桜の雨が降る 1部2章7

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「そんなこと言われても困ります」
 しばらくして、優桜はそれだけ言った。
 あまり整理のつかない頭で考えてみたが、よくある漫画のような話だった。少女が不慮の事故で突然異世界に飛ばされ、その世界を救う姫君だと言われる。王道に従うなら、少女は意気揚々と自分の救世の使命を受け入れ、仲間と共に旅立つのだろう。
 しかし、自分の身に起こってみると気分は高揚するどころか沈むばかりだった。誰がこんな右も左もわからない、奇妙に生々しい世界を救おうと思うものか。自分を救うことすらままならずにもがいている優桜なのに。
「困られてもこっちが困るよ」
 ウッドはそれだけ言った。
「なんで?」
「オレは世界を変えたいと思ってるから」
 優桜は疑問符を浮かべた顔をウッドに向けた。
「今のガイアは格差社会だ。みんなの暮らしはどんどん追い詰められて、その日の生活に困る人が増える一方で、金持ちはどんどん栄えていく。ただ終戦時にまとまった金を持っていたかいないかだけなのに、それだけなのにどうしてこんなに差をつけられなきゃいけない?」
「でも、どうやって変えるんですか?」
 ウッドは法律事務所をやっていると言った。弁護士なのか経営者なのかは知らないが、どちらにしろ国を変える力はないだろう。
「昔は努力と根性でなんとかなると思ってたんだよ。頑張ればいつか報われると思ってた。けど、そうではないんだよなあ」
 ウッドがどこか遠い目をして息を吐く。
「法律事務所って言ってるけど、ほとんどよろず相談室みたいなもんなんだ。税金払えないとか、クビ切られたけど次の職がないとか、気がついたら借金が雪ダルマ式に膨れあがってたとかそんな相談」
「ウッド、凄いのよ。どんな問題持ち込まれても頑張りましょうって引き受けてくれるの」
 メリールウが心底頼りにしているといった口ぶりで言う。
「この前なんか借金に絡んだ嫁姑問題とその子供のイジメ問題まで解決したもんね」
「集金袋にトリックが仕込まれてたのは予想外だったな」
 一体、それは何なんだ。どこで法律と接点があるんだ。
 優桜は突っ込みをいれようかと思ったのだが、確かにこの人は頼りにされているんだろうなとも思った。普通なら、そんな個人的な問題にまで介入させないだろう。
 だからといってすぐに人を信じられるわけではない。人なんて信用ならないものだということは、母の一件でわかったばかりではないか。身内で一番近くにいた母なのに。
「でもそれだけじゃ何も変わらないから。だから一念発起して、国府を倒そうかと」
 次の言葉を聞いた瞬間、優桜は耳を疑った。
「あの、もう一回言ってもらえます?」
「一念発起して国府を倒そうかと」
 どうやら聞き間違いではないらしい。
「言いづらいんですけど、左翼ってことですか?」
「しかも極左だな。実力行使に出ることあるから」
 なんだか話がどんどん危険な方向に転がりだしてきた。
「……やっぱり帰る」
 立ち上がりかけた優桜をウッドが押しとどめる。
「まあまあ。最後まで聞いてくれよ」
「嫌です。あたしそんなのに関わり合いたくない」
「じゃあ、帰れなくていいんだな? 今ここから離れてもあんた金すら持ってないんだから、のたれ死ぬかさっきの奴らについて行って身体売って暮らすかのどっちかだぜ」
 それを言われると優桜は反論できない。
「悪いようにはしないから。こっちだって暴力は嫌いなんだ。なるべく穏便にすませたい」
「あの、貴方も左翼なんですか?」
 優桜は隣に座るメリールウに問いかけた。
 色合いが多少派手なことを除けば、優桜と同年代の少女にしか見えない。いや、少しばかり年上だろうか。それでも高校生だ。
 メリールウはあっさり頷いた。
「そだよ。あたしは『エレフセリア』の構成員」
「えれふせりあ?」
「自由って意味。オレたちの組織の名前だよ」
 ウッドは法律事務所を経営する傍ら、国府を覆し民衆が参加する議会への移行を実現させるべく動いているのだという。そのための組織につけた名前がエレフセリア。
「格差社会をなくしたいんだ。人間として平等な世界が欲しい」
「でも、そのためなら暴力をふるっても構わないんですか?」
「平和そうなあんたにはわかんないんだよ」
 ウッドの視線が鋭さを増した。今まではまだ親しみやすい雰囲気だったのに、突如として誰も近づけない強固な部分が顔を覗かせる。
「家に金がなくて初等学校にすら通えなかったり、やっとの思いで職について働いても働いても楽にならないみじめさがわかるか? 金持ちは楽しそうに人生謳歌してるのに、自分は何倍もキツい状況にいても楽にならない悔しさがあんたにわかるか?」
 痛いところを突かれ、優桜は押し黙った。
 経済的に見れば、優桜は相当恵まれた部類に入る。両親の事務所は繁盛していたので、優桜はお金の心配をしたことがない。
「オレはたくさん見てきたよ。助けたくても助けられないものを山のように見てきたよ。でも、それをもう終わりにしたい」
 それは彼のような立場の人の、当然の願いなのだろう。
「だから、あんたに協力して欲しいんだ。『真なる平和姫』に」
「……あたしに、何をさせるんですか?」
「そんなに怯えるなって」
 ウッドは険しい表情を引っ込めると、ちらりと笑顔を覗かせた。
「旗頭になってくれ」
「旗頭?」
「真なる平和姫は、ガイアに本当の平和をもたらす存在だ。そいつがついてるってなれば勢いが上がる。たくさんの人にオレたちの意見を届けられる」
「それでも、嫌です」
 優桜は首を振った。
「あたしは元の世界に戻りたいです。『真なる平和姫』だって、黒髪の女の子に石を持たせて頼めばいいじゃないですか」
「それが、あんたじゃなきゃダメなんだよ」
 ウッドは言い含めるように繰り返した。
「どうして?!」
「フォルステッド。さっきの話に戻るけど、『偽りの平和姫』もまた異世界から現れた黒髪の少女だったんだ」
 内戦を終わらせた少女は、異界から現れたのだという。
 黒髪に青い石を持ったその少女は、二百年の間為す術もなかった戦乱に終止符を打った。後世の評価はどうあれ、彼女は確かに内戦を終わらせた。
「名前はフカガワエマ。当時まだ十六だったらしい」
 その名前に、優桜は弾かれたように顔をあげた。
「深川絵麻?!」
「知ってるのか?」
 母の妹。生きていれば優桜の叔母にあたったであろう人物。
 いわれのない中傷を受け、傷つき、優桜の母の手にかけられ、誰に看取られるでもなく不遇の内に世を去った少女。
 彼女の名前が深川絵麻だった。
「なんで?! 叔母さんは死んだはずだよ?」
「おばさん?」
 ウッドが僅かに声の調子をあげた。
 優桜はためらったのだが、こくりと一回だけ頷いた。
「お母さんの妹。深川絵麻っていうの」
「……同姓同名、って可能性は?」
「わかんない」
 優桜は首を振ったのだが、奇妙なことに、フォルステッドと呼ばれている人物は自分の叔母だという確信があった。
 叔母は襲われてから息を引き取るまでの十ヶ月、意識不明の状態で入院していたと聞いたことがあった。
 もしも、意識だけが飛んだのだとしたら? 優桜も交通事故に遭った。もしかしたら元の世界で優桜の身体は集中治療室に眠っているのかもしれない。
「そうか。これでやりやすくなったな!」
 ウッドが明るい声を出す。
「深川絵麻の姪。フォルステッドは曲がりなりにも戦乱を終わらせてる人物だから、同じ世界から同じ血を引く、だけど今度こそ間違いのない救世主が現れたっていえば、旗頭には充分だ」
 ウッドの説明を、優桜は聞いていなかった。
「ねえ、その人はどこにいるんですか?! その人はあたしの叔母さんよ! その人は……」
 母が何で凶行に及んだのか、彼女なら知っているはずだ。
「落ち着けって」
 ウッドが手を伸ばして、優桜の肩を押さえた。
「終戦後、フォルステッドがどこに行ったかはさっぱりわからないんだ。元々表だって行動していた人というわけでもないし」
「この世界にいるのね?」
「おそらくな」
 ウッドは頷いた。
「多分、世界を越える方法もフォルステッドが知ってるんだろう」
「それじゃ、あたしが元の世界に戻るには」
 叔母を見つけなければならないのだろう。
 二十年以上前に死んだ叔母が、なぜこの異世界で生きているのかはわからない。しかし、優桜は叔母を見つけたかった。元の世界に戻りたいという気持ちもあるし、それより何より、母と叔母の間に何があったのかが気になった。
 優しかった母が、どうして実の妹を手にかけるなんてことをしたのか。母がそんな行動に追い詰められるほど、叔母はどうしようもない人だったのだろうか。
 母と叔母の間に、一体何があったのだろう。
 優桜が出した回答に、ウッドは気づいたようだった。
「ただ、フォルステッドはこの世界でも終戦後は行方不明だ。探そうとすると大変だぞ」
「それでも、あたしは探さなきゃ! 元の世界に戻れないよ」
「その間どこに住む気だ? 食べ物や着る物はどうする?」
 勢い込んだ優桜だったが、現実をつきつけられて火のついていた勢いは瞬時に消えた。
「それは」
「だから『協力してくれ』って言ったんだよ」
 ウッドはにんまりと笑っていた。
「オレたちに協力してくれるなら、ガイアでの衣食住は保証してやる。どうだ? あんたにとってこれ以上のいい話はないと思うんだが」
 確かに物凄い好待遇なのだろう。突然現れた右も左もわからない少女を保護し、生活を保証してやるというのだから。
 けれど、見返りの条件は国家転覆の助力である。この世界の法律はわからないが、見つかったら刑務所どころの問題では済まないだろう。
 だが、優桜がこの話を断ることができないのもまた事実だった。
 優桜の逡巡を、ウッドは黙ってみつめていた。おそらく彼には、優桜が今抱えている葛藤が透けて見えているのだろう。
「ユーサ、だいじょぶだよ」
 静かに成り行きを見守っていたメリールウが口を挟んだ。
「一緒にがんばろ。ね?」
 大丈夫だなんて信じられない。人なんて信用ならないのだ。
 だったら自分を信じるしかない。今、優桜は叔母に会いたいと思っている。叔母に会い、元の世界に戻る方法を聞き、そして何より――母との間に何があったのかを聞きたいのだ。この気持ちに整理をつけなければ、元の世界に戻ったって同じ事なのだから。
「……戻れるまでなら」
 優桜の低い声に、二人が目線を上げる。
「戻れるまでって約束なら、あたし、貴方たちに協力します」
「わかった」
 ウッドが口元をほころばせる。メリールウは笑顔になると、優桜に飛びついてきた。
「よかったー! 頑張ろうね、ユーサ!」
「あんまりしがみつかないで……」
 たじたじとなっている優桜にウッドは苦笑いすると、時計を見上げて言った。
「じゃ、そろそろ休んでくれ。明日も早いしな」
「明日?」
 もうレジスタンスの活動をするのだろうか。
 そう思った優桜だったが、次に耳にした言葉は思いがけないものだった。
「そだね。明日も平日だから、食堂たいへんそう」
「食堂?」
 思わず聞き返した優桜に、ウッドは言った。
「ここの一階の食堂。明日からそこで働いて貰うから」
「え? そんな話してない」
 さっきまでのは組織の旗頭になる、という話だったと優桜は思っているのだが。
 それを言うと、ウッドは苦笑いした。
「組織の目立つところにいる奴が働きもしない奴だったら、あんたそんな組織について行きたいと思うか?」
 正論である。
「生憎と、うちは自転車操業だから働きもしない奴を置いておく余裕はないんだよ」
「だいじょぶだよユーサ。お仕事簡単だし、あたしもいるから」
「あなたも一緒なの?」
 聞くと、メリールウも普段はこの事務所の一階にある食堂で働いているのだという。
「今日はもう休んでくれ。わかんないことがあったらメリールウに聞いて。メリールウでわかんなかったらオレがいるから」
 ウッドはそう言うとテーブルの上に出ていた皿やコップを片付けはじめた。
 聞きたいことはまだまだあったのだが、それより優桜は疲れていた。今日はいろんなことがありすぎた。
 片付けを手伝う気力もなくぼんやりとしている間に、ウッドとメリールウは手際よく片付けを終えていた。事務所を消灯して外に出る。
「じゃ、おやすみね。ウッド」
 扉の前で、メリールウがウッドに別れを告げる。
「おやすみ。優桜を頼むな」
 ウッドは優桜と目を合わせて、笑った。
「優桜、疲れてるか? ゆっくり眠れよ。眠れば朝には元気になってるさ」
「……おやすみなさい」
 扉の前でウッドと別れ、メリールウは螺旋階段のいちばん上の階に優桜を連れて行った。
 そこはどうやらアパートになっているようで、同じような扉が五つほど並んでいた。いちばん奥の扉のところまでくると、メリールウは服のポケットから鍵を出して扉を開けた。
「どうぞ?」
 促されて玄関に入るが、靴を脱ぐ場所がない。見ればメリールウは土足で入っていく。どうやら欧米のようにこの世界では靴を脱がないらしい。
 そこは狭いが、きちんと整頓された部屋だった。狭いダイニングを抜けると六畳ほどの居室になっていて、上にはロフトがついていた。
「ユーサの部屋を用意できたらよかったんだけど、今どこも満杯なんだよね」
 メリールウが頭をかく。
「ここ使ってね。あたしはロフトを使ってるから、気にしなくっていいよ」
 部屋に置いてあったマットレスをメリールウは示した。洗濯されたばかりらしいパジャマがマットレスの上に乗っている。
 メリールウはきっと、優桜が来ることを知って準備してくれていたのだろう。そういえば、彼女は仕事が終わってからずっと優桜を探していたと言っていた。仕事が夕方に終わったんだとすれば、結構な時間がかかっていることになる。
 なんで、彼女は自分に優しくしてくれるのだろう。人なんて信用ならないのに。
「ユーサ、疲れたでしょ? 今日はもう休んで、明日っから一緒にがんばろーね」
 おやすみねと手を振って、メリールウがロフトに上がっていこうとする。
「あの、メリールウさん」
「なあに?」
「……ありがとう」
 それは優桜の中に少しだけひっかかって残っていた、素直な感謝の気持ちだった。
 メリールウはのびやかに笑うと、思い出したように照明のスイッチの位置を教えてからロフトを上がっていった。
 多分、今考えなければいけないことは山のようにあるのだろう。母のこと。叔母のこと。見知らぬ世界。変わった人たち。元の世界に戻る方法と、明日からのこと。
 けれど、今は何より眠かった。
 優桜は用意してもらったパジャマに着替えると、布団にもぐりこんだ。布団からはあたたかなひだまりの匂いがした。
 そして、枕に頭をつけるかつけないかのうちに、優桜は眠りに落ちていた。
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