桜の雨が降る 3部1章5

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(ユウ、ごめんなさい。本当にごめんなさい)
 内心で繰り返してから、明水は優桜の部屋のドアを開けた。
 本当なら優桜の部屋に入りたくない。もっとも調べたいのは叔母の過去なのだから。しかし、叔父と叔母の部屋を手当たり次第に探し回ることはできなかった。うっかり何かを動かせば叔父が気づくかも知れない。だったら現時点で誰も使っていない優桜の部屋を探し、手がかりを得てからの方がいい。
 優桜の部屋には何度か入ったことがあるが、最後に入ったのは彼女が小学生の頃だ。いつからか彼女は部屋にあげてくれなくなった。記憶の中ではもっと幼い印象の部屋だったが、だいぶ変わっていた。が、ベッドの位置と、反対側の壁に寄せて全身を映せる鏡と剣道の防具一式が置いてあるのは変わらなかった。大きな鏡は、部屋で剣道の型を確認できるようにと優桜が両親に頼んで買ってもらったものだ。近くにスタンド式の消臭剤が置いてある。乙女心かなと、明水はそんなふうに思った。
 状況を考えれば少しは散らかっていておかしくないのだが、部屋の中は片付いていた。優桜のきっちりした性格が出ているように思えた。
 こういう時はまず手紙か日記を探すのが推理小説の定石だと思う。しかし、相手が高校生の優桜であることを考えれば、いちばん見つけるべきは携帯電話のメールだろう。鳴らしてみようかと自分の携帯電話を取りだしたが、結局、明水はすぐ止めてしまった。優桜の携帯電話は、もうずっと「電波の届かないところにいるか電源が入っていないためかかりません」という言葉しか返してこなかったから。
 電源を切った状態で自室に置いたままという可能性もあるのだが、部屋を見回して机の上に見つけた充電器は空っぽだった。後ろめたさい気持ちを端に追いやって、勉強机の隣に置かれていた学生鞄に手をかける。学用品は入っていたが、携帯電話や財布は見あたらなかった。おそらく、優桜はポケットに入れていたのだろう。
 携帯電話が見つからないのであれば、次は手紙か、日記か。だが、優桜に日記を書く習慣はない。剣道に熱心だった彼女は、勉強以外の時は机の前に座るのは苦手だと常々言っていた。そういう時間があるなら体を動かすか、反対に体を休めるために眠るほうがいいと。そういう考えをいきなり改め、日記を書き始めたとは考えにくい。可能性がいちばん高いとすれば、手紙だ。
 明水は机の上を見たが、携帯電話の充電器の他には、カラーペンが何本か入った筆立てとテニスボールくらいの大きさの白いフクロウのぬいぐるみが乗っているだけだった。本棚になっている部分を見ると、右端は教科書一式だったが、左端に茶色の封筒と、便せんのセットが入っていた。便せんの一枚目に、書き損じが残っていた。どうやら花音に宛てた物らしい。名前と正月の挨拶を書いて、剣道の話になった辺りで書き損じたらしく、ペンでぐしゃぐしゃと塗りつぶした跡が残っていた。続きを確かめてみたが、他の便せんはどれも新品で使った形跡はなかった。
 正月の書き損じがそのまま残っているなら、その後、便せんは使わなかったのだろう。きっちりした優桜の性格を考えれば、他の便せんがあるなら一緒に入れているはずだ。周囲を見ても、どうやら来た手紙もないようだ。
「そう簡単に何か見つかるわけもないですよね」
 想像できたことだったが、少し肩を落とす。現実が推理小説みたいに行くわけがない。
 こういう時、他に調べるべき場所はどこだろう。当人の生活習慣が出てくる場所。
「……ゴミ箱」
 この考えに思い当たったとき、明水は頭を抱えたくなった。二十五歳のいい年をした男が、何が悲しくて年頃の従妹の部屋のゴミ箱を漁る必要があるのか。この様子が目撃されれば、間違いなく明水が優桜失踪の原因扱いになるだろう。やましい気持ちはこれっぽっちもないが、客観的視点で考えれば不審者にも程がある。
 早急にすませてしまおう。手がかりが何もないなら、危険をおかしてここに留まる理由もなくなる。そう考えて、明水はベッドの足下に置いてあったプラスチック製のゴミ箱を覗きこんだ。
 ゴミ箱の中にはお菓子の空き袋が数枚と、みかんの皮、そして学校から来たと思われるプリントが一枚入っていた。プリントの内容を見てみるとPTAのお知らせだった。日付は優桜がいなくなった日の二日前だ。カレンダーと優桜の性格的に、この日以前のゴミ箱の中身はもうないと考えてよさそうだ。何気なくゴミ箱を持ち上げたところで、明水は陰になっていた場所に紙くずが落ちていることに気づいた。ごく小さな物だ。名刺ぐらいの大きさだろうか。
 明水は何気なくそれを取り上げて広げた。想像通り、それは名刺だった。書かれた名前は柴田龍之介。明水の知らない、どうも雑誌らしき名前と一緒にライターと書かれている。
「……あの記者の?」
 思いがけず情報が出てきた。
 記者と以前にも会ったことがあり、優桜はその時に名刺を手に入れたのだろうか。それとも、あの事故の日に押しつけられたのだろうか。事故の日に入手したなら、一度帰宅して自室のゴミ箱に捨て、そこから失踪したことになる。明水が優桜の様子を見に戻ったとき、叔父がいて優桜は帰っていないと言っていたから、この説はありえないのだろうか。いや、叔父が帰宅するより少しだけ先、明水の前から消えた後に優桜がちょっとだけ戻っていたという見方も出来て――。
 この場で結論は出せそうになかった。しかし、記者の名前と雑誌社がわかったのは大きな手がかりだ。雑誌を探して読むことができるし、電話番号がわかっているなら当人を問い詰めることだって可能になる。もっとも嬉々として行いたい作業ではないが。
 明水はポケットに名刺を入れようとしたが、先に入っていた物が邪魔になり上手く入らなかった。何か入れていたかと取り出してみる。それは、あの事故現場に落ちていた、桃色のキルトでできたお守り袋だった。結女が持っていたというもので、中身は確か青い石のペンダントだったが、明水が拾った時にはなくなっていた。事故でどこかに飛んだのか、それとも、優桜が既に中身を抜いていたのか。
 ちょうどいいので名刺を入れてしまおうと思い、明水は袋を開けた。名刺をしまおうとして、明水はお守り袋の中に何か小さく白い物が入っていることに気づいた。
「え?」
 取り出してみると、自分の爪くらいに小さく折りたたまれた紙片だった。
 キルト地は厚く、ごわごわしている。そのせいで外から触っただけでは気づかなかったのだろう。
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