桜の雨が降る 2部3章6
騎士の表情は見えなかったが、彼は動揺したようだった。しかしそれは一瞬で、瞬きする間に彼は氷の刃を握り直していた。
「そうか。それじゃ、何が何でもお前を倒しておく必要がでてきちまったな」
騎士の口元が歪む。
(殺される……?)
逃れようと、優桜は剣を探した。しかし、さっき弾き飛ばされた時に剣は離してしまい、今は手の届かない場所に虚しく転がっていた。
何か、何か抵抗できそうなもの。優桜はポケットに手を突っ込んだ。生徒手帳、ハンカチ。全然役に立たない。そのうち何か細長いものにひっかかって、指が動かなくなってしまった。
「悪く思ってくれていいよ。そう思ってたほうがこっちも気が楽だから」
騎士が、両手で氷の刃を優桜の頭上に構える。
「ユーサ!」
メリールウの悲鳴がした。氷の刃が空を切る音がする。
「助けて! お母さん! お父さん!」
優桜は夢中でポケットから手を引き抜き、身を縮めて直撃から頭をかばおうとした。その指先にひっかかっていた鎖の先の石が、氷の刃に触れた瞬間、ぱっと青く輝いた。
「えっ」
氷の刃が一瞬にして霧散する。青い光は氷の刃を通って騎士の中に入りこみ、騎士の纏っていた冷気をあっという間にかき消してしまった。
そればかりではない。冷気は、今度は騎士の回りに発生していた。ぴしぴしと音を立てて、岩盤が氷に覆われはじめる。
「騎士! 何やってんだよ」
オボアの問いかけに、騎士は首を振った。
「おれじゃない」
「氷のマスターはお前だろ?!」
騎士は若干焦った声で答えた。
「制御できないんだ。能力が全然発動できてない」
問答の間にも、氷は黒ずくめの一味を追い詰めるように広がっていく。
「あー、こりゃ一回出直した方がよさそうだな」
オボアはひょいっと肩をすくめると、コルノを呼んだ。
「コルノ。一発頼むわ」
「わかったよ!」
オボアと騎士がコルノの側に寄る。
「ここは儀礼的に『覚えてろよ』って言った方がいいのかねえ」
オボアが苦笑いする。
「ま、次があったらまた会いましょうっつーことで」
何も言えない状態の騎士に変わって、ひらりとオボアが手を振る。二人を従えたコルノは、目を閉じ口の中で何かを呟くと、ぱちりと両手を合わせた。するとまるで手品のように、黒ずくめの一味の姿が消えてしまった。
「え?」
氷はそれでもなお、周囲の岩盤に広がっていく。氷の能力者である騎士はいなくなっているのに。
「何、これ?」
優桜は自分の指にひっかかった鎖と、その先の石をみつめた。青かったはずの石が、いつの間にか金剛石のような無色透明に変化していた。触れるとひどく冷たい。騎士が纏っていたあの冷気とそっくり同じだった。
「ユーサ、あたしたちも氷漬けになっちゃう!」
メリールウの声で、優桜はとっさにペンダントを振りはらった。ペンダントは凍った地面の上を甲高い音を立てて跳ね、少し離れた場所に転がった。すると、あっという間に氷が消えた。
「ユーサ、お前何やったの?」
サリクスに聞かれたが、優桜は首を振った。
「わかんない」
「わかんないって、これやったのお前だろ?」
「あたし、パワーストーンマスターじゃないよ。さっきの騎士って呼ばれてた人じゃないの?」
首を振り続ける優桜を、メリールウが抱き寄せる。さっきは暖かかった彼女の体もまた、冷気で冷え切っていた。
「サリクス、とりあえず戻ろうよ。ウッドに考えてもらお? それに、聖護石を届けなくっちゃ」
「そういや、あの石どこやったっけ?」
石はサリクスの下げていた道具袋の中にちゃんと収まっていた。
優桜はふらふらと歩くと、地面に転がった剣と、母のお守り袋の中身であるペンダントを拾った。それはもう、いつもと同じ不透明な青い石に戻っていた。
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