桜の雨が降る 1部3章10
【転章】
夕方の光が、部屋の窓から斜めに差し込む。
小さな部屋だった。ふたつ置かれた机の片方には本が山積みにされ、もう片方には端末が置かれている。
そのふたつの机の間には背の高い本棚がある。部屋の主は、背の低い寝台で眠っていた。十代半ばの少女だが、眠るその顔はまるで幼子のようにあどけない。長い黒髪が枕に広がっている。
「姫君(プリンセス)の様子はどう?」
窓際に立っていた少女が、反対側にある寝台の傍らに付きそう青年に尋ねる。
金糸のような髪と、彫像のようにととのった涼やかな美貌の青年だった。しかし、今そのととのった顔は悔しさと悲しみに沈んでいた。
「やっと眠ったけど、だいぶ取り乱して……」
少女のこげ茶の目に、心配の色がありありと浮いていた。それは少女の隣に立つ少年のほうも同じだった。窓から斜めに差し込む夕日に、僅かに癖があるプラチナブロンドが光っていた。
「騎士(ナイト)、相当ショックだよな。ま、オレもショックなんだけど。まさかこんなことになるとは」
こんなこと、の内容を他の二人は聞き返さなかった。
「真なる平和姫が、真なる平和姫が……って。まるで狂ったみたいに繰り返してたよ。あたし、あんな姫君はもう見たくない!」
握った手を口にあて、少女が嗚咽をこらえる。
「オレもだよ」
少年の軽薄な口調に、悲しみといたわりが混ざる。
「オレだけじゃないさ。騎士も、ほかのみんなも。誰が姫君がこんなになることを喜ぶかよ」
「でも、喜んでる奴がいる! あたしはそいつを許せないよ!」
「真なる平和姫、か」
叫んで顔を伏せた少女の肩に、少年が両手を乗せる。
「オレたちで倒そうぜ。父ちゃんや母ちゃんたちみたいに、オレたちで何とかしよう。
なあ、騎士?」
「……お前らを巻き込みたくない」
呼びかけられた青年は、静かに首を振った。髪が揺れ、今まで隠れていた耳がのぞく。その耳は耳たぶの部分がざっくりと切り落とされ、異形になっていた。
「何言ってんだよ」
「姫君がこうなったのは、守ってやれなかった俺のせいだ。奴は俺が必ず倒す。だから、平和に暮らしてるお前らが入ってくる必要はない」
少年が声を荒げる。
「ざけんな。姫君が傷ついてくのを守れなかったのは、お前だけじゃねーんだぞ」
「あたし達だってそうなのよ。あんなに一緒にいたのに」
自分ひとりで背負い込もうとした青年を、少年と少女が押しとどめる。
「騎士。あたし達を巻き込んでよ。あなた達を放っておくなんてできないよ」
「なんとでもしてやるさ。一人じゃダメかもしれんが、頭数は揃うからな」
「……ごめんな」
青年は僅かに表情を緩めると、二人に頷いた。
そして、眠る恋人の額に白い手を伸ばす。
「姫君。必ず、救ってみせるから……」
青年の碧の瞳の奥には、今から道を外れる事への覚悟の光があった。
眠る姫君は応えない。自分の恋人と友人が自分のために手を汚す決意をしたのに、子供のようにあどけない顔で眠りの国を漂っている。
「真なる平和姫……恨みはないが悪く思わないでくれよ」
青年の低い呟きは、もう残り少なくなった夕方の光に吸い込まれるように消えた。
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