桜の雨が降る 2部3章2

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「ちょっと休んでもいい? 喉が疲れちゃった」
 広い空間に出た時、メリールウはそう言ってしゃがみこんだ。歌いっぱなしだったのだから無理もない。
「あ、ごめんメリールウ」
 水でもないかと周囲を見たが、そんなに都合がいいものがあるわけもない。こんな状況になる予想をしていないから水筒だって持っていない。
「ん、だいじょぶよ」
 メリールウはショートパンツのポケットから薄手の缶を取り出すと、蓋をずらして中から出てきた白い粒を口の中に入れた。どうやら喉飴のようだった。
「いつ聞いてもルーの声は最高だよな!」
 サリクスは足を投げ出して座っていた。スーツが汚れることには無頓着なようだ。
「うちの店で歌姫(ディーバ)やればいいのに」
 そうすりゃ四六時中一緒なのにと続けたサリクスの肩を、メリールウは軽くぶった。
「だーめ。あたしは洗い場の仕事、好きだもん。ユーサと一緒にいられるしね」
「俺も雇ってくれないかなー」
 そういえば、サリクスはウッドが関わっている仕事にまるで関係がない様子だった。
 メリールウがエレフセリアに関わっているのは、恩人であるウッドに報いるためだが、サリクスはどうなんだろう?
「サリクスは、どうしてエレフセリアに?」
 聞くと、サリクスは何でもないような口調でこう返した。
「面白そうだったから」
「え?」
「だから、面白そうだったからだよ」
 サリクスは優桜に向き直ると、続けた。
「毎日、微妙にタイクツだったんだよな。朝起きて仕事してケンカして女の子とデートして税金払って寝て朝起きて……って」
 優桜にはそれが退屈だとは思えなかったのだが、サリクスには退屈らしい。
「そりゃ、仕事の内容もケンカの相手もデートの相手も変わるんだけどさ。結局だいたい同じ毎日にうんざりしてよ。いつまでも遊んでられるわけでもなし、税金だけはしっかり持ってかれるし」
 そんな時、遊びに行くディスコの友人だったメリールウを介して、ウッドと知り合うことになった。
「最初は気ぃ狂ってんじゃないかと思ったぜ。弁護士なんて堅くて儲かる仕事持ってるくせに、儲からんことして、挙句に国家の打倒なんか企んで」
 サリクスはご丁寧に、頭の後ろで指をくるくる回して見せた。
「でも、そういうスリルに関わる生活なんて、普通じゃめったにできない楽しい経験だろ。そんでもってそれが正しい方向に向かうってんなら、こりゃ乗らねえ手はないよな」
 それが楽しいのかどうか、優桜にはわからない。ただ、正しい方向に向かうという言葉が胸に残った。
 自分は正しいことをしている――母と違って。
「ね、そろそろ行こう?」
 会話がしばらく途切れた後、メリールウが立ち上がった。
「ルー、もう大丈夫なのか?」
 メリールウは大きく両手を曲げてみせた。
「うん。まだ三時間くらいは歌えるよー」
「そんなに歌うならルー、俺とカラオケ付き合ってよ。この前からずーっと俺誘いっぱなしじゃん」
「うん。終わったらユーサとみんなで行こー!」
 あたしカラオケあんまり好きじゃないんだけどと言おうとして、優桜は止めた。無事に契約を取り付けることができて、メリールウやサリクス、ウッドと賑やかにでかける機会があれば、例えそれがカラオケボックスでも楽しいことのように思えた。この世界のカラオケは優桜の想像とは違うのかもしれないけど。
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