行されている国があるのではなかっただろうか。加えて、ガイアは武器だって護身用の一部は合法で、持ち歩けてしまうのだ。
 知れば知るほどに、馴染んでいくような、違和感があるような。ガイアはそんな世界だった。
「おいでなさったようだな」
 ウッドは言うと、座っていた椅子から立ち上がった。階段を上がってくる音がしていた。規則正しい音。室内の時計を見たら、やはり約束より前の時間だった。
「お待たせして申し訳ありません」
 アッシュ商会会長は、今日も折り目正しかった。着ているワイシャツも、清潔に洗われプレスされている。
 横にいる人物は先日の秘書とは違い、秘書より若くたくましい体格の黒髪の男性だった。何らおかしい部分はないはずなのに、優桜は繁華街の近くに来るから用心棒を連れてきたんだと思ってしまった。
「おかけください。堅苦しい挨拶は抜きで」
「恐れ入ります」
「椿姫小道のルナ・ハウスをご存じですか」
 ウッドは単刀直入にそう言った。
 会長は、得体の知れない外国語でも聞いたように片眉を上げた。
「何ですか、それは」
「アンダーグラウンドにある店舗です。オークションの」
「アンダーグラウンド?」
 会長は一笑に付した。
「グリーンさん。一体何を言ってらっしゃるんですか?」
「おわかりになりませんか?」
 ウッドも口元を緩める。
「『プロファンダム(地の底)』と言った方がわかりやすかったでしょうか?」
 ウッドと、会長の視線が正面から混ざり合う。
「貴様、会長に向かって何てことを」
 黒髪の男性が、低く唸るような声を出す。それでもウッドは平然としていた。
「怖い声を出さないでください。『真なる平和姫』を怯えさせたくありません。
それに、この程度で認めてしまうのであれば、あそこへの参加はお勧めしません」
 笑っているとも、怒っているとも、何も感じていないとも取れる調子だった。こんな声を優桜ははじめて聞いた。
「いつ頃気づかれましたか」
 気色ばんでいる黒髪の男性と対照的に、会長は淡々としていた。
「お答えしかねます」
「貴方にならわかっていただけると思ったのですが」
 会長は膝に置いた自分の手を見つめながら言った。ひどく滑らかな、苦労を知らない手だった。古いが手入れの行き届いた銀色の指輪がひとつ。結婚指輪に見えた。
「ずっと、雑穀を商っておりました。内戦で畑が燃やされ確保が難しくなったこともあります。それでも、人々のために価格を上乗せすることは致しませんでした。輸送中に武装集団に襲われ、その支店の社員の大半が犠牲になったこともありました。それでも、自分たちの仕事は人々の命をつなぐと信じて、私どもは働いてきました。私どもの仕事は、貧しい人たちを救う慈善事業です」
「だったらどうして――」
 思わず、優桜は声を出していた。
「武器の横流しなんかしなくたって、別によかったんじゃないんですか?」
「私どもは貧しい人たちに自衛の手段を与えたのですよ」
 平たい声で、会長は言った。
「貴方のような小娘に、内戦の惨さはわからんでしょう。男は嬲り殺され、女は犯し殺され、子供達は捨て置かれた。流れ弾で死ねればまだマシだったんです。保護されることなくかつえ死ぬ子もいました。保護されても、虐待される子もいました。それを逃れても、目にした凄惨な光景に精神を病む子もいました。連れ去られて戦闘兵器として教育された子だっているんです」
 国府は守ってくれませんでしたと、会長は続けた。
「だから、自分で自分を守らなければならなかったのです。武器はその手段です」
「自分の身を守るためだとしても、今でも武器を売り続けるのは、争いを長引かせるだけではないんですか?」
「貴方は今はもう、争いはなくなったと思っているのですか? 武器なんかなくても大手を振って歩ける世の中が到来したと思っていますか?」
「それは」
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