桜の雨が降る 3部2章2

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「どこで間違えたんだろう」
 引き返して見覚えのある場所を探そうと思い、優桜は今来た道を逆に辿った。焦りで早足になっていた優桜は、薄暗い路地から出てきた男性と鉢合わせになってしまった。何とか避けようとしたのだが、相手がそのまま進んできたため避けきれず、ぶつかってしまった。
「ごめんなさい!」
 よろめき、体勢を崩しかけたがこらえて飛び退くと、優桜は頭を下げた。不機嫌そうなうなり声がする。
「痛ってえなあ」
「すみません」
 もう一度頭を下げ、優桜はその場を離れようとしたが、乱暴に肩をつかまれた。
「おい嬢ちゃん、謝るだけかあ?」
 相手は酒の臭いが残る中年男性だった。二人連れだ。もう日が昇っているのに顔が赤く、しゃべるたびにひどい臭いがする。その醜態に、優桜は眉を寄せた。それが相手の怒りに火を注いでしまったらしい。
「ふざけんな! ぶつかっといて何様のつもりだ」
「だから……本当にすみませんでした」
「だからだと?!」
 中年男の割れた怒声が響く。
「このオレに痛い思いをさせて謝るだけか?!」
 痛い思いと言っても少女が早足でぶつかった程度であり、現実に男性はよろめきもしなかった。優桜が困惑していると、男性は優桜の肩をがくがくゆさぶった。
「金出せ金! 治療費だ!」
 いきなり言われ、優桜は面食らった。
「お金? でも」
「ぶつかっといて謝るだけですませる気かよ!」
 確かに、優桜も不注意だったが、避けようとした。ぶつかってしまったのは相手が避けずにまっすぐ進んできたからだった。そして何より、相手は怪我もなくぴんしゃんしているのである。
「怪我、してないですよね?」
 男性は一喝した。
「女は黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ!」
 そうだそうだ、ともう一人が喚く。
「こっちにこい! 泣くまで謝らせて、金搾り取ってやる!」
 中年男性が出てきた薄暗い路地に優桜を引きずり込もうとする。相手につかまれていない方の手で優桜は振りはらおうとしたのだが、もう一人の男性に背後から羽交い締めにされてできなかった。
「嫌です! 離してください!」
「テメェふざけんな!」
 凄い声と酒の強い臭いがして、優桜は顔をしかめた。
 男性に二人がかりで相手になられてしまっては、優桜では勝ち目がない。剣があれば違ったのだろうが、ランニングする時に荷物になるので置いてきてしまっていた。
「とにかく、さっさとこっちにきやがれ!」
 とうとう薄暗い路地に引き込まれたところで、向こう側から歩いてきた二人連れと鉢合わせした。身体の線を誇らしげに見せるデザインの衣服と、酒とは違う、酔いそうになる甘い匂いがする女性。その彼女と、派手なスーツを来た細身の若い男性が腕を組んで歩いてきた。
「朝からお盛んなことで……ってあれ? ユーサ?」
 冷やかして通り過ぎようとした男性が、優桜の顔を見て立ち止まった。
 派手なスーツとアクセサリ。調えていないようで、きちんとした金褐色の髪。
「サリクス?!」
「ユーサ、何遊んでんの?」
 サリクス・フォート。繁華街で仕事をしている優桜の知り合いだった。
「遊んでない!」
 助けてもらえそうな安心感で、声が裏返った。自分の意思と無関係に涙目になる。
「ステフ、ちょっと待ってて」
 サリクスは女性に回していた腕をほどいた。あら、と女性が意外そうな声を出す。
「他人の恋路に口出す気はないけどさ、嫌がってる女の子の無理強いは格好悪いぜ?」
 中年男性と細身のサリクスでは体格差があるが、彼はあっさりと優桜に絡んでいた男性の腕を押さえ付けた。
「あ?! 何だこの野郎」
 男性が凄むが、その顔を見てサリクスは声の調子を変えた。
「あれ? うちの常連のオルソン様とムーア様じゃないっすか」
 笑顔で会釈したサリクスに、がくんと、優桜の肩が落ちる。
「アンタ誰だよ」
「いやー、『シノの花園』のサリクス・フォートですよ! お二人がいいお客様だってのは評判で」
「『シノの花園』でサリクスって、お前まさか……」
 凄んでいた男性の顔色が変わる。
「覚えて頂き光栄です」
 笑顔のまま、サリクスは口の端を吊り上げた。
「上客と評判のオルソン様たちが、まさか行きずりの娘に絡むワケないですよね? オルソン様たちに限って、うちの店のコたちに乱暴しかねないような、そんな上にしれたら出禁くらうような振る舞いはなさらないですよね?」
 サリクスは思い出したように上着のポケットから皺が寄った紙片を取り出すと、黙ってしまった中年男性の手に押しつけた。
「こんな芋っ娘より、ウチの店の女の子の方がずっと垢抜けて可愛いですよ。また今夜でもいらしてください。受付でフォートの名前出してもらえたらいい子つけるように話しときますんで」
 軽快に言うと、サリクスはもう一度笑った。相手に媚びているようにも、反論を許さないようにも取れる笑顔だった。
「おい、さっさと行こうぜ」
「これで勘弁してやるよ。じゃあな、嬢ちゃん」
 遭遇したときよりいくらか酔いが醒めたようになった中年男性達は、肩をぶつけながら狭い路地を抜けて去っていった。
 ずっと気を張っていた膝から力が抜け、優桜は路地に座り込んだ。
「ユーサ、お前何やってんの?」
 呆れたようにサリクスがいい、優桜の腕を引っ張った。
「もう駄目かと思った……」
「サリクス、その子誰?」
 幾分か不機嫌そうな女性の声に、優桜はそちらを見た。サリクスと一緒にいた、酔っぱらいそうな甘い匂いのする若い女性。
「いちばん最近の新しいコ」
 女性はびっくりするほど薄い色の、長いまつげに縁取られた目をぱちくりさせた。
「このコが? サリクス趣味変わったの?」
 無遠慮に頭の先からつま先まで眺め回し、女性が呆れる。
「ステフ、悪ィけどこっから一人で帰ってもらっていい? アパートまでそんなに歩かんっしょ」
 ステフと呼ばれた女性はサリクスを見て、まだ路地に座り込んだままの優桜を見て、緩く頭を振った。
「今度埋め合わせしてくれる?」
「モチロン」
「んじゃ、今日は譲ったげるわ。バイバイ、芋っ娘さん」
 ツンと顎を反らすと、ステフはハイヒールを鳴らして路地を歩き去った。芋っ娘と呼ばれて、優桜はむっとする。
「ほらユーサ、いつまでも座ってないで立ちな。事務所まで送って行ってやるから」
 サリクスがもう一度優桜の腕を引っ張る。
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