桜の雨が降る 2部1章9
「そりゃ災難だったな」
優桜の話を聞いたウッドは、隠すことなく大笑いした。
一日経って、ここはグリーン法律事務所である。
この日、優桜はウッドと夕飯を食べる約束をしていた。メリールウは用事があるといって、今日は同席していない。
もう来客もない時間ということで、ソファセットに二人で陣取り、下の食堂で作ってもらった持ち帰りの食事を広げていた。今日の食事は燻製肉とチーズを挟んだパンと、根菜を細切りにした物を素揚げした付け合わせだった。一見するとフライドポテトのようだが、甘くもちもちとしていて見た目とのギャップに優桜は少し驚いたのだが、とても美味しかった。
「なんか、びっくりしちゃった」
言って、優桜は軽く頭を押さえた。まだ煙草の煙が残っているような気がする。制服はあの後きっちり洗濯したので、優桜は今日は珍しく私服姿だった。上着はメリールウからの借り物なので、少し大きい。スカートはメリールウの私服はどれも優桜には短すぎたので、自分用に購入した膝下十センチの一張羅だ。
「メリールウも悪気はないんだよな。せっかく給料が出たから、自分がいちばん楽しい贅沢で優桜をもてなしてやりたかったんだろうよ」
「でも、自分が楽しいことは相手も楽しいって思うの、幼稚園児までだと思う」
優桜にずばりと言われ、ウッドがまた笑う。
「そう言ってやるなよ」
あいつはあいつでいっぱい考えてるんだから。ウッドはそう言うと、揚げ物をちぎって口に入れた。そのあとで、数個残っていた揚げ物の入れ物を優桜の方に押しやった。
「遠慮せずに食べろよ」
優桜はありがたくその言葉に甘えることにした。
メリールウと比べれば、さすがにウッドは大人である。メリールウにも優桜にも、気を配ることを忘れない。
「サリクスって、メリールウのその……彼氏なの?」
ウッドは首を振った。
「あのとおりだからなあ。会う相手会う相手、挨拶みたいに口説くから誰にたいして本気なんだか」
ウッドが困ったように眉を寄せる。
「まあ、サリクスのアレは挨拶だと思って流して、仲良くやってくれよ。これから一緒に仕事するわけだし」
えっと、優桜は思わず顔を上げた。
「一緒に仕事?」
「言ってなかったっけ?」
あいつ、エレフセリアのメンバーだから。ウッドは事も無げにそう続けた。
「……いいの?」
あんなノリの軽い人を入れていて大丈夫なんだろうか。知識に疎い優桜が考えても、秘密の内容が軽く漏れそうなのだが。
オレが決めてるんだからいいんだよと、ウッドは実に突っ込みどころの多い回答をした。
ウッドは、もうひとつ仕事を持っている。レジスタンス組織「エレフセリア」の主催者という仕事。
偽りの平和姫によってもたらされた格差社会を是正するというのが、エレフセリアの最大の目標だ。標的は、格差社会を作り上げた現在のガイアの政治を動かす者たち。
格差社会はいけないと、今までの優桜は思っていた。しかし、ここに来てから優桜のその思いは「格差社会はつらい」というのに変わった。
優桜の両親は夫婦で法律事務所を経営し、事務所は繁盛していた。だから、現代での優桜は恵まれた少女だったのだ。金銭面で不自由をしたことは全くない。ところが、ガイアでの優桜はアルバイトの労働者で、食べることすら満足とは程遠い。なのに、街には美味しそうな店や食材が溢れている。欲求を満たす金銭がないのは、つらい。
だから、つらい思いをしている人たちの助けになりたい。格差をなくしたい。確かにそう思う。
「エレフセリアなんだけどな」
思い出したようにウッドは告げた。
「活動の資金を新しく融通してくれそうな人が出てきたんだ」
「そうなの?」
優桜は顔を上げた。
「中央北部の、まあぶっちゃければあんまり評判は宜しくない人物なんだけどな」
ガイアの煙草の中で、高値で取り引きされるハイウィンドという種類がある。ウッドが言う人物は、このハイウィンドで他国と商売をしているそうだが、優桜の想像が当たっていれば、その実体は間違いなく、麻薬の密輸だろう。ウッドも優桜に伝わっていることがわかっているのか、詳しくは語らなかった。
きれいごとばかりでは済まないことを、優桜はわかりはじめていた。
格差社会をなくしたい。でも自分は綺麗な場所にいたいだなんて、そんなことでは何も変わらないのだ。だけど、自分が少しずつ世界の汚れた部分に混じって染まっていくことは、悲しい。これが大人になるってことなのかなと、優桜はぼんやり思う。
「その人、やたら縁起を担ぐんだ」
「縁起?」
「寝るときにパジャマのいちばん上のボタンを外して寝たり、玄関の四隅に水の入った陶器の鉢を置いたり、いちばん西にある部屋に猫を飼ったり」
現代でいうところの風水のようなものが、どうもガイアにもあるらしい。
「それがどうしたの?」
「お前達に投資して幸運は訪れるのか。お前達が本当に『真なる平和姫』を有しているなら見せろ、だと」
ウッドはやれやれと言いたげに息をついた。
「『真なる平和姫』って……」
優桜はおそるおそる自分を指した。
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