桜の雨が降る 1部1章4

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 翌日からは授業がはじまり、優桜の毎日は学校と剣道に埋められていった。
 父とは朝食と夕食の時以外顔を合わせなかった。口を開くと傷つける言葉ばかり飛び出す気がして、優桜は父と必要以上の会話をしなかった。朝起きて学校に行き、授業を受け、放課後は疲れ果てるまで剣道に打ち込んで、黙々と夕飯を食べ、風呂に入ったらすぐ泥のように眠る。その繰り返しだ。
 それは高校生としてはひどく健康的な生活だったため、父は特に口を差し挟まなかった。母の方は優桜と父が会話をしないことを気にしていたようだったが、中途半端に話をして傷つけあうよりいいだろうと、優桜は勝手に思っていた。どのみち母は忙しいらしくて話す時間がなかった。
「結局これって愛の修羅場って奴? 高校の教科書に載せていいのかな」
 その日、クラスの友人の一人が、終わったばかりの現代文の授業を指して言った。取り上げられたのは有名な日本文学の一節だ。
「見事な修羅場よね。友人裏切って相手自殺させてまで結婚して、最後には自分も自殺でしょ?」
「日本文学ってこういうのばっかりだよね」
 まだ消されていない黒板には、主人公の心の動きについて書かれている。罪の意識にさいなまれたようだったが、そんなふうに思うのなら最初から抜け駆けなんかしなければよかったのにと優桜は思う。
「あたしだったら裏切りは許さないけどな。何で真っ直ぐに頑張ってる人が自殺しなくちゃいけないの。自殺の前に刺し違えるくらいするな」
 優桜の過激な意見に、友人達は目を丸くした後で笑い出した。
「まーたまた」
「優桜ってば過激だなあ」
 茶化すように言われたのは心外だった。思わず、優桜の語調が強くなる。
「何で? 気持ちを知ってたのに裏切るなんて、普通に酷いじゃない。友達だったんでしょ?」
「それはそうだけどさ」
「気持ちの行き違いなんて普通にあるじゃない。刺し違える前に話し合おうよ?」
 確かにその通りだと思う。だけど、どこか腑に落ちないのだ。正しいことをしている人が自殺しなければならないなんて納得ができない。
 そう言ったら、やはり同級生達は笑った。一人などは優桜の頭を撫でながら言った。
「優桜は正義感強いなあ。そういうとこいいと思うけど、ちょっと真面目すぎかも」
「そう?」
 確かに、優桜は自分でも真面目な性格をしていると思う。両親が法律家という家庭環境のせいなのか、幼い頃からやっている剣道で礼儀作法をたたき込まれたせいなのか、それとも真面目が特徴の血液型のせいなのか。
 友人は優桜の頭に置いていた手を、肩のところまで滑らせた。
「肩の力抜きなよ? たかだか教科書だよ? 今のドラマの修羅場なんてもっともっと過激なんだしさ」
「ドラマといえばさ、昨日の見た? 関東テレビの」
 別の友人が昨日の夜に放送した人気のドラマの話を持ち出すと、途端にそちらに話が流れた。ストーリーが切ないとか、女優が作中で着ていた服のブランド、脇役の恋愛スキャンダルに話がぽんぽんと飛んでいく。
 優桜はドラマを見ておらず、芸能関係にも興味がなかったので話半分に会話に加わっていた。魚崎家はニュース番組以外のテレビをほとんど見ないのである。例の一件以来、優桜の父親がマスコミ嫌いになったことが最大の要因であり、今時の家には珍しく魚崎家にはリビングにしかテレビがない。加えて父が優桜の見る番組にも厳しく口出しするため、それが煩わしい優桜はほとんどテレビを見ないのだ。自室にテレビが欲しいと思った時期もあったのだが父に必要ないと一刀両断された。この件に関しては母も父の教育方針に賛成のようで、味方してもらえなかった。どのみち優桜は部活に熱中しているので、テレビは必要なかった。こういう話題について行けなくて困る場面は多々あったとしても。
 優桜が廊下に視線を巡らせると、担任が慌てた足取りで歩いてくるところだった。時計を見上げてみたが、まだ休み時間中である。次の授業は担任のものではない。
「魚崎! 魚崎はいないか?」
 教室に入ってきた担任は、なぜか優桜を呼んだ。
「はい?」
 不思議に思いながら担任のところまで行くと、担任は優桜の腕をつかんで廊下に引きずり出した。
「先生?」
 担任は怖いほど真面目な顔をしていた。彼は低い声で言った。
「お母さんが倒れられたと職員室に電話があった。すぐに病院に行きなさい」
 瞬間、優桜の世界が冷えた。
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