Love&Place------1部3章4

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 幼い頃のように、祖母に抱かれていたような気がした。
 本当に小さかった頃――小学校に入る前までは、絵麻は祖母の膝によく甘えていた。縁側で洗濯物をたたんでいるときがほとんどだった。祖母はそういう時でないとゆっくり座っていることがなかったのだ。
 人が何かしているときに邪魔をしてはいけませんよと何度も注意されたが、それでも膝に甘えることはやめなかった。絵麻が他の時は邪魔をせずおとなしくしているので、多分、膝に甘えたいだけだというのを祖母もわかっていたのだろう。必ずいつもの注意をするが、そのあとで表情を弛ませた。
『絵麻ちゃんは本当に甘えん坊なんだから。ここが終わるまで待っててね』
 祖母は絵麻を強制的に膝からどかせると、洗濯物をたたみに戻る。絵麻も、たたむのが簡単なタオルなどに手を伸ばして祖母の手が早く空くようにがんばるか、あるいは縁側でころころと寝転がって待っている。
『はい、終わりましたよ』
 祖母は洗濯物をたたみおえると、絵麻を膝に抱き上げてくれた。絵麻はうんと甘えて、心優しいお姫様の出てくる物語を聞かせてもらって、真っ黒なお化けの話に怯え、あたたかい手が髪を梳いてくれることに安心して目を閉じて――。
 絵麻が目を覚ますと、そこはガイアの、自分が使わせてもらっている部屋だった。
「あれ?」
 シャツとスカートだけの格好で、枕元にすぐわかるようにペンダントが置かれていた。ブレザーは椅子の背にかけられている。
 昨日ベッドに入った記憶がない。ぼやける頭を手のひらで叩いて叱咤して、錯乱した後そのまま眠ってしまったことに気づいた。いくら安心したからとはいえ酷すぎる。
 今日の目覚めはあまり快適とは言えなかった。体が奇妙に熱っぽく、熱の芯の部分にだるさがある。ここ何日かずっと気を張っていたから疲れてしまったのだろうか。それでも、寝坊して良い理由にはならない。
 絵麻は慌ててペンダントをつかむと、部屋を飛び出した。焦って階段から落ちそうになり、手すりをつかんで堪えた。
「絵麻、何やってるの?」
 絵麻が慌てて走る音を聞きつけたのか、リョウが台所の間口から出てきた。
「階段から落ちそうになったの? 体、ふらふらした?!」
「ううん、大丈夫。焦って落ちそうになっただけだから」
 過剰なほど心配されて、絵麻はびっくりした。昨日倒れるように眠ってしまったからだろうか? 安心しただけだったのに。
「そう? 具合悪くなったらすぐに言ってね」
「絵麻、起きたのか?」
 リョウの後ろから信也が姿を見せた。仕事に行くらしく、外出の支度を整えていた。彼は絵麻の顔を見るとおはようと言って、リョウと同じように体調を尋ねてきた。
「おはよう……ちょっと疲れてるだけ」
「しんどくなったらすぐに言えよ?」
 このやり取りまでリョウと同じだった。自分は安心して眠ってしまっただけなのに、必要以上に心配をさせているようだった。
「おはようございます」
 絵麻が挨拶して入っていくと、リリィはすぐ顔を上げてくれたが翔はぼうっとしたようにパンをかじっていて、少しの間があって慌てたように「おはよう」と言った。挨拶が返ってくるのが、絵麻にはとても嬉しかった。
 絵麻は台所で朝ご飯を食べた。今日はパンとコーヒーだけだった。この世界の朝食はパンとコーヒーだけなのかもしれない。
 絵麻が思ったとおりリョウは仕事とのことだったが、信也は仕事ではないから戻る時間がわからない、と言い置いて出かけていった。
「翔は今日はお仕事は?」
 居間のテーブルに本を広げていた翔に、絵麻は聞いてみた。
「僕は大きな案件以外、開発室に出なくても大丈夫なんだ。代わりにここで資料をまとめたりする必要はあるけど」
 一応学者の肩書きがあるんだよと、翔は言った。
「開発室?」
「平和部隊の力包石兵器開発室だよ」
「みんな同じ場所で仕事をしているのではないの?」
 翔は首を振った。
「所属部署は全員別だね。僕は開発室だけどリリィは資料室で、資料室はあんまり人員を出張させることがないね。逆にリョウは併設病院の医局が所属だから、かなり頻繁に病院の外来を引き受けてる。襲撃があると病院所属の人を入れた医師団が派遣されるからね」
「信也は?」
「有線通信の技士兼通信士」
 その言葉には耳馴染みがなかったが、忙しいのだろうと絵麻は思った。
 翔は絵麻に、今日も家の中にいてくれと言った。家の中でなら何をしてもいいけれど、外には出てはいけないと。
「今日も?」
 危ないから森の外に出てはいけないと言われたことに昨日は納得していたが、絵麻はここで過ごす間に怖い思いをしたことがなかった。窓の外の景色は常に穏やかでのどかだったし、翔たちも普通に外出していた。
「危ないからね」
「わたしには危なく見えないけど」
「とにかくだめ」
 翔はそう言うと、言葉を切って本に目を落とした。
「……翔、やっぱり怒ってる?」
「え?」
「昨日騒いだから」
 しゅんとした絵麻の様子に、翔は本から顔を上げると、困ったような顔で笑った。
「怒ってないよ。驚いたけど」
「ごめんなさ」
「謝らないの」
 ぴしゃっと言われ、絵麻は口をつぐんだ。
「……明日は、僕が外に連れて行ってあげるから」
 翔は絵麻の目を見て、言い聞かせるようにしてそう言った。
「本当?」
「そのために、今日は書類を片付けないといけないんだ」
 翔はさっき、家にいるときでも資料をまとめる必要があると言っていた。絵麻のために時間を空けようとして、仕事に集中しているのだろうか。
「わかった」
 絵麻はこれ以上邪魔をしないようにと、また掃除を始めることにした。バケツに水を入れて、今日は台所の掃除から始める。
 途中でリリィが入ってきた。朝ご飯を食べていたときにはかけていたショールを外していて、リリィは昨日したように絵麻の手の中の雑巾を指し、自分を指した。続けて両手で何かを絞るような仕草をすると、右手を左右に振った。
「掃除、手伝ってくれるの?」
 今日は絵麻の声は彼女に届いたようで、リリィは何度も頷いてくれた。絵麻は綺麗な雑巾を絞ると、リリィに渡した。リリィは手も細くて綺麗で、雑巾を持たせていいのかと迷ってしまうくらいだった。
「そっちの台からテーブルまで拭いてもらってもいい?」
 絵麻がそう言うと、リリィは頷いて掃除を始めた。お姫様のような外見からは想像がつかなかったが、そこそこ慣れているような様子に見えた。足運びが若干ぎこちなくはあったが。
 綺麗な人は料理や掃除をしないのではないかと、絵麻は漠然と思っていた。姉は家事なんて一切やらなかったし、例え試験前で忙しくても、体調が悪くても家事は絵麻がするべきであると本気で考えていたようだった。同じように美人のリリィもそうなのだと絵麻は勝手に思っていた。
 でも、リリィが絵麻のことを考えてくれているのを、数日を一緒に過ごして絵麻はわかりはじめていた。
 この家は共有の部分はあまり手入れがされていない。それなのに、予定にない来客だった絵麻に、すぐに毛布やシーツを用意することができたのはなぜなのか。
 それは、リリィが自分の使っているものを貸してくれたからだ。毛布とシーツからしていた匂いと、昨日リリィから借りたハンカチの匂いが同じだった。人工的ではあるが不快感のない、花のような香り。
 絵麻は昨日、ほんの少しの時間だったのに翔と言葉が通じなかっただけで怖かった。翔のいうことがまるでわからなかったこともだが、自分の気持ちを伝えることができないのも同じくらいに怖く、真っ青になっていた。
 リリィは声を出すことができない。手を叩いたりして自分に注意を向けてもらえなければ、相手に何も伝えられない。声でやり取りするように自分の考えていることを相手にすぐ伝えることはできないのだ。
 音は聞こえているし別の世界にいるわけでもないから、リリィは昨日の絵麻とまったく同じ状況にいるわけではない。それでも不自由だし、何より不安だということは絵麻でも簡単に想像がつく。
 それなのに、リリィはとても優しいのだ。自分の不自由を嘆き訴えることはしない。それを理由に助力を拒むこともない。できる範囲で絵麻に手を伸ばしてくれた。
 姉とよく似た、姉とはまったく別の生き方をしている人だった。
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