桜の雨が降る 1部3章7
次の出勤日になっても事態は全く好転しなかった。むしろ悪化していた。
給料が出ないことで従業員には不満が充満していた。お金にならないならと休むものまで出る始末だ。その穴埋めを出勤しているものたちがしなければならず、さらに不満が高まる。
「お金にならないのに何で働くんだろうね」
「本当に」
「そういえばニナ、新しい鞄を買ったの?」
別の話題が聞こえ、優桜はそちらを振り返った。ニナがロッカーに入れようとした鞄は確かに新品だった。
「よく買えたね」
「ちょっと臨時収入があって」
ニナはやわらかく微笑んでいた。
仕事は欠勤した人の穴埋めをする関係で忙しく、普段は洗い場にいるメリールウが運び役に回っていた。彼女は注文を覚えるのが苦手らしく、何度も間違えて客からクレームを言われていた。
「あのウェイトレスなんとかしろよ! 放浪者なんか雇うからこうなるんだ」
「申し訳ありません」
責任者はひたすら頭を下げ、あとでメリールウを呼び出した。不満が溜まっているのは責任者も同じで、メリールウはひどく叱られていた。
「困るよ。人が少ないから表に出したけど、普通だったら君は表には出せないんだから。その外見のせいで悪目立ちしてるんだよ」
「ごめんなさい」
メリールウはひたすら頭を下げる。
「これで客が減りでもしたら店は潰れるんだ。放浪者の君のせいで」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
自分が悪いわけではないのに、メリールウは頭を下げ続けていた。優桜は自分の仕事は終わっていたのだが、メリールウの説教が終わるまで待っていて、一緒にロッカーに戻った。
そこではメリールウの悪口大会が繰り広げられていた。
「放浪者のせいであたしたちにまで迷惑が来るのよ」
「あの子が売り上げ盗んでるらしいじゃない? オーナーと仲がいいから咎められてないけど、あの子なんでしょ?」
「スラムにいたってウワサ、本当なのかしらね」
そう言ったのはライザだ。
「放浪者はお金なくなると人から平気で盗むっていうしね。そうやって迫害から生き残ったんでしょ」
メリールウは顔色をなくしていたが、最後の言葉を聞いた瞬間、褐色の頬に赤みがさした。
「侮辱しないで……」
「メリールウ!」
優桜の静止もきかず、メリールウは靴音をさせてライザに歩み寄った。
「放浪者を侮辱しないでよ!」
ライザの襟元をつかんで、メリールウはがくがくと彼女を揺さぶった。
「あたしは何言われてもいいけど、放浪者が悪いって決めつけないでよ! 確かにあたしたちは生き残るためになんでもやったかもしれない。けど、だからって今のことまであたしたちのせいにしないで!」
メリールウはそれだけ叫ぶと、エプロン姿のまま出て行った。慌てて優桜が追いかける。
メリールウは自分の部屋に戻っていた。台所の椅子に座って頭を抱えている。
「メリールウ?」
「ああ……ユーサ」
メリールウは優桜を認めると、口の端をひんまげて笑った。
「バカだなあ。エプロンのままだよ? 着替えておいで?」
その笑顔は痛々しい。
「メリールウだってエプロンのままだよ」
優桜はそう言うと、メリールウの向かいに座った。
「そだね。返しに行かなきゃ。でも今行きたくないな」
メリールウはまだ笑っている。
「あたしが返してくるよ」
「ユーサは本当に優しい子だね。あたしはそんなにしてもらう資格ないのにな」
「何それ」
優しくしてもらっているのは自分の方だと思う。優桜がそう言ったら、メリールウは笑いやんだ。
「さっきの聞いてたでしょ? あたし、スラムにいたんだよ」
内戦で両親を亡くしたメリールウは遠縁の人に引き取られたのだが、大増税政策のせいで養ってもらうことができなくなり、放り出されてしまった。そして気がつけばスラムで花売りをして生活していたのだという。
十六歳まで、そうして生きていた。ある雨の日、メリールウはいつものように、スラムを通りかかった金髪の男性に声をかけた。
『ねえ、お花買ってよ』
『え?』
男性はスーツ姿だった。表から迷い込んだのだろうか。お金を持っていそうだと、その時メリールウは思った。
『この花ではダメ? こっちがいい?』
そのメリールウの仕草に、男性は握った拳を震わせると、いきなりメリールウの肩をつかんだ。
『君はいくつだ?』
『十六、だけど?』
『こんな生活してちゃいけない!』
そんなことを言った男性ははじめてだった。
『今すぐ足を洗うんだ!』
『無理よ』
メリールウは乱暴に男性の手を振り払った。
『これを止めたらあたし食べていけないもん。税金をどうやって払うの? 明日のごはんは?』
『なら、オレがまっとうな仕事を用意してやる』
思いがけない男性の言葉に、メリールウは目を瞬いた。
『仕事も寝るところも用意してやるから、だからこんなことは止めろ。オレがなんとかするから』
メリールウが声をかけた男性はウッドだったのだ。
「ウッドは本当に仕事をくれた。あたしは放浪者で目立つから、目立たないところって、それで洗い場。ここに住ませてもくれた。お給料から家賃はしっかり取られたけど、それだって普通と比べたらとっても少ない値段だよ」
ウッドはそうやって生きている人なのだろう。今優桜に手を差し伸べているように、二年前のメリールウにも手を差し出し、どん底からすくいあげた。
メリールウがウッドに迷惑をかけたくないと言った理由もわかった。確かに、こんな事情があるのならウッドはメリールウにとって恩人だ。
「だから、あたし、ウッドに迷惑はかけないって決めた。確かに花売りの方がラクしてお金になったけど、もう戻らない。盗みもしない。ウッドが困ること、あたしはしないよ」
「うん」
優桜は頷いた。
「わかってるよ」
メリールウは優しい人だ。盗みなんかできるはずもない。
「それにしても、みんな酷すぎるよ。何の証拠もないのにメリールウ疑って」
「あたし、放浪者だからねえ」
放浪者というのは確かに評判が悪いのかもしれないが、だからといってメリールウに当てはめるのは酷すぎると思う。証拠もないのに。
「メリールウ。係の人がお金を運ぶ時間って、いつかわかる?」
「うーんと……あたしたちがウッドに、勉強教わってる頃、かな」
そういえば、係の男性はウッドが指示していた従業員の中にいた気がする。あの時売り上げの計算をしていたのだろう。
「その時には売り上げなくなってた、のよね」
優桜は考え込んだ。
食堂は夜もやっている。終わるのは優桜たちがウッドに勉強を教わっている間だ。売り上げは夜の営業まで終わった状態で抜かれている。そして、その間メリールウは優桜と一緒に、ウッドに勉強を教わっているのだ。
メリールウに売り上げが盗めたはずがない。自分だけではなくウッドも証人だ。
さあっと、優桜の頬が紅潮した。
「……メリールウ」
「なあに?」
「あなた、金庫の番号知ってる、のよね?」
メリールウはこらえきれないようにふきだした。
「知らないよー。ユーサってばバカなんだから。あたしみたいな足りない子なんかに、大事な売り上げが入った金庫の番号教えるわけないじゃん」
「バカはそっちよ!」
優桜は思わず机に両手を叩きつけ、叫んでいた。
「何で犯人じゃないって言わないの?! アリバイはあるし金庫の番号も知らないんじゃ、メリールウ犯人じゃないじゃない!」
金庫は壊されもせず中身だけが抜かれていた。番号を知らなければこの芸当はできない。
「ほえ? ありばいって何?」
がくんと、優桜は脱力した。この人は本当に物を知らなさすぎる。
「アルバイトの種類?」
「あのね……」
こめかみが痛くなった気がして、優桜は頭を押さえた。
メリールウが知らないだけなのだろうか。それともこの国にはアリバイの概念がないのだろうか。なんとなく前者のような悪寒がする。
「売り上げが盗まれるのは夜の営業まで終わった状態なんだよね?」
優桜は痛むこめかみを押さえて、噛み砕いた説明をすることにした。
「うん」
「夜の営業が終わる時間、メリールウはあたしやウッドと一緒にいるよね?」
「うん」
「なら、メリールウには盗む時間なんてないでしょ?」
「あっそーか!」
ぱあっと、メリールウの顔が明るくなる。
「ユーサ、賢いねえ! ウッドの助手になれるよ!」
「お願い、このくらいは自力で気づいて。というか金庫の番号を知らない時点でもっと自己主張して」
思わず優桜は懇願していた。メリールウは微笑んだまま優桜を見ている。
メリールウは犯人じゃない。知ってはいたが改めて証明できると思うとほっとした。
なら、真犯人は誰なのか。
金庫の番号を知っていて、かつ夜の勤務にも入っている人物。
「ねえ、金庫の番号って誰が知ってるかわかる?」
優桜の問いかけに、メリールウは首をひねった。
「えっとね、クラウスは知ってる。ユーサもわかるでしょ? 経理の男の人。あとはそうだなー、レジ係の子なら知ってるよ」
それを聞いた瞬間、優桜の頭の中に一人の人物が浮かんだ。
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