桜の雨が降る 1部2章6

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 優桜はソファに座ると、後から思えばはしたなかったと思うくらいの勢いでサンドイッチにかぶりついた。
 サンドイッチは、見た目からは想像がつかないほど味が濃厚だった。
(あれ?)
 具材を確かめてみるが、薄切りにして焼いた肉と野菜がはさんであるだけだ。ソースが使われた形跡もなく、味がこんなに濃くなる要素はどこにもない。
「?」
「ユーサ、どうしたの? 美味しくない?」
 メリールウは普通にサンドイッチを食べ終え、二つ目に手を出したところだった。男性の態度にも変わったところはない。
「まずくないけど……」
 確かにまずくはない。美味しいくらいだ。ただ、想像とのギャップに戸惑ったのだ。
「飲むか?」
 男性に差し出されたコップを受け取って、優桜は中身を飲み込んだ。そのお茶も見た目は普通に紅茶なのだが、やはり味が濃かった。思わずむせてしまう。
「ごほっ」
「ユーサ!」
 メリールウはサンドイッチを放り出すと、優桜の背をさすってくれた。
「異世界人の口には合わないんだな。一応、味が薄いの用意したんだけど」
 男性の言葉に、優桜は顔をあげた。
「どういうことですか?」
 男性は異世界だと言った。異なる世界。地球ではない世界。
「貴方たちは誰ですか? ここは一体どこ?」
 男性は懐から革製のケースを出すと、中身を両手で優桜に差し出した。
「オレはウッド=グリーンだよ。ここで法律事務所をやってる」
 一度見たことがあるが、母が相手に名刺を渡す時と同じ作法だった。初対面だが、メリールウのようにいきなり馴れ馴れしくされることはなかった。彼女が変わっているのだろうか?
 差し出されたカードは大きさや字の配置からして名刺なのだろう。が、やはりそこに書かれた字は優桜の読めないものだった。
「……読めません」
 優桜は首を振った。
「だよな」
 ウッドと名乗った男性が頭をかく。
 最初、優桜は彼の髪は短いと思ったのだが、よく見ると後ろで髪を束ねていた。束ねられるぎりぎりの長さだから、正面からは短髪に見えたのだ。
「他の身分証明……と思ったけど、どのみち読めないんだよな。信じて貰うほかなさそうだ」
「信じろって言われても」
 何がどうなっているかまるでわからない。生きていることは信じているが、状況がわからなすぎてやっぱりここは死後の世界です、と言われたとしても信じてしまいそうだ。
 読めない文字。違う言葉。知らない通貨。青い月と見た目は普通なのに味が濃い食べ物。
「わかんないよ。何がどうなってるの? あたし、一体どうなったの?」
 頭を抱えた優桜を、メリールウが心配して覗き込む。その目は髪と同じく真っ赤な色で、優桜は驚いて泣き出すのを止めた。
「どうにもなってやしないさ。ただ世界を飛び越えたってだけ」
「世界?」
「話すとややこしいうえに長いんだけど、しゃーないか。あ、長くなるからまずくないんならサンドイッチ食えよ。倒れられたら困るし」
 確かに、お腹はさっきから空ききっている。
 優桜は頷くと食べかけだったサンドイッチを口に運んだ。味の予想ができたせいで、さっきほど驚かなかった。
「ここは『ガイア』。Gガイア国だ。優桜、あんたがいた世界とは別の世界。こことそっちがどういう関係になってるかはわからんが、別の世界であることは間違いない」
「でも、あたし車に撥ねられて……」
 その衝撃で別の世界に弾き飛ばされたのだろうか。そんなのは物語の中だけの話だと思っていた。
「ユーサ、大丈夫なの? 痛くない?」
 車に撥ねられたと聞いて、メリールウが心配してくれた。
「大丈夫……だと思う」
 優桜はさっきから普通に動いているし、繁華街からここにくるに至っては走った。それでも息が上がったくらいだ。
「それより、あたし帰りたいよ。どうしたら帰れるんですか?」
「それがな」
 ウッドは困ったように息をついた。
「簡単には帰れないんだ」
「何で?!」
 優桜の悲鳴のような抗議に、ウッドは困ったような表情を強めた。とりあえず最後まで聞いてくれと、彼は続けた。
「当然ながら『平和姫(ピーシーズ)』と『不和姫(ディスコード)』の伝説は知らないよな?」
「ぴーしーず? 何それ」
 優桜が聞いたことのない言葉だ。
「ウソ。平和姫を知らないの?!」
 横のメリールウが驚いた声をあげる。ちょっと不愉快に思いながらも優桜は頷いた。
「平和姫って、神話なんだ」
 ウッドはそう前置きをすると語り出した。
 それはよくある創世の神々の争いで、光の神と闇の神が戦い、光の神が勝利して闇の神を追いやった。そのことを恨んだ闇の神は『不和姫』と名付けた悪の存在を作り、光の神が作った世界を壊させようとした。
 これに対抗するため、光の神は自分の使者である光の存在『平和姫』を作り、不和姫と戦わせた。平和姫は全ての光を操る力を与えられたのだが、闇に作られた不和姫にはその力が通用しない。困った平和姫は最後に不和姫を抱きしめ、自らの一部とすると自分を分解することで不和姫を消滅させた。これによって世界は崩壊を免れたのだという。
「……とまあ、よくあるタイプの話だな」
 確かに、どこかで聞いたことがある気がした。
「ここまでは神話。けど、こっから実話」
 今から約二百年前に、内戦が勃発した。最初は小競り合いだったのに、気がつくとガイアは争いが争いを呼ぶ恐怖の渦の中に巻き込まれていた。その内戦を引き起こした組織の首領は、神話になぞらえ不和姫と呼ばれた。
 彼女が引き起こした争いは程度の差こそあれ二百年続き、人々の心は次第にすり減り絶望していった。国府も力をなくし、行政を委託されていたPCと呼ばれる組織が抵抗する以外には、世界は不和姫に蹂躙されるままだった。
「それじゃ、ここは内戦をしてるんですか?」
 日本は平和だが、世界では今も争いが絶えない。それを優桜は知識として知ってはいたが、その危険さがいまいち身に迫らない。
「いや、内戦は終わったよ」
 力を増した不和姫は十八年前、ついに世界の全体破壊を宣言したのだが、その直後に突如として消えてしまい、結局破壊は実行されなかった。統制を失った武装集団は各地で総崩れになってPC自衛団に討伐され、内戦は起こった時と同じく、突如として終わった。
「PCっていう人たちが平和にしたのね?」
「それが詳細不明なんだよな」
 ウッドの言葉に、優桜は首を傾げた。
 その十八年前当時、PCはトップにいた総帥が突然、何者かに暗殺されたのだという。上層部はその対応に大わらわで、他のことに気を回す余裕なんてなかったのだそうだ。
「じゃ、誰が不和姫を倒したの?」
 ウッドは指を立て、苦く笑った。
「それはもちろん『平和姫』さ」
 噂にすぎないがと前置きしてから、ウッドは話を続けた。
 あの内戦の末期、武装集団が攻撃声明を出したことで、それを止めたいと願った一人の少女が、自分の身の危険も構わずに、友人数名と武装集団の本拠地である北部に特攻したのだという。そして、驚いたことに少女は事を成した。
「伝説通りになった、ってこと?」
 優桜は目を丸くした。突拍子もない話だ。普通、テロリストの前に民間人がのこのこ出て行ったら、遺言を考える暇もなく返り討ちだ。
「伝説通りなら平和になってめでたしめでたしなんだがなあ」
 ウッドはぼやくように続けた。
「違うの?」
「残念ながら」
 内戦は終わり、世界は平和になった。人々は二百年ぶりの平和を享受し、喜びに浸った。
終戦後、どういうわけか表に現れずひっそりと消えた少女を『平和姫』と呼び、讃えた。ここまでならおとぎ話のよくあるハッピーエンドだ。
 争いで力を失っていた国府は息を吹き返した。PCに委託していた事業を取り戻し、これからは不安定な国内だけでなく国外にも目を向けようと、いくつもの政策を打ち立てた。しかし、その政策を実施できるだけの予算は疲弊から立ち直ったばかりの国府にはなかった。
 そこで行われたのが大規模な増税計画だった。食べ物を買うにも、乗り物に乗るにも何をしても税金がかかることになった。生まれた子供には出産税。人が亡くなれば葬送税。呼吸することに税金がかからなかったのが不思議なくらいだ。
 ガイアの国府は貴族と呼ばれる一部の資産階級が牛耳っている。そのため、この無謀な法案は信じられないほどあっさりと可決されてしまった。この増税はガイアの大半を占める内戦に疲れ果てた民衆を直撃した。
 法外な税金を搾り取られ、人々の暮らしは立ちゆかなくなった。確かに内戦で死ぬことはなくなったかもしれないが、働いても働いても暮らしは楽にならず、まるで奴隷のように税金を搾取され、疲れ果てて死んでゆく。一方、財を持っていた者たちには法外な税金は痛くもかゆくもなく、貧しい者たちの隣で今までどおりの裕福な暮らしを続けた。格差社会が訪れたのだ。
 それはガイアにとってはじめて経験するものだった。今まで、内戦の苦しみは誰にも平等だった。ところが今はそうではない。自分は明日の食事の心配をするほど困窮しているのに、目の前では美味しそうな食べ物が売られ、笑顔の裕福な人たちがそれを買って行く。まずいから売れないからと捨てる者までいる。
 なんで、こんなことが起こるのだろう。同じ国民なのに。同じ人間なのに。
 最初に神話を聞いていた時、優桜はまだここは異世界だと思えた。けれど今は、もう思えなかった。あまりに生々しすぎる。ウッドもメリールウも、さっきのチンピラも普通にいておかしくない。メリールウは色合いが多少ありえないが、それはさておいても剣も魔法もでてこない。
「それからどうなったの?」
「ここまでくればある程度オチは見えてるな」
 人々の恨みは国府に向けられたが、逆らうことはできなかった。歪められた矛先は、内戦を終わらせた女神として讃えられていたあの少女に向いた。
「あの娘がでしゃばらなければ、こんな暮らしにはならずに済んだ」
「あいつは『平和姫』ではない。平和姫を騙った偽者。偽りの存在だ」
 そうして少女は『偽りの平和姫(フォルステッド)』という蔑称をつけられ、ガイアに格差をもたらした元凶として忌み嫌われるようになったのだという。
「その人、どうなったの?」
「さあ? 終戦後の消息はきれいさっぱりつかめなくなってる。自分が内戦を終わらせた英雄ですってでしゃばらなかったの、こういう結果になってみりゃ大正解だったな」
 確かにウッドの言うとおりだろう。
「平和姫は偽者(フォルステッド)だった。だから、いつか本当の平和姫が現れる。みんなそう信じてる。必ずや本物の平和姫様が救って下さるでしょう、と」
「うん」
「そして、あんたが現れた」
 いきなり話の矛先が自分に向き、優桜は飲みかけた紅茶を盛大にむせ返した。
「ユーサっ!」
 メリールウが慌ててタオルを取りに行く。
「な、なんで?!」
 優桜はポケットのハンカチで口元を拭いながら尋ねた。
「最初に『真なる平和姫』って言っただろ」
 ウッドの方は平然としている。スーツ姿でこんな突拍子もない話を繰り広げる金髪の男性は、はっきり言って優桜の理解を越えていた。
「言われたってわからないです! それ、ガイア? の神話でしょう? あたしは関係ないです」
「平和姫は青い石を持つ黒髪の乙女なんだとさ」
「え?」
 確かに優桜は黒髪だ。花音なんかは染めているし、周囲では茶髪の方が格好いいと言われていたが、優桜は染める気もなく何もしていなかった。しかも、優桜は生来髪の色が真っ黒なのだ。
「でも、青い石なんて持ってない」
「持ってる。ポケットの中」
 ウッドに言われ、優桜はポケットを探った。そんなものを持っていただろうか。
 右のポケットは携帯電話とハンカチだけだった。左のポケットから財布を出したところで、指先が鎖にひっかかった。
「あ」
 母の病室からひったくってきたお守りの中身。不透明な青い石のペンダント。
「優桜。あんたが『真なる平和姫』だ」
 唐突に言われ、優桜は目を瞬いた。
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