桜の雨が降る 1部3章6

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 翌日は優桜もメリールウもシフトが入っていなかったのだが、給料日ということで食堂に受け取りに出かけた。
「お給料もらったらなにか美味しいもの食べようね。ユーサの引越祝い」
 メリールウはそう言って鼻歌を歌っていたのだが、食堂に入ると、そこにはただ事ではない空気が漂っていた。
 レジの周りに人が集まり、担当の黒髪の男性が手提げ金庫の中を必死に探している。
「何があったんですか?」
「給料がなくなってるんだよ」
「え?!」
 その言葉に、メリールウの鼻歌がやんだ。
 聞くと、昨日のうちに上の事務所で給料を計算して従業員別に袋に入れ、手提げ金庫に入れておいたはずなのだが、それがきれいに紛失しているのだという。
「さっきから探しているんだけど見つからないんだよ」
「見つからないとどうなるんですか?」
 おそるおそる、優桜は尋ねた。
「給料なし、だろうね」
「そんな!」
 メリールウが悲鳴をあげる。
 結局、開店ぎりぎりまで探したのだが給料袋は見つからなかった。上の事務所にいたウッドが呼び出され、彼は困ったように責任者と相談していた。
「皆さんにお支払いする給料袋が紛失しました」
 ウッドは申し訳なさそうに言い、頭を下げた。
「僕の手違いかもしれませんし、盗難ということも考えられます。本日お支払いするぶんは、今日急に用意できませんので来週の頭にはお支払いします。紛失した給料袋ですが、今日一日改めて探してから、最悪の場合は警察の方に捜査をお願いします。何か心当たりがある方は僕の方まで申し出て下さい」
 従業員たちから口々に怒りと不満の声があがる。来週の頭というと二日は間が空くことになる。
「引越祝い、無理みたい。ごめんね、ユーサ」
 メリールウに謝られ、優桜は首を振った。それよりもなんで給料袋がなくなったのかが気になる。
「なんでなくなったんだろう」
「置き忘れた、とかじゃなくて?」
「クラウス……経理の係の人が夜のうちに食堂の金庫におろして準備しておくのよ。手提げ金庫は鍵かかるから、職員じゃないと触れないし」
 メリールウは不思議そうにしている。
 仕事がなかった優桜とメリールウは給料袋探しを手伝ったのだが、いくら探しても出てこなかった。結局その日は来週のシフトを確認しただけに終わった。来週の勤務も二日だけだった。

*****

「おはようございます」
 翌週の最初の日。優桜とメリールウが食堂に出勤すると、なぜか挨拶が返ってこなかった。
「?」
 半分の人はそそくさと目をそらし、もう半分の人は白い目を向けてくる。
 どうしたんだろうと、優桜は不思議に思った。顔に何かついているだろうかとロッカーの鏡を覗くが、先週までと変わったところはなかった。メリールウは特に気にするでもなく淡々と準備している。
 その日も普通に仕事をしたのだが、どういうわけか周りで働いている人の目が冷たい。しかし、優桜に冷たいというより、矛先はメリールウに向いているようだった。
 優桜が入ったせいで勤務日が少なくなっているようなので、自分に冷たいというのなら理不尽だと思うがまだわかる。でも、どうしてメリールウなのだろう?
 裏手の掃除当番に当たっているというメリールウより一足先に仕事が終わった優桜は、鍵を渡され先に帰るように言われた。ロッカーで着替えをしていると、後ろで着替えていた年かさの女性たちが週末の売り上げも消えたという噂話をしていた。
「それ、どういうことですか?」
 いきなり話に入ってきた優桜に年かさの女性は眉を寄せたが、それでも教えてくれた。
「週末の売り上げもね、なくなったんだそうだよ」
 一日が終わり、係の男性が上の事務所に売り上げを持って行こうと金庫を開けると売り上げが綺麗さっぱりなくなっていたのだという。不審に思い翌日は金庫の位置と番号を変更したのだが、やはり綺麗に売り上げだけが消えた。
「あまり言いたくないけど、やっぱりニナの言うとおり通りメリールウがやってるのかねえ」
「え?」
 優桜は目を瞬いた。メリールウが疑われている?
「いい子なんだけど、ほら、あの子は放浪者だから」
「そうだねえ……しょせん放浪者だからねぇ」
 口ぶりから察するに、どうやら放浪者というのは疎まれた存在らしい。メリールウは誇りに思っているような口ぶりだったが、その血をひくことを自慢できるような存在ではないようだ。確かに行動は突拍子もないことが多いので、優桜も戸惑うのだが。
「どうも内部犯なんだよなあ」
 読み書きを教わっていたときに聞いてみると、ウッドはそう言った。
「? なんでわかるの? ドロボーさんかもしれないよ?」
「手提げ金庫の位置変えたのに抜かれてるだろ。それに、金庫の番号がわかってるんだから内部犯だ。泥棒なら金庫ごと持って行く」
 露骨に決めつけるわけにはいかないがと、ウッドがさも嫌そうに眉を寄せる。
「あ、そっか! ウッド賢いねえ。探偵になれるよ」
「いや、このくらいは気づいてくれ……」
 この点に関しては優桜も全く同意見だった。
 その日も宿題を提出し、しごかれ、山のような宿題を出されるという流れのもとに終わった。少し慣れてきたがウッドのしごきは容赦というものがなく、翌日にはまた新たな課題が山と積まれるのである。普通の仕事もして、予定外の泥棒問題まで発生しているのに、ウッドはどこから課題を見つける時間をひねり出しているのだろうと優桜は不思議に思った。その日も売り上げは紛失したようで、ウッドは優桜とメリールウを教えながら係の男性に金策の指示を出していた。
 翌日仕事がないと、時間が空くので睡眠不足にはならずにすんだ。勉強してメリールウの家事を手伝う。メリールウは言葉が足りないながらも、優桜にガイアのことをいろいろ教えてくれた。内戦から十八年が経ち、どん底だった暮らしは次第に豊かになってきたのだという。ただ、その中で課された大増税計画のせいで、豊かになった人とならなかった人に差が生まれてしまった。
 ガイアには力包石(パワーストーン)という不思議な鉱石があって、人々はそれに寄るようにして生活しているということも教わった。照明も機械も車も全て、パワーストーンから発されるエネルギーで動かされているのだという。聞けば、石油や原発などの優桜の世界を動かしていたエネルギーは存在しないのだそうだ。パワーストーンはエレクトラと呼ばれる装置に設置され、エレクトラがそこから電気エネルギーを生み出す。エレクトラは古くからある装置だが、十六年ほど前に若い研究者が超小型の変換器を開発したそうだ。例えるなら電池を買うように、人々は店頭でエネルギーを内包したパワーストーンを購入する。
「じゃあ、あたしが宝石屋さんだと思ってた店は宝石屋さんじゃなかったんだ?」
「宝石屋さんもあるよ? エネルギーのなくなったパワーストーンを売るの」
 パワーストーンにはもうひとつ特徴があり、普通はエレクトラにつなぐと電気エネルギーを発するだけだが、稀にパワーストーンの力を生身で引っ張り出せる人間が出てくるのだという。その時その人間は想像を超える身体能力を身につけ、超常現象を操る。
「えっと、スーパーマンになれるってこと?」
「すーぱーまん?」
 思いきり不思議そうな顔をされた。メリールウには通じないようだ。
 そういう話を聞くと、やはり異世界なんだなと思う。ただ、いつもが異常なまでに生々しいので、別の国に紛れ込んでしまったような錯覚が優桜は拭いきれなかった。電車に乗って飛行機に乗れば、家に帰れるのではないだろうか。そんな気がした。父が真っ青になっているのが目に見えるようだ。
 家を出てしまいたいと思ったことは何度もあった。母の一件があってからは常にそう思っていた。消えてしまいたいと思っていた。
 それが実現したのに、何でこんなに帰りたいと願うのだろう。帰ったところで何も解決しているわけではなく、事態はそのままなのに。
「ユーサ」
 名前を呼ばれて、優桜は物思いからさめた。
「だいじょぶ、だいじょぶ。ウッドがなんとかしてくれる」
「メリールウ?」
 紅い瞳が心配の色を浮かべて優桜を見ていた。
「ウッドがなんとかしてくれるよ。けど、心配だよね。ユーサのお父さんとお母さんだって待ってる」
「お母さんは……待ってない」
 優桜は目を伏せた。
「待ってるよ」
「待ってない! だって、お母さんは犯罪者よ?! いろんなことあたしに黙ってた。あたしのこと騙してたんだ!」
 言いたくて、けれど誰にも言えなかった言葉だった。いちばん信じている明水にさえも。
 誰かに訴えたかったけれど、口にしたら全てが終わってしまう気がしていた。それを口に出した罪悪感が強くて、優桜はぱっとメリールウを見た。彼女は戸惑ったようだったが、それ以上追求しようとしなかった。
「……何があったとしても、ユーサのお母さん、だよね」
 ただ手が優しく伸ばされ、優桜の乱れて頬にかかっていた髪をかきあげた。
「ね、そうでしょう? だから、お母さんのところに帰ろう。あたし、頑張るから。ユーサが帰れるように頑張るから」
「メリールウ」
 優桜はまだ、母を許せない。間違っていると思うから。
 メリールウは優しかった。子供っぽく変わった言動が目立つが、メリールウはとても優しく、健気なのだ。
 人なんか信じられないと思っていた優桜の心が揺れるくらい、メリールウはいい人だ。例え子供っぽく常識が少し外れていたとしても。
「お昼食べよーね。節約生活のレシピふるっちゃうよ」
 メリールウが作ってくれたのは、じゃがいものきんぴらだった。じゃがいもの皮を剥いて細く切って、調味料と炒めただけの料理だったが、それは美味しかった。
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