桜の雨が降る 1部3章2
メリールウは外出の準備をしながら、優桜に今から行くところについて説明してくれた。
「ここのビルの一階は、ウッドの食堂なの。そこでお皿洗いしてるの」
では、昨日のウッドは経営者なのだろうか。それにしては若く見えたが。
「あの、ウッドさんっておいくつなんですか?」
「ウッドはねー、確か二十八じゃなかったかな」
「それでビル持ってる経営者って若くないですか?」
そう言うと、メリールウは物凄く面白いことを聞いたときのように笑い出した。
「え?」
思いがけない反応に、優桜はきょとんとする。そんなに面白いことを言ったとは思えないのだが。
「ユーサ、おっかしーな。ウッドは全然若くないよ。トシだよトシ」
「?」
「もしかして、ユーサの世界では若いの?」
聞いてみると、ガイアは成人年齢が十三歳なのだそうだ。これには優桜はぎょっとした。確かにそこから換算すれば、現代でいうと三十代後半あたりという計算になるからおかしくはないのかもしれなかった。
「メリールウさんはおいくつですか?」
「名前呼び捨てでいいよ? ユーサって貴族みたいね」
敬称をつけただけなのだが、どうも、優桜の普通とこの世界の普通は微妙にずれているらしかった。中途半端に現代風なのに、現代の常識が通用しない。
「あたしは十八だよ。ウッドの十コ下。立派なオトナ」
メリールウは胸を張った。
現代でいうと高校生が、この世界では成人なのだなと優桜は思った。父に子供扱いされるのは確かに癪だったのだが、いきなり今日から大人という扱いをされるのも困る。まだ覚悟ができていない。しかも、立派な大人だというわりに、メリールウの言動は子供っぽいように思う。
「ウッドはね、エレフセリアの活動してないときは、人の相談ばっかり乗ってるの。食堂だってそのために作ったんだよ」
「え?」
相談と食堂がどうつながるのか、優桜にはさっぱりわからなかった。
「仕事がない人、食堂で働くの。レジとかお運びとか、あたしみたいに頭弱いのは洗い場。ユーサも洗い場。ユーサ、字がわかんないんでしょ?」
優桜は頷いた。確かに字が読めない人間にレジは任せられないだろう。注文の伝票を書くことだって無理。
「だから洗い場。食器洗うの。忙しいけど洗うだけだから大丈夫……って、何の話してたんだっけ?」
メリールウは目を瞬かせると、時計を見上げてきゃあと悲鳴をあげた。
「もう時間だ。ユーサ、行くよ!」
「その格好で?」
優桜は首を傾げた。
メリールウの服装は昨日とうって変わって、部屋着と呼べそうなシャツとジーンズだった。化粧もせず、髪もふたつに結んだままだ。昨日の印象とあまりに違って、よく言えば誠実そうに、悪く言えば地味にみえた。ただ、手首につけたバングルだけは昨日のままだった。
「うん。だってお仕事だもの」
メリールウに連れられて部屋を出て、螺旋階段のところまでくると、踊り場からは街を眺めることができた。四階だから絶景というわけではなかったが、それでも結構遠くまで見渡せた。
様々な大きさの建物がひしめいているが、現代と違って鉄筋のビルはないようだった。ほとんどが煉瓦造りで、しかも高さは優桜がいる建物と同じくらいがいちばん大きいようだった。優桜が今いるこの建物は四階建てである。
田舎とは当然違う。けれど、大都会と呼ぶには規模が小さい。そんな印象だ。
「凄いでしょ? 一応、ガイアの中心だからね」
「これで?」
思わず優桜は問い返してしまった。
「そだよ? ここ、リーガルシティだもん。ガイアの首都だよ」
どうやらこの国は日本ほどの都会ではないらしい。
階段を降りると、店には既に明かりがついていた。連れられて裏口から中に入る。
「おはよーございます!」
「おはよう」
メリールウの大声の挨拶に、店の中から複数の声が返ってくる。
従業員はほとんどが女性のようだった。日本人に見える人も何人かいたが、他の国の人に見える人が多かった。が、メリールウのような褐色の肌の人はいなかった。
「おはようございます」
優桜もおずおずと声を出した。途端に、声が返ってくる。
「ほら、もっと大きな声を出しなさい。朝からそれじゃ元気がなくなるよ」
エプロンと三角巾をつけた年配の女性に言われ、優桜はもう一度、さっきより大きな声を出した。
「ユーサ、こっちだよ。エプロン貸すから着替えて」
メリールウに言われ、優桜は店の中に入った。狭い従業員用の控え室で、メリールウが出してくれたエプロンに着替える。
メリールウも着替えをしていて、エプロンと三角巾をつけた姿は昨日と同一人物なのが信じられないほど地味だった。肌や髪の色が目立つので、本当に地味かと聞かれたらそうではないのだが。
控え室を出ると、先ほどの年配の女性が優桜を他の従業員に紹介してくれた。
「オーナーに言われているからみんな知ってると思うけど、今日からまた一人新しく入ることになりました。名前はえっと……」
「魚崎優桜です」
「そうそう優桜。みんな、仲良く働きましょうね。優桜はメリールウと一緒に洗い場に入ってもらうから」
そう紹介され、優桜は宜しくお願い致しますと頭を下げた。
最初こそ余裕があったが、昼が近づくにつれ忙しくなった。そんなに広い店舗ではないのだが昼時になるとどこから来たのかと思うくらいに人が押し寄せ、あっという間に戦場のような忙しさになった。洗い場の中に大量に浮いた汚れた食器を洗って拭き、棚に戻して戻ってくると洗い場の中にはまた新たな汚れた食器が浮いている。その繰り返しだ。
優桜はスピードに追いつくので精一杯だったのだが、メリールウは慣れているのか鼻歌交じりで作業を片付けていた。
ようやく洗い場が片付いた時には、時計は二時半をさしていた。優桜はすっかりお腹がすいていた。
「あがりだよっ。お疲れ様、ユーサ」
「お腹空いた……」
「ゴハン食べられるよ。行こう」
メリールウは言うと、隅のテーブルに優桜を連れて行ってくれた。そこでは既に仕事が終わった運び役やレジの従業員が、昼に出した残り物を並べて昼食を取っていた。
残り物の種類はバラバラで、量が多いものも少ないものもあった。気を使って取ったから、優桜は食べたい量の半分も取れなかった。
「お疲れ様。たいへんだった?」
先に座っていた年輩の女性が優桜に声をかけてくれた。
「はい。働くのはじめてだったので」
「働くのがはじめて?」
年配の女性が怪訝そうに眉を寄せる。
「あ……」
まずいことを言ってしまったようだ。優桜は話題を変えようとした。
「皆さんはエレフセリ」
「あーっ! ちょっとユーサ!」
隣で食べていたメリールウが絶叫する。食べている途中で叫ぶものだから、口の中のものがこぼれた。
「メリールウ、汚い」
周囲の非難の視線がメリールウに集中する。
「ごめんごめん」
メリールウはあははと笑ってテーブルをふいた。
「まったく、これだからメリールウは」
呆れたようなつぶやきが聞こえる。何人かはさも嫌そうにメリールウをにらんでいたが、当の本人は元気に食事を再開した。
「で、優桜は何をいいかけたの?」
「あ……なんでもないです。ごめんなさい」
どうやら口を開かない方がよさそうだ。優桜は曖昧に微笑むと、皿によそった野菜炒めを口に運んだ。
食事が終わり、食堂の後片付けが終わると今日の仕事はこれまでということだった。
「お疲れ様。メリールウと優桜の次のシフトは明後日でよかったね」
「そだよ。今週はそれだけ」
さよならと挨拶して、優桜とメリールウは外に出た。まだ日は充分に高い。
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